第2話 『さんせっとトシロウ』に関連する話 前編
サナは七時くらいに目を覚ます。
朝食を食べ終えたくらいで、家の前を歩いていく小学生の声が聞こえた。サナはその声を聞かないように心掛けた。
それからは、夕方までお母さんの手伝いをしたり、漫画を描いたりした。これが、いつもの過ごし方だ。そうしてる間も、コンと、そしてイクのことをぼんやりと考えてしまう。
十五時ごろにサナの家に電話がかかってきた。いつもこの時間にかかってくる。相手はサナのクラスの担任であるマサヒコ先生だ。
『サナさん、学校ではね、さんせっとトシロウの物まねが流行ってるんだ』
マサヒコ先生は電話越しにそんなことをいった。
「さんせっとトシロウ?」
サナは受話器を耳に当てたまま首をかしげる。
『まあ、それはそれとして、今日もプリントはセリカさんが持っていくそうだから、受け取っておいてね』
「はい」
ちょうどそのとき、インターホンが鳴った。
「あ、丁度セリカが来たみたいなので、電話切りますね」
サナはそういって、受話器を置いた。
「サナ、セリカちゃんよー」
玄関から、お母さんが呼ぶ声が聞こえた。
玄関までいくと、そこにはセリカがいた。セリカはサナより一つ年上、つまり小学校五年生の女の子だ。サナと家が近いことがあり、小学校に入る前から交流がある。
「サナちゃん、今日のプリント」
セリカはランドセルからクリアファイルを取り出し、はさんであった紙の束をサナに差し出す。
「ありがと」
「うん。いいよこのくらい」
「ところでさ、セリカ」
「なに?」
「さんせっとトシロウって誰?」
セリカは少し考えるような仕草の後、意を決したような表情になる。
そして、呪文のような言葉と共に、不思議な動きの踊りをした。
「さんさんさんさん、さんせっと。いち、に、さん、でさんせっと」
終わるやいなや、セリカは顔を真っ赤にしてうつむく。
「これ、知らない? 最近よくテレビに出てる芸人さんだよ」
うつむきながら、小さな声でいった。
「芸人なの? 今の、笑えるのか?」
サナは首をかしげた。
「もー。恥ずかしかったんだから、せめて笑ってよー」
セリカは大声でそういうと、走って帰っていった。
もらったプリントに一通り目を通したあと、サナはコートを羽織り、ショルダーバックを肩に掛け、家を出た。駅の方向にむかって歩いていく。
足下では、昨日まで降っていた雪が踏み固められて氷に変わり、一歩ごとにジャリジャリと音をたてた。
五分ほどで『和食処 若櫻』に到着した。 コートのポケットから古びた鍵を取り出すと、入り口のドアを開けた。
「あ、いらっしゃい」
「こんにちは」
店内にはコンとイクがいた。コンは厨房に立っており、イクはカウンター席に座っていた。
「うん。お疲れさま」
サナはそういって、ドアに鍵をかけた。
「なにか思い出せた?」
サナはそういいながら、イクの横に座る。
昨日、サナが帰ってからお店にはコンとイクだけだった。そこで、二人はどんな会話をしたのだろう。それが気になった。
「コンさんには、いろいろ聞きました。このお店のこと、コンさんのこと……。でも、なんにも思いだせません」
イクは首を横に振る。
「大丈夫、大丈夫。幽霊はいくらでも時間があるんだ。急ぐことない。それに、ウカ様もそのうち来てくれるらしいし」
その途端、サナはふと違和感を感じた。
「なあ、イク」
「なんですか?」
しかし、感じたものについて深く考える前に、違和感は消えていった。だから、気のせいなのかもしれない。
「まあ。大丈夫だ」
サナはイクの背中をバンバン叩いた。
「はい」
イクの返事は短い言葉だったが、どこか少しうれしそうだった。
カラン。
そのとき、店のドアにかけたベルが音をたてた。三人の視線が一斉にそちらに向く。
「ここは……」
そこにいたのは、年老いた男性だった。
「いらっしゃいませー」
コンは落ち着いた声でいった。
おじいちゃんはゆっくりとカウンター席まで歩いてくると、椅子に座った。
「こんなことをいうと、ヘンかもしれないが、ここがどこか教えてくれないか? 頭は元気だと思っていたが、ついにボケてしまったらしい。はやく病院に戻らないと」
コンは短く息を吐く。
「おじいさん。戻らなくていいですよ。おじいさんは、もう、亡くなられています」
「いつものように鎮静剤で眠たくなって、そうか、そのまま死ねたか」
自分の手を見つめる老人は、どこか嬉しそうだった。
「おじいちゃん、嬉しそうだね。死にたかったの?」
サナが尋ねる。
「死にたかった。ああ、そうだね。末期癌で五年もベットの上だった。鎮静剤が入ってからは、自分がおきているのか、寝ているのか。現実なのか、夢なのか。それすらもわからなくなった。それならいっそ、死んだ方がマシだ」
老人がいい終わると、コンがゆっくりといった。
「死が救いやったってことですか?」
おじいちゃんはうなずいた。
「ああ、救われたよ」
「苦しくなくなったんですね。よかった」
コンはいつもの優しい笑顔で厨房の奥へと歩いていった。
「でも、おじいちゃん。生きていたときに強い想いがあったんでしょ? じゃなきゃこの店に来ることないも。私はサナ、長尾サナ。その『想い』私がなんとかするよ」
サナはまっすぐに老人を見ながらいった。
図書館へいきたい、といったのでサナはショルダーバックを肩からかけて、老人と一緒に店を出た。コンもイクも店に残るといった。
「君たちは一体なんなんだい? 死神かい?」
歩きながら老人はいった。
「死神? そんなんじゃないよ。私はただの化けギツネだ。ウカ様っていう神様に与えられたお役目で、死んだ人たちが、出来るだけ気持ちよくあの世へ逝けるように、お手伝いしてるだけ」
「店にいた二人もおキツネさんなのかい?」
サナは首を横に振る。
「コンは人間の幽霊で、お役目を手伝ってもらってるんだ。イクは、よくわかんない」
そこまでいってから、急に思いだしてこうつけ足した。
「あ、そうだ。おじいちゃんは幽霊だから、お店を出たら周りの人からは見えないし、物に触れることもできないから、気をつけてね」
おじいちゃんは小さくうなずく。「わかったよ」そういった後、周囲を見渡す。
「この町も、ずいぶん変わったな」
「そうかな? なんにも変わらないように思うけど」
サナも、老人にあわせて周囲を見渡す。雪が積もった田畑と、そのむこうには同じく白くなった山々が見える。
「私はね、昔ここの町長だったんだ」
おじいちゃんは独り言のようにいった。
「町長さん? すごいな」
一応そういったものの、サナには町長という仕事がよくわかっていなかった。
「町をもっとよくしたい、純粋にそう思って仕事をしていたし、実際、建物や道路なんかだけじゃなく、目に見えない町の仕組みもたくさん変えた。みんなを幸せにできた。私のやることに反対する者もいたが、それは世の見えていない愚か者だと思っていた」
それから「今にして思えば、ただのおごりだったよ」と付け足した。
「よくわかんないけど、ちゃんと幸せになった人もそれなりにいると思うぞ」
サナがいうと、おじいちゃんは微笑んだ。
「ありがとう。サナちゃんは優しいね」
やがて、学校が見えてきた。小学校と中学校が同じ校舎で一つの学校となっている。
「知っているかい? この学校も、昔は小学校と中学校が分かれていたんだ」
おじいちゃんの言葉に、サナは小さくうなずく。
「お姉ちゃんがそういってた。小学校に通っている最中に、学校が変わったって」
すると、老人は驚いたような表情を浮かべる。あれ、なにかおかしいこといったかな?
「君たちキツネも、学校に通っているのかい?」
ああ、そこか。
「うん。そうだよ。キツネに限らず、神獣は、普段は人間と同じように暮らしていることが多いんだ。神様は人間の願いを叶えて信仰を集める。そのためには、人間に近い場所に使いがいる方が、都合がいいんだって」
放課後のグラウンドでは、サッカーをする男の子たち、一輪車の練習をする女の子たちが見えた。
サナはじっと、その様子を見つめる。少し前までは、サナもあんな感じの輪の中にいたはずなのに、その輪のなかでどんな風に振舞えばいいのかわからない。
「本当に、普通の人間にしか見えないよ」
おじいちゃんがいう。それはいきっと、本当は喜ぶべきことなのだろう。人間に化けていて、人間に見られているのだから。尻尾も耳も出していない。優秀だといわれているようなものだ。
でも、素直には喜べない。これほど人間に近いのに、サナの本質はキツネなのだ。人間は仮の姿。どれほど近付いても、あの輪の中に入ることができたとしても、絶対に越えることのできない一本の線がある。
「うん。普通の人間だ」
サナはそういった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます