第215話 お断りいたしますね

「と言うわけでな、アスラン殿下は『軍師』と『女神』と称されるお主らに、殿下の帷幕に加わる栄誉を与えても良いとおっしゃって下さっている。殿下の遠征に同道し、『奇蹟』を起こして殿下に勝利を奉る機会を与えようというのだが、もちろん受けるであろう?」


 最低限の表面を取り繕いつつも横柄かつ高慢な雰囲気が隠せない、でっぷり太った貴族の言葉に、予想していたこととはいえ、ファリドは深いため息をつく。


 結局のところ宰相の助言にも関わらず、アスランは自らファリドの館に足を運ぶことを拒否し、取り巻きの一人である財務次官を派遣してきた。


「虜囚であり、平民上がりの卑しき出自の者に、会う必要はない」


 誇りだけは山より高いアスランに言わせると、そういうことなのだ。


 高慢な態度はともかく、せめて軍事に通じた者を寄こせばいいものを、まったく軍に関係していない財務畑の貴族を説得にあてるところも、最初からボタンを掛け違えている。もっともアスランにとってこれは「説得」や「お願い」ではなく「命令」なのであるから、このような対応になってしまうことも、やむなきことか。


 フェレは安定の仏頂面だが、常にはない怒りのオーラが、隣に座るファリドにびんびん伝わってくる。


―――これは、フェレが「燃やそう」とか考える前に追い返すに限るな。


「私たちは、皇帝陛下直属の客将です。陛下の勅命あらば従軍もやむを得ませんが、それ以外では動きません。うちの魔術師も連戦で疲れておりますしね」


「何だと、偉そうに! ムザッハル殿下の遠征には唯々諾々と従ったというのに、お前はアスラン殿下を舐めておるのか!」


 もはや外面的な礼節すらかなぐり捨て、貴族ががなり立てる。それも自らの弁舌や実力でなく、盟主アスランの威を借りて。


「とんでもない、舐めてなど居りませんよ。先般ムザッハル殿下はご自身でこの館においでになり、卑賎な出自である私に対し、深く頭を下げられました。そして、対等な友となって、助言して欲しいと求められました。そこまで為されれば、私どもとしても『友』として微力を尽くそうと考えた次第。あれは『友』の危急を救うべく起こした行為であり、決して命令されたからではありませんよ」


「な……殿下に、頭を下げよと言っているのか! 平民出、しかも虜囚の分際で!」


「そんなことは決して申しておりません。ただ、私たちが『行きたい』と思わぬ限り、従軍することなどありえないということです。それでは……リリ、お客様がお帰りだ!」


「お帰りはこちらですわ」


 能面のような表情で、リリが来客の前にある茶器をさっさと片付ける。ファリドに対する塩対応がもはや日常になりつつあるリリであるが、この無礼な貴族に向ける雰囲気は、凍り付くような冷たさだ。


「お、お前ら、儂を誰だと思って……」


「失礼ながら、まったく存じ上げませんね。我らの主人に礼を尽くさぬ者は、犬猫と同じようなものですから」


―――怖っ、リリを怒らせるのは、やめよう。


 いつもの塩対応はまだ優しいものだったということをファリドが実感しているうちに、貴族は頭から湯気を吹き出しながら、帰っていった。


「フェレ様、よく我慢なされましたね」


「え?」


 不可解なリリの褒め言葉に、ファリドは首をかしげる。


「……あと一分帰らなかったら、燃やすつもりだった」


―――なるほど、リリが客を追い払ったのは、奴の生命を守ってやったということなのか!


 リリの芯がやはり心優しい娘であったことに、安心するファリドである。


◇◇◇◇◇◇◇◇


「私の誘いを断るというのか? 下賤な生まれの分際で、多少の功を挙げたくらいで増長しおって……」


 取り巻きから報告を受けたアスランが激怒する。しかし、ファリドたちの戦功を「多少」と言ってのける認識をもっているうちは、彼らがこの皇子と意を同じくすることはないであろう。強制的に従軍させるだけならば皇帝に直訴して勅令を下ろしてもらえばいいのであろうが、積極的に「奇蹟」を使ってくれる気にさせなければ、意味がないのだ。


「やはり、殿下自ら彼らの説得に赴かれてはと……」


「は? 次期皇帝の俺が? あり得ぬな」


「左様ですか……そうなると最後の手段しかございませんが」


 諦めたように、宰相が切り出す。


「最後の? 構わん、言ってみろ」


「彼らが言うことを聞かねばならない状況に追い込むのです」


「うん?」


「彼らの弱点は、やや極端な家族思いのところにあるようで。モスルでも、義姉メフランギス妃の解放と引き換えに、進んで自分の身を差し出しテーベの虜囚になったと聞きます」


「おお、確かにそのような経緯だと聞いたな」


「そして、彼らの館には半魔族の子供が一人おります。下働きと言う名目ですが、調べさせたところ彼らが養女にした少女であるそうで、特に『女神』の溺愛ぶりが凄まじいとか」


 アスランの表情が、にやりと醜く歪んだ。


「なるほど、その魔族の血に汚れた子供を捕らえ、その生命と引き換えに……」


「確実にこちらの言うことを聞かせることはできましょう。ですが事成った後、彼らと対立関係になることが避けられませんので、あまり良い方法とは思えませんが」


「構わぬ、やれ。目的が叶った後ならいくら憎んでくれても構わぬ、いくら優秀な魔術師でも、歩兵が四方八方から寄せてくるのを防ぐ方法など、あるわけがない。奴らには、テーベの土になってもらおうか」


 しばらくもの言いたげな様子を見せていた宰相も、変わらぬ主君の表情を見て小さくため息をつき、静かに退出していった。

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