第1話 終わりと始まり・・・


 僕の名前は蒼井 空。もう十五歳になるらしい。両親は外に広がる空のように自由に育って欲しいと、この名前をつけたそうだ。


 でも、僕の知っている景色はたった一つ、この真っ白な景色だ。

 

 真っ白な壁に、覗くことしかできない小さな窓。会話用のモニターと、並べられた医療器具。僕の心音を告げる音が鳴り響くこの部屋が、僕の知っている唯一の景色だ。生まれながらにある病気を患っていた僕は、この部屋から外に出たことがない。


 そんな、空の広さも知らない、自由とも程遠い僕に出来たのは、本を読むことくらいで、そのおかげか知識だけは他人よりも多かった。お医者さんなんかは天才だと持ち上げてくれるが、比べる相手さえ知らない僕には何の意味もない。


 集めた知識が僕に教えてくれたのは、僕の病気が不治の病で、いつ死んでもおかしくないことと、僕の知ることの出来ない外の世界の事ばかりだった。まったく、神様というものはなかなか理不尽なものだ。


 どうして神様はこんな僕を作ったのだろうか?


 人は生まれながらにして何らかの役割を持ち、その為に生きるそうだ。そして、それを人は運命と呼ぶようになった。


 だとしたら、僕の役割とは何なのだろうか?

 

この部屋でただ呼吸を続けることが僕の運命なのだろうか?


 最近はそんな事を毎日考えている。考えているのだが、何も持たない僕から明るい答えが出るはずもなく、行き着く答えはいつも決まっている。


 神様って理不尽だ。


 しかし、その日々も突然として終わりを告げる。


 いつものようにくだらない事を考えていると、急に痛みが押し寄せてきた。

意識が遠のいてゆく。

 

 そうか、とうとうその時が来たのか・・・。


 だが、恐怖はない。それは常に隣にあったから。

 ただ少し・・・眠りにつくだけ。


 でも、もうちょっと予告とか、前触れとか出来ないのかな・・・。

 やっぱり最後まで理不尽だ・・・。

 

 ゆっくりと目を閉じる・・・。



 「理不尽、理不尽うるさいぞ人間」

  誰かの叱りつける声。

 

 目を開くとそこはいつもと同じ真っ白な部屋だった。一つ違うのはこの部屋にもう一人、僕の目の前に偉そうに腰掛ける女の子だ。

 女の子と言っても、僕よりは年上だろうか、すごく端麗な容姿をしている。もちろん僕が実際に見たことがある女性というのもかなり限られるのだが、そんな僕でも思わず綺麗という言葉が口から出そうになるほどだ。


 「聞いているのか人間。お前のためにわざわざきてやったのだぞ、こちらを向け‼︎」

 女の子が刺々しい声で僕を睨みつけている。あまりの綺麗さに緊張し目を合わせられなかっただけなんだけれど・・・。


「あのー、すいません。僕ですかね?」

「お前以外に誰がいる、見てわからんのか‼︎」

「あっ、そうですよね。それでどちら様ですかね?」

「どちら様って神様に決まっておろうが!馬鹿なのか‼︎」


 いろいろ言いたい事はあった。

 というか、どうして僕はこんなに責められているのだろうか。

 それもさておおき、どうやってこの部屋に入ったのだろうか?

 そんなことより、初めてのお客さんである。ただでさえ両親とお医者さん以外と話すのは初めてで、それだけでワクワクしているのに。


 万が一に備えて本で勉強した社交術を発揮するチャンスが訪れたのだ。もてる限りの笑顔を作る。


「神様っておっしゃるんですね。はじめまして、僕は蒼井 空って言います。」

「そんな事は知っている。」

「素敵なお召物ですね。」

「ただの仕事着だ。」

「本日はお日柄も良く・・・。」

「私が決めたからな。」

 

 会話を弾ませようとしているのに、まったく通用しない。論語読みの論語知らずとはよく言ったもので、やっぱり経験は大切なようだ。


 だが、このすげない態度。神様というのも本当かもしれない。

だいたい、僕は死んだはずだし神様ぐらい現れてしかるべきだろう、などと納得して見せた自分の豪胆さは神様レベルかもしれない。


「それで、そのお忙しい神様は、どうしてわざわざ僕のところにいらしたんですかね?」

「うむ、よくぞ聞いてくれた。それはお前の今後を決める為だ。先に言っておくが、お前はこれから死ぬ」

 

 僕は少し驚いた。それはこれから死ぬという事ではなく、まだ死んでいないということにだ。僕は生きている間に神様に会えたのだし、讃えられて然るべき偉業なのではないか?などと考えていた。


「しかし、私のところにお前の人生に対して異議申し立ての文書が届いておってな。たまたま目を通したんだが、まぁ、神の私からしても、確かに少しだけ哀れなものであった。そこでだ、お前に選択の余地を与える。このままただ死ぬか、転生して別の世界で人としての生を続けるか選ぶがいい。」

 少女(自称神様)は堂々と言い放った。


 急に出てきて、死の宣告かと思えば、異世界転生させてやるとは、理不尽を通り越して無茶苦茶だ。


「あのー、病気を治す選択肢はないんですかね?」

「無い。お前が死ぬという運命は既に採択された。続きを歩む機会を与えられただけありがたく思え。」


 はぁ、神様というのは情けのかけ方を知らないのだろうか。

 話を整理すると、僕が死ぬのは確定らしい。ただ、この記憶を維持したまま別の15歳の少年と結合し異世界に生まれ変わる事を選択できるらしい。


 もし転生するとしたら、なんだか転生相手を申し訳なく思ってしまう。僕を救うために他の人を犠牲にしては本末転倒ではないのだろうか?こんな神様が世界を作ったのなら、世界から争いが無くならないのも仕方が無いのかもしれない。


「それでどうするのだ。早く選べ。」


 生きるか死ぬかの選択なのだ、迷う余地など無いだろう。などと言いたげな顔で僕を見る少女(自称神様)。

 そう、楽観的に考えれば、僕はまだ生きることができるのだし、答えは簡単なはずだ。問題は、僕は生きたいのだろうかという事だ。


 そもそも生きるとは何なのだろうか?


 僕にとって生きるとは、呼吸が続くことと、本を読むことでそれをまだ続けたいかと言われると答えはノーだっった。それは生きるということではないのだろう。


 僕は・・・、僕は本当にこの世界を生きていたのだろうか?

 ふと自分の存在に不安を感じる。


 それと同時に僕に浮かんだのは、両親のことだった。

 

 正直、なぜ二人が僕を生かし続けてくれていたのか、僕にはわからなかった。病院の費用だって安くはないだろう。なのに治りもしない病気の僕の為に、毎日お見舞いにまで来てくれていた。隔離されたこの部屋では、触れる事さえ許されないのに。


 他人というのは僕にとってすごく遠い存在で、二人も例外ではない。それでも二人の笑顔と、時折見せた涙が僕には温かかった。


 それが生きるということなのだろうか?


 なんだか急に自分が死ぬということが悲しくなった。それは死への恐怖ではなく、二人への申し訳なさだ。僕が死ねば二人にとても大きな悲しみを与えてしまうだろう。

 自信を持ってそう言えるというのもおかしな話だが、悲しみを与えられる僕は確かに生きているのだろう。


 生きるという事は他の誰かに何かを与える事なのではないだろうか?


 だったら・・・僕は誰かに与えたい。悲しみではない、温かい何かを。生きた証が悲しみだけなんて、それこそ悲しすぎる。


 長い自問の中で、僕の答えは決まった。


「僕は生きたいと、生きてみたいと思います。」

「うむ。であろうな。まったく人間という生き物はこんな簡単な問いも迷いおってから。」


そういうと彼女は僕の手を握りしめた。


「では、たった今から転生を開始する。最後に1つアドバイスをくれてやろう。生きるとは従うことではない、抗うことだ。しかと生きて見せろ‼︎」


言葉の真意はわからない。それに返答する間もなく眩い光に吸い込まれてゆく。


 蒼井 空という少年はわずか十五歳にしてその短い生涯を閉じた。もっとも彼を知る人は一部の医療関係者と彼の親族だけだった。彼のために流れた涙は、人からすれば少ないものだったのかもしれない。ただそれが間違いなく示すのは彼という少年がここに存在したことだろう。


 この日、彼の人生は終わり、そして始まったのである。

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