第168話 魔法薬

 三都の南端、城壁に沿って、貧民街が広がっている。街路には饐えた匂いが満ちて、煮締めたような色合いのボロをまとった子供が、ジロリとこちらを睨む。


 ギルド長に教えられた住所に、カシムはいた。両手はカギ爪がついているだけの義手に変わっているが、それを器用に使って何やら屋外のかまどで、料理を作っているようだ。ファリド達は自然な感じで視界に入るように意識しつつ、彼の前に姿を見せる。


「む……お前らは」


「久しぶりだな」


「今更、何の用だ。愚かな男の末路を、笑いに来たか」


「俺はもうあんたに会いたくなかったが、フェレがどうしてもというのでな」


 感情を抑えたファリドの言葉に、意外そうな表情を浮かべつつフェレに視線を向けるカシム。鋭かった眼つきが、柔らかく緩む。


「嬢ちゃん、あの時は悪いことをした。今は……幸せか?」


「……うん。アレフまで危ない目に遭わせたことは、まだ怒ってる。だけど今……リドと一緒に歩けているのは、あなたのおかげ。それを言いに来た」


「そうか、まあ、寄っていけ。湯しか出せんがな」


◇◇◇◇◇◇◇◇


 家の中は、思いのほか片付いて、生活必需品や食料に不自由はしていないようだった。


「若い冒険者が、いろいろ置いていってくれるんだ」


 不思議そうな顔で見回すファリドに、どこか照れたような表情を浮かべながらカシムが説明する。犯罪者扱いとなった今でも、駆け出しの頃にあれこれとアドバイスをし世話を焼いた彼のことを今でも慕って、生活に不便のないように助けてくれる者がいるらしい。


「……その気持ちは、わかる」


 フェレがつぶやく。


「……私たちと会った頃のカシムは、何か嫌な雰囲気をまとってた。でも今は、そういうものが抜けてる。若者の行末を心配する、いい先輩にしか見えない」


「そうか、そう言ってくれるのはありがたい。もう、いろいろ諦めたからな」


「……いろいろ……って?」


「ここに来たってことは、お前らもその辺の事情を聞いてきたんだろう。娘の病気は、もうどうしようもない。まだ寄生虫のやつが頭まで行ってないから意識はあるが、すでにまともな食事も取れんし、日々弱る一方だ。俺に残ってる役目は、最期を看取ってやるくらいさ」


 悟ったような口調で話すカシムだが、娘のことを口にする瞬間、眉がピリッと歪む。諦めたと言いつつも、その事実を受け止め切れてはいないのだろう。


「……カシム。これを」


 フェレが、持ってきた木箱をテーブルに載せる。ガラス瓶が軽くぶつかる、かしゃんと言う音が、カシムの眼を見開かせる。


「嬢ちゃん、こ、これは……」


「……寄生虫駆除の魔法薬。私の魔力を使って、ギルド長が作った。だから、特別価格で譲ってもらった」


「いや、だが、特別価格ったって……」


「……うん、一万ディルハムで」


 そう、ギルド長はイスファハンで一、二を争う薬師、そしてフェレは魔力量なら他者の追随を許さない。そんな二人が協力すれば、薬は作れる。ギルド長はカシムの立場に同情していたこともあり、二つ返事でボランティア調薬を引き受けてくれたのだが……原料としてどうしても必要な火竜と氷竜の肝を購うのに必要なカネは、一万ディルハム。普通の民家なら三軒くらいは建つであろう、庶民であれば一生身を粉にして働いても貯まらない、まさに大金だ。


「何だと! そんな大金を、どうして……」


「……言ったはず。私は今、一杯幸せをもらってる。アレフの生命を助けてもらって、大勢の人に魔法を褒めてもらえて、好きな人にぎゅっとしてもらえる。その切っ掛けを作ってくれた人にも、少しは幸せをあげたい」


「まさか嬢ちゃん、それだけのために?」


 もちろん、ファリドは反対した。フェレと自分を殺そうとしたこの男をわざわざ救う必要性を、まったく感じなかったのだ。だがファリドの言うことならまるで神託でもあるかのように何でも丸呑みするはずのフェレが、今回ばかりは珍しく頑固に説いたのだ。


「……私は、時々考える。もしリドと組まなかったら、人生はどうなっていたんだろうって。私はたぶん、クーロスに殺されていただろうし、アレフはあのまま、病に負けてしまったと思う。父さんと母さんが村で寂しく、私たちのお墓に花を手向けていただろうって。今の私がここに在るのは、リドがいてくれたから。だから私は……大好きなリドに会わせてくれた彼を、見捨てることなんか、できない」


 ラピスラズリの瞳を潤ませた愛する女の上目遣いに、どうして逆らえるだろう。フェレの攻勢に、結局ファリドは陥落した。かくして、つい先月アミールから男爵位と共に褒賞として下賜された金貨……それはアミールがファリドたちに貴族にふさわしい暮らしを調えてもらいたいがため与えたものであったのだが……それが、そっくりこの薬に化けたのだ。


「お、お前ら……」


「……使って。一日おきに、一本ずつ。二十本飲んだ頃には、完治するってギルド長が」


「あんなにお前らの足を引っ張った俺を……」


 そこまで口にして、言葉が途切れる。そしてしばらく感傷に浸っていたらしいカシムが、一つ鼻をすすった。


「ありがとうよ、ありがた過ぎて、似合う感謝の言葉も思いつかねえ」


 その言葉を聞いて、フェレの相好が崩れかかった時……


「だがもう、遅すぎたかもしれねえ」


 部屋の空気が、凍り付いた。

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