天使の卒業式

プロローグ

卒業式とバイバイ

「セイ君、ちぃね、バイバイしないといけないの」

 公園のブランコに乗った幼馴染は突然別れを告げた。

 舌足らずな話し方も、小学生の時からまるで変わらない、「千尋」という名前が由来の一人称も、僕への呼び方も、全く緊張感がない。

 今日は学校の卒業式。僕たちも来年はこの中学校を卒業するんだなと、話していた矢先のことだった。

「バイバイって、転校するのか……?」

 ちぃがこんなくだらない嘘をつく性格ではない。むしろ嘘が下手な性格だ。だから「転校なんてあと一年待てばいいじゃないか」と続ける僕にちぃは首を横に振った。

「もう、決まったことだから」

「引っ越し先はどこなんだ?」

 場所さえわかれば手紙ぐらい送れる。ちぃの家は貧しいから携帯を持っていない。でも、文通なら。けれど、その淡い期待さえ壊された。

「ずっと、ずっと、遠いところ。もう、セイ君に会えないところ」

「千尋、まさか……病気でも……」

 ちぃはそれに答えず、ブランコをこいだ。赤錆が幼馴染の少し焦げた肌を色づける。早い下校時刻の陽光は春の訪れが垣間見える。けれど、公園の桜の木はまだ蕾すら固く、僕たちの間に流れる空気は鋭い冷たさだ。

「千尋、今までどうして黙っていたんだ!」

 ちぃは僕の問いかけが聞こえないのかブランコをこぎ続ける。紺色のスカートが揺れていく。ちぃの顔は寂しそうで、でも、どこか強さを感じて。勝手に自己完結している気がしてイラついた。

「千尋! 何とか言えよ!」

 ちぃは変わらない。大きな瞳は目の前を見据えている。瞳に僕は映っていなかった。

「ちぃ!」

 小学校の頃の呼び方になるとちぃは浮いた勢いを利用してブランコからやっと離れた。それも体操選手の着地のようなポーズをとって。そしてにっこりと振り返った。

「セイ君は死んじゃダメだよ」

 はあ? どういうことだ。本当にちぃは死んでしまうとでも言うのか。こんなに元気そうなのに。

「それはこっちのセリフだろ」

「でも、ちぃはセイ君とバイバイしないといけないから」

 頑なにちぃは理由を話さない。転校するのか、病気なのか、それすら推察する言葉さえ教えてくれない。

「もしかして、寂しいの? だよね、だよね。なんたって、ちぃは美少女だもん」

「あのな……」

 悲しい面持ちから一変。いつものうざったい、幼馴染と言うよりは、もはや腐れ縁の僕たちに戻った。いつもなら流せるその独特なペースと冗談が今の僕には限界だった。

「セイ君、寂しいなら、よしよししてあげ……」

「もういい。引っ越しでも、入院でも、勝手にしろ」

 ちぃを一人公園に残して僕は自転車に乗って帰路へと去っていく。すっかり空は茜色に染まって、雲は微かに夜の気配をも連れてきていて、僕は怖くなった。

 どこにでもある田舎の中学校で行われた卒業式の当日。

 突然別れを告げた幼馴染に腹が立って怒りながら帰った日。

 僕はずっとあの日を後悔し続けるだろう。

 三月のとある日。ちぃが交通事故で亡くなった。

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