第167話 カシムの消息

 冒険者ギルドは、二人がいた頃と変わらぬ賑わいを見せていた。カシムが引き起こした互助会情報漏洩事件でギルド幹部は総入れ替えになったはずだが、混乱もなく冒険者達が活動できていることに、ある意味ほっとするファリドである。


 一緒に寝泊まりしたギルド宿の部屋は、月極めの客が借り上げており、泊まることは出来なかった。なんでも係員が言うには「女神と軍師が過ごした愛の巣、冒険女子のパワースポット」とかいう妙な評判が高まり、二年先まで女性冒険者の予約で埋まっているとのことで……ファリドは肩をすくめるしかない。


 そして二人が出会った「追放窓口」も、変わらず開いていた。もっとも、相談員たるベテラン達の顔ぶれは、一新されている。


「……ここ、だったね」


「うん。フェレがそこに鬼の棍棒みたいなのを立て掛けてて……正直びびったよ」


「……そしてカシムが、リドに私を薦めてくれた」


「そうだったな。動機はアレだったが、フェレに引き合わせてくれたことは、奴に感謝しないといけないかもな」


 とは言え、カシムのせいでほとんど死ぬ寸前まで追い込まれたのである。フェレの命まで狙ったことも含め、もちろんファリドの怒りは感謝より、ヒトケタ大きい。


「……カシム……どうしてるんだろう」


「おいおいフェレ、もう奴は俺達とは関係ないから……」


「……恩というのは忘れちゃダメ。それに……カシムはおカネが必要だから、あんなことをしたって言ってた。よほどの理由があったはず」


 そう言いながらフェレがその細くひんやりとした両手で、ファリドの右手を包み込む。ファリドは小さなため息をつき、そっと握り返した。


◇◇◇◇◇◇◇◇


「アポイントも取らず訪問した無礼をお許し下さい」


「いえいえ、もはやお二人は、ギルド出身の英雄でございますからね。いらして頂けるとは光栄です」


 そう慇懃に迎えてくれる初老の穏やかそうな女性は、三都のギルド長だ。とても冒険者には見えぬ上品で大人しげな風貌で、よく聞けば薬師であるのだとか。幹部が一掃されてかつての高ランク冒険者に適切な人物がいなくなったことで、普段表舞台に出ることのない薬師にまで、順番が回ってきたというわけらしい。だが薬師のスキルだけで金鷲の徽章を三つも取っている彼女が、只者であるはずがないのだ。


「それで……カシムのことをお聞きになられたいとか」


「ええ。彼が今、どうしているのか。そして俺達は、彼があんな犯罪に至ったのは『カネが必要』だからとしか聞いていません。カネがいる理由などご存じでしたら、教えて頂きたいのです」


「もうお二人ははるかに高いところに昇られておられる……カシムのことなど気にしなくてよろしいと思うのですが」


「俺もそう思うのですが、彼女がどうしてもと」


 そうファリドがこぼして、心配そうな表情を浮かべているフェレを見る。ギルド長が視線をそちらに向け、表情を緩ませる。


「さすがは『女神』と称されるお方ですね。自分を殺めようとした者にも慈悲を与えようというのですか……よろしい、お話ししましょう」


 彼女がゆっくりと、語り始める。カシムが互助会メンバーの殺害計画に深く関わっていたことは事実だが、実際に彼が手を下したことがわかっているのはファリドに対する殺人未遂とアレフの誘拐のみ。他の殺人には直接手を出していないのだ。フェレの魔法で重い凍傷を負った両手を失ってしまったこともあり、彼に対する身体的処罰は行われなかった。


 しかし彼の情報漏洩行為は、ギルドが運営する「互助会」に対する信頼を、地に落としかねなかった。事を大っぴらにするわけにはいかず、結局ギルドは彼の預金を全額没収した上で、免職にすることで処罰とした。要注意人物として今も監視がついており、三都の貧民街で病身の一人娘と暮らしていることが確認されているのだと。


「それで……奴がカネを必要としていたというのは……」


「その娘さんのためですよ」


 カシムの娘が患っているのは、悪質な寄生虫による病。最初は痩せていくくらいしか症状がないが、何年も掛けて少しずつ内臓が食い荒らされ、最後は脳まで冒され死に至る。寄生虫自体が魔力を持っており通常の薬で駆除することはできないが、薬師と魔術師の共同研究が実って、現在では魔法薬による治療法が確立されている。


「でも、その薬は、普通の人には手が出るものじゃないのですよ。原料として火竜と氷竜、どちらの肝も必要で、最高の薬師が、最高の魔術師の力を借りて、ようやく調薬できるもの。完治するまでには、三万ディルハムは必要になります」


「うわっ、確かに手が出ない」


 三万ディルハムと言えば、三都なら貴族の住む大邸宅が建つほどの金額だ。


「カシムも金鷲を佩用する一流冒険者でしたから、若いうちはたくさん稼いでいたけれど……娘さんが病んだ頃には、もう引退していたので」


「だから、薬代を稼ごうと、あんなヤバい橋を渡ったのか」

 

「そうですね。結果的に、全てを失うことになりましたが……」


 ふと気がつくと、ファリドの左手が、ぎゅっと握り締められていた。もちろんそんなことをするのは、一人しかいない。振り向けば、ラピスラズリの瞳が、まるで仔犬のように何かを訴えている。


 ファリドは、今日一番の大きなため息をついた。

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