第247話 またも女神様

「すごいね、この水、どこまであふれるんだろう?」


 マルヤムが黄金の瞳を輝かせて、流れの行方を目で追う。


「砂漠の表面はカラカラに乾燥しているけど、まわりの山に降った雨雪がしみ通って、地下には豊かな水脈があると言われている。だけどあの岩盤がふたをして、出てこられなかったんだ。フェレの魔法で岩盤にひびを入れたから、地下水があふれてきたんだろうね。たぶん、千人やそこらじゃ使い切れないほどの水が出てくると思うよ」


「ふうん……やっぱりファリド父さんは物知りさんだね」


「父さんは、たくさん本を読んだだけだよ。本当にすごいのは、フェレ母さんだ」


「うん、母さん、すごい!」


「……私は、リドの言う通りにしただけ」


 娘の無邪気な賛辞に、白い頬を桜色に染めるフェレ。ファリドがその肩に手を回せば、マルヤムが華奢な腰にがばりと両腕で抱きつく。少しばかり若すぎる両親だが、その姿はまさに本当の親子のようである。子供の頭に、角があるのを除けばなのだが。


「実に絵になる親子だな」


「ええ、そして私は今日、『女神』の奇蹟をまたひとつ、この目で見ることができました……」


「うむ、まさにあの美しい娘は『女神』。崇め奉れば慈愛の光で包んでくれようが……敵に回せば苛烈な神罰が下ろう。彼らに対して、お前とムザッハルが紳士の振る舞いをしていたことを、感謝するしかないな」


 すでに「女神の奇蹟」を知っている皇帝父子は落ち着いたものだが……砂漠の民たちは命の水を得た喜びと、彼らの理解の外にある豪快な業を目にした驚きに、ざわめいている。


「この豊かな水量……これで麦畑を復活させられるかも……」

「子供に濁った水を飲ませずに済むぞ……」

「毎日洗濯ができそうだよ!」


「あれは、あの若者の力なのか?」

「いや、手順を考えたのは男だが、すげえ力を持っているのは、女の方らしい」

「素晴らしい、いやむしろ恐るべき力……まるで洪水と戦いの女神、サティスのような」

「あの静かなたたずまい、そして宝石のような目の輝き……まさに女神サティス」


「サティス様!」「おお、水の女神が降臨された!」「ああ、なんと尊い……」


 フェレが目を丸くしている間に、砂漠の民たちは勝手に突っ走る。


「こうしてはいられねえ、今日は祭りだ!」

「そうだね、神様がこんな辺境にお越しになったんだ、精一杯おもてなししないとね!」


 民たちは、口々に喜びの声を上げつつ、時ならぬ祝祭を準備するためなのか、一斉に散っていく。ファリド一行は、その暴走を呆然と見守るだけ。


「それにしても、イスファハンではアナーヒター神、テーべではイシス神、そしてここではサティス神か……あの娘はどこへ行っても、無自覚に女神の奇蹟を振りまいて行くのだろうな」


「そうですね、父上。ですがそれは、優秀な神官が導いてこその奇蹟でしょう」


 その女神と神官のもとへ、まだ驚愕から戻り切っていない族長ジャミルが、ふらふらと歩み寄る。


「フェレ様……と仰られたか。それとも、女神様とお呼びすべきか……」


「……フェレにして」


「枯れかけたこのオアシスに、もう一度未来を授けてくれたこと、感謝の言葉も見つかりめせん。めがみ……いや、フェレ様がおいでにならなければ、我々の多くは流浪の民にならざるを得ないところでありましたが……」


「……うん。みんなが喜んでくれたのは、嬉しい」


「この上は……我が一族、ことごとくめが……いや、フェレ殿に従いますぞ。われらとその子孫すべて、サティスの化身であるフェレ様の命ならば、いかなることでも成し遂げます」


 ジャミルの目が感動に潤み、その瞳には憧憬と信仰の光が宿っている。左右の住民も同じような表情になっていることを認めて、ファリドはため息をつく。若干やりすぎたような気もしないでもない彼だが、砂漠の民の支持を短期に勝ち取るためには、これより良い方法はなかっただろう。そしてその「女神」が口を開く。


「……私に従うというなら、ハディードと仲良くして。それが私の望み」


 相変わらずのもっさりスローな口調だが、信じる者の目にはそれが思慮深いがゆえのものに聞こえるらしい。族長ジャミルの表情に、尊い存在からの言葉を直接受けるよろこびが満ちてゆく。


「はっ、は……承知いたしました。私とその一族はフェレ様の意に従い、帝国、いやハディード殿下の傘下に降りましょう。そしてマーリ国との間を交易でつなぎ、殿下に富をもたらすことをお約束いたしますぞ……女神サティスの名に懸けて」


 そこまで一気に宣言すると、ジャミルがハディードに向き直る。


「聞いての通りだ。我々は貴殿に従おう。将来はテーベの一部として働くが……まずは貴殿らをテーベの権力中枢に戻すために、力を尽くすとしよう」


「ありがとう。この助力、決して忘れません」

「儂もテーベ皇帝として、感謝申し上げよう」


「ふむ……貴殿らに『感謝』を示す気持ちがあるならば、ここにおわす女神さまに。女神さまとその神官が望むことを、ぜひかなえて差し上げてほしい」


 族長ジャミルの言葉に、皇帝父子は納得したような視線を交わした。フェレとファリドが願うこと……それは、平和裏にイスファハンへ帰国することだ。


「わかりました、必ずその望み、実現して差し上げましょう」

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