一月二十八日

『今日の感想』


なんか、最近は呼吸するのが面倒くさいです。

心のどこかで死にたくはないな、とか思ってはいますがあくまで肉体的な話。

自己概念を悉く破壊したいという妥協でも満足出来そうですが、存在を消した方が......あーあ、やめやめ。こういうのスパイラルにハマって時間の浪費でしかないからやめようか。


人間辞めたいな。いや、寧ろその状態自体が空想であるが故に届かないもどかしさ、絶対さ、美しさがあっていい。そう、これでいい。


ああ、そうそう。ホントにくだらない雑談をするのも迷惑だろうから、最近破壊された夢の話を。

自分は生徒会役員なのですが、「バレンタインイベント」って案外上手くいかないものなんですね。

ほら、単純に考えて何かを誰かにプレゼントするのは最低でも一人対一人の人間がいないと成立せず、それに私情を挟むだろうから公平さは保たれない。

また、強制にするのも一部から反感を買い、最悪文化祭時の地雷原にしかならない。トラウマ植え付けられちゃったりしたら本当に何が起こるか分からない。

チョコだ花だメッセージカードはモノで纏められるが、その要素をバレンタインから引き抜いたとしても、男女関係を出した時点でみんなが幸せになれるわけじゃない。


極力、理想という幻想に限りなく近いものを提供することが自分の奉仕精神の根幹だし、御託はいい。「グッドエンドはよ」とかさ。


自分はなんとなくこの生徒会の仕事に人格的に適性があると思っている。

大衆を扇動することは(選挙時以外)苦手だし、すぐにきょどってしまうなどの外面じゃなくて、内面。

結局、思索にふけるといつもここに辿り着くのだが自分は他者が死ぬほど嫌いなのだ。

死ぬほどというのは勿論肉体的なものではなく、精神とか立ち振る舞いが、だ。

そもそも、肉体的に死ぬなんて怖くて出来っこない。


他人が嫌いというのは平等に嫌い。

他者が自分に刺し、自分も他者に刺す棘ではなく中身......ここでは毒とでもしようか、それが嫌いだ。

存在が嫌いという訳じゃなくて、いやでもそれが一番近いからそういう解釈でいい。自分もそうしてる。


棘を落とせばみんな平等に嫌いだから、平等に扱える。私情は皆無であり、全体の代弁者で「みんなもこうおもってるよ」みたいな思考もクリア。

「嫌いだからどうでもいい。幸せならそれでいいけど、俺は自分の通う高校の生徒というコミュニティに属する人がみんな嫌い。大嫌いではない。嫌いなのだ」


だから色恋とかクソどうでもいいし、第一に自分が高校でもっとも忌み嫌う概念だから、どうでもいいのは当然。


だからこそ幸せになって欲しい。嫌いだからシンメトリーになりたい。

片方はリア充、片方は自分。理想は理想であって欲しい。


だから壊さない。そもそもバレンタインデーは親子でメッセージカードを送り合った方がいいのだ。


甘い色恋よりも暖かい感謝を。


自分はまるっきり恋愛脳じゃないから小中高で付き合うことのメリットが分からない。

その彼氏彼女、本当に大丈夫なのか?


アンチ青春、アンチバレンタイン。


ではまた。

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