第187話 弱い?

 国境を再び超えたイスファハン軍は、ほぼ無抵抗のまま街道を前進した。


 そもそもモスル側は、イスファハンが攻めてくるという想定などしていないのである。街道沿いにはいくつかの城砦が配置されているが、そこに配置されているのは精々野盗の群れを蹴散らせる程度の兵力。三万の大軍が堂々と寄せてくるのを見れば、拠点を捨て逃亡するばかり。


 さすがにそれらの逃亡兵が逃げ帰ったことで王都も事の重大さを知り、軍勢を出してきたのが三日後のこと。一万弱の兵が、街道をふさぐように進軍してきたのだ。


「あれは、何のつもりなのでしょうね? 三万の相手に一万ぽっちを出しても、敵軍をほとんど削れないままに全滅させられるだけですけれど?」


「恐らく、時間稼ぎかと。軍主力はカヴァ渓谷の南でテーベと対峙しています。急報を受けてそ奴らが王都に戻ってくるまでの間、我々を足止めできればということでしょうな」


「では、戦術は決まりましたね。時間稼ぎなどさせるものですか! シャープール将軍、私と共に!」


 ミラードと短い会話を交わし、作戦を即決したメフランギスは、あたかも戦神のように凛々しく勇ましい。それに見惚れる兵士たちの中には、彼女の姿を西方から来たりし戦女神ミネルヴァになぞらえる者が、日々増えているのだという。


 メフランギスと部族軍の姿が消えた戦場で、イスファハン正規軍が魚鱗陣の隊形をとり、先頭に重装歩兵の盾を並べつつじわじわと前進する。モスル軍は小競り合いには応じるものの、本格的にぶつかってくることをせず、徐々に後退していく。


「思った通り、援軍到着までまともに戦う気はないのだな。だが、我々が注文通り動くとは限らぬのだ!」


 ミラードの命令一下、重装軍団が敵中央部に向かって、急速に圧力を強める。モスル軍は主力を分断させられることを防ぐため、後退を止めて激しい抵抗を始めた。


「よし、頃合いだ!」


 モスル軍の右には、小高い丘がある。ミラードの眼はその稜線に、一斉に現れた騎馬の大軍を捉えていたのだ。もちろんそれは、メフランギス自らも加わった、部族軍一万五千騎。


「敵の側面を取ったぞ! まだこちらに気づいていない、今こそ好機。誇り高き部族の勇士たちよ、我に続き、存分に功をあげよ!」


 メフランギスが叫ぶなり、先陣を切って丘陵を駆け下る。地鳴りのような雄叫びをあげる部族軍の男たちが、女子に遅れじと一斉に彼女を追いかける。


 完全な奇襲に、もともと兵力に劣り、士気も低いモスル軍が抗し得るわけもない。騎馬隊が突っ込むより先にその隊形は崩れ、あとは我先に王都に向けて逃げ帰るだけ。


「突き崩せっ! 脚を停めるな、駆け抜けるのだっ!」


 シャープールの指示は、ファリドが日頃から「奪うな」「止めを刺すな」「追うな」と説いていた、そのものだ。騎馬兵の本領は速度である。敵将の首を取るためにうろうろするのではなく、高速集団で一気に敵部隊を駆け抜け、一颯を浴びせて離脱、反転してまた突入する。この繰り返しが、最も特性を活かせるのだと。


 そんな中でも、やはりメフランギスの存在は、異彩を放っている。体格からすると少し重めであろう長槍を馬上で自由自在に操り、敵の攻撃を払い受け流したかと思えば、大胆に殴り倒し突き殺す。混乱している敵が、次々とその槍先にかかって果ててゆく。たまさか勇敢に立ち向かってくる兵がいても、並の戦士では彼女の槍に抗うことはできないのだ。かつて軍師ファリドが「妃将軍がやれる」と太鼓判を押した、腕前なのだから。


 そして、部族軍が敵の部隊を切り裂くこと十数回に及んだ時、もはや抵抗する者はいなかった。討ち取ることおよそ四千。降伏し武装解除される者三千、残る二千ちょっとがほうほうの体で王都に逃げ帰ったが、もはや戦力には数えられまい。


「さあ、次は王都ですね」


 少しだけ頬に血色を上らせたメフランギスが、傍のシャープールに告げた。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 結論からいえば、派手な王都攻防戦は行われなかった。


 メフランギスが城外から王室の腐敗を鳴らし、心あるものは起てと煽動しただけで、かねてより彼女を支持していた将たちがあっさりと仰ぐ主を変え、城壁の内側から守備隊を攻め潰して城門を開き、白旗を掲げたのだ。そもそも他国に嫁いだ王女を総指揮官に熱望するような将帥があまた存在したモスル軍である。カリスマ溢れる彼女が凛々しく声を張り上げて招けば、なびかぬはずがないのであった。


 そして一気になだれ込んだイスファハン軍が王都全域を制圧し、面倒事に背を向けて贅沢に溺れていた王族と、民からの搾取で肥え太った高位貴族たちを、一応打尽に捕捉した。国王は前線でテーベと交渉中のため捕らえられなかったが、もはやモスルの統治機構は、メフランギスの手中に落ちた。


「ここまで一週間……『軍師』の残した書状通りに、王都を陥落させることができました」


「いやはや、我々もモスルの連中も、まさに彼の掌の上で、踊っただけのようです。この場に居らずしてこの的確さ……やはりあの若者は、イスファハンの至宝ですな」


「しかしその宝を、私たちはテーベに渡してしまいました。愚かな父と、不甲斐ない私のせいで」


「メフランギス殿下……」


「ああ、落ち込んでいるわけではありませんよ、ミラード将軍。これから速やかに『胡椒の道』を制圧し、父の率いる勢力を平らげ、カヴァ渓谷以北の支配を確立するために、自らを戒めたのです。私たちがモスルの完全な主となって初めて、『軍師』と『女神』を取り戻す交渉を、始められるのですからね」


「ははっ」


 ミラードとシャープールが、最大の敬意を込めて厳かに一礼した。もはや彼らの眼に映るメフランギスの姿は、隣国から嫁いできた小娘ではなく、確かなカリスマをもって君臨する支配者のそれであった。


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