赤いトンガリ屋根の家

@clafoutis

赤いトンガリ屋根の家


 毎日の電車通学にうんざりしていた。


 毎日同じ時間帯の列車に乗り、毎日同じ景色を見て、毎日同じような表情をした人々と共に、毎日同じ場所へ運ばれる。


 僕は、出荷される商品じゃない!


 車窓から見える風景は前日と変わらないはずだった。

 薄曇りで、気持ちの晴れない天気だった。


 ところが、その日、いつもと違うことが僕の目の前に現れた。


 ムーミンの家が線路沿いにニョキッと立っていたのだ。


 僕が降りる駅の少し前で、電車がスピードを緩めた時に気が付いた。

 昨日までは無かった気がする。

 青い円柱に赤いトンガリ屋根のムーミンの家は、僕の目を釘付けにしたまま遠去かり、他の建物の影で見えなくなった。



 その日がなんでもない一日だったら、その建物のことを忘れ去っていたかもしれない。

 ところが、僕のその日は最悪だった。


 朝の小テストは、勉強してきたところと違う箇所から出題され、僕は追試になった。英語は先生に当てられても答えられず、立たされて質問責めにされたし、数学は宿題を家に忘れて叱られた。

 そして、極め付けは、弁当をうっかりしてひっくり返してしまい、売店は売り切れ間近で小さなアンパンひとつしか買えず、僕の昼ごはんは腹の5分の1も満たせなかったのだ。そんな散々な一日が僕の心に隙間を作った。



 夕方の補習はサボることにした。

 朝に見たムーミンの家を見に行ってやろうと思った。


 ムーミンが好きだからなんて可愛い理由じゃない。あんな家に住むのはどんなヤツなのだろうかと、きっとムーミンに似てお腹がぽってりしたヤツに違いない。

 そんな愚かなヤツを笑ってやろうという歪んだ気持ちだった。

 ちょっとした憂さ晴らしのつもりで、いつもと違うことがしたかった。


 電車の中から見る街並みと、自分の足で歩く街並みは立体感が違っていて、僕はムーミンの家を探すのに苦労した。

 スマホのマップでこの辺りと検討を付けたのだけど、見つからず、辿り着いた頃には薄暗くなってきていた。


 その家には庭があり、生垣がぐるりと取り囲んでいた。家の中には明かりが灯っている。


「あなた、何をしているの?」


 声がして、僕はぎくりとした。僕は今、人の家を生垣から覗き込んでいる格好だ。


 こんな薄暗い中、人の家を覗き込むヤツなんて、泥棒とかイタズラをしにきたとか思われても仕方ない。

 捕まったら、学校に通報されて、親にも連絡されて、面倒なことになるかも。


 どうしよう。


 その時、僕のお腹がぐうと鳴った。


 声の主はクスッと笑った。

 外国人のおばあさんだった。色白でシワが多く彫りが深い。

 青い目。服装は黒っぽかった。絵本に出てくる魔女のようだ。


「おや、坊や、私のクラフティ・オ・スリーズの香りを嗅ぎつけてきたのね、いいわ、御馳走してあげる。いらっしゃい」

「い、いえ、僕はそんなつもりは……」

 僕は断って立ち去ろうと後ずさる。


「あら、じゃあ、どんなつもりでうちを覗いていたの?」


 そう聞かれると、身も蓋もない。


「お邪魔します!」


 笑顔を作って、おばあさんの後に続いた。お腹も空いていたし、いい匂いがしたのは確かだ。


 ムーミンの家の中には、玄関を上がってすぐにキッチンがあり、もう一人の外国人がいた。


僕と同じくらいの年頃の女の子だ。髪の毛は黒に近い茶色で、綺麗な娘だった。


「あら、可愛い子じゃない、おばあちゃん」

と女の子は笑顔を見せてくれた。


「突然お邪魔してすみません。お二人とも日本語が上手なのですね」

「そうかしら」

 女の子は魅力的に笑い、名前はレティシアで、フランス人だと自己紹介してくれた。僕も自分の名前を告げる。


 おばあさんのクラフティ・オ・スリーズは、ボコボコと赤黒い穴を空けたような見た目の焼き菓子だった。

 サクランボのケーキで、カスタードプリンのようなトロッと滑らかな甘さの中にサクランボの酸味があり、びっくりするほど美味しかった。


 焼き立ても美味しいけど、冷やしても美味しいのよと、レティシアは笑った。


 美味しいを連発する僕に、おばあさんとレティシアは、

「あなたの方が美味しそうよ」

 と笑う。


 なんの冗談かと僕は愛想笑いをする。

 そして、今日の学校での僕の一日を二人は笑って聞いてくれた。  


 今日のお礼に、次は僕のお気に入りのケーキ屋のケーキを持ってきますねと約束して、僕は二人にサヨナラを言った。



 その週末は天気が良かった。


 僕はケーキを買って、ムーミンの家に向かう。


 外国人の友人を持ったことで、同じような毎日から抜け出せるキッカケを見つけた気がしていた。


 ワクワクしながらムーミンの家に着いた僕は自分の目を疑った。


 ムーミンの家は「売家」の看板が立ててあり、僕が来た時とは雰囲気が違っていた。

 どう見ても何年も前から住んでいないボロボロの家だ。家全体の色が燻んでいる。


 僕はしばらく呆然として、その家の前に立っていた。


 先日の僕はどこへ行っていたのだろう。


 あの二人は誰だったのだろうか。僕は生垣を覗き込む。


「あなた、何をしているの?」


 と言ってくれる声を待った。

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