第6話
今日は満月だ。
その姿は何とも美しい。
私は月を見るのが好きだ。
月齢は問わない。
満月も好きだ。
半月も好きだ。
三日月も好きだ。
それ以外であっても好きだ。
どんな姿であろうと、それを惜しげもなくさらけ出してくれる月が好きだ。
時に恥じらい、雲の向こうに隠れる月が好きだ。
姿を見せる時間を毎日ずらしてくるいじらしい月が好きだ。
いつもいつまでも美しく妖しく輝く・・・・
いい加減やめよう。
文字を並べる才の無い私がこれ以上駄文を書き続けても時間の無駄だ。
それはともかく、月が好きなのは事実である。
ただぼんやりと月を眺めて過ごす時間も好きだ。
月を見るとなんとなく心が癒され、元気が湧いてくる気がする。
恐らく気のせいだろうが、元気の有る無しは気持ちの問題なのだから、
気持ちで元気になったのなら効果はあると思って良い筈だ。
東京の夜空で輝きを放つのは月のみである。その輝く姿が私に元気を与えてくれるのだと思う。
私は月が好きだ。
一方で太陽の光も好きだ。
暖かい日差しが好きだ。
こちらの光もまた、私にエネルギーを与えてくれる。
実際は、月が与えてくれるものと太陽が与えてくれるものは異なっている。
太陽が与えてくれるエネルギーは身体が求めているものである。
詳しいことはネットで検索されたし。
1日を生きる為の力の源となるのが太陽の光だ。
月が与えてくれる元気は心が求めているものである。
1日の終わりを告げるその光によって心を安らげ、明日を迎え入れる準備が成されるのだ。
こう書くとなんとも理に適った構造のように思える。
しかし後半は私がそう感じているだけである。故にいまいちピンと来ない説明になっている。
結局は月が好きだと言いたいだけなのだが、
月の光云々と聞いてこう思う人が居るだろう。
「月は自分が光っているのではなく、太陽の光を反射しているだけだろう」
と。
そう、朝にエネルギーを与えてくれる光も、夜に元気を与えてくれる(と思い込んでいる)光も、元は同じ太陽光である。
月の光と思っている物も実際は太陽の光なのだという。
しかしそんなことはどうでもいい。
私が思うことは「月の光も太陽光ということは、やはり元気を貰えるのは気のせいではないだろう」ということくらいだ。
出所が何であろうと、その光が月から放たれていることに変わりは無い。
故に「月の光」は「月の光」なのだ。
この太陽と月のような関係は世の中でも様々な場所で目にするような気がする。
発信は人々の目に見える存在が行っているのだが、元を作っているのは別の存在というもの。
色々あると思うが、
例えば有名なコンビニやスーパーマーケットのプライベートブランドとして売られている商品は大体製造元が別の会社である。
あるドラマが話題になった場合、大抵その話題の中心となるのは原作や台本を書いたではなく主役を演じた役者だろう。その役者による作品として評価される。
演技が評価されて話題を集めることもあるが、物語が評価されたとしても役者が話題に挙げられている気がする。
あまり沢山見ている訳ではないので実際の所はわからない。
また実際どうだからといって、それに対してどうこうつもりも無い。
あぁそうなのか。と思う程度だ。
そんなことより、今日は月を見よう。
明日も月を見よう。
明後日も。
月を見よう。そして癒しと元気を与えてもらおう。
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