第165話 モスルへ
ファリドとシャープール率いる一万五千の部族軍は、副都を拠点とする第三軍団と無事に合流した。これで副都に駐留するイスファハン軍は四万五千、テーベがかなりの大軍を送ってきても、負けない戦いができよう。
だが、第三軍団の斥候や諜者がもたらす情報は、かつてファリドが予想していたものと同じであった。
「テーベの軍が、国境から退いたと?」
「うむ、それは間違いない。一旦はおよそ三万の兵が集結していたようだが、二日前に北方に転進したことを確認している」
第三軍団を率いる、かつての上官ミラードが、重々しく答える。
「北方……ですか。やはり、狙いをモスルに変えたのですね」
「だろうな。混乱の収まったイスファハン軍とぶつかれば、テーベの奴らも怪我では済まない。それならここ十年ほどの失政や腐敗で弛み切ったモスルと当たった方が、労少なくして勝てる公算が大きい。そして交易中継地として栄えるかの地には、略奪すべき物も多いからな」
「救援軍を差し向けねばなりませんが」
「あのような腐敗した王家など潰れてしまえばというのが、長年西部を守ってきた俺達の感覚だが……かの国にはメフランギス妃殿下が赴かれているからな、見殺しには出来ぬか」
「ええ。加えて『胡椒の道』の要衝であるモスルを押さえられたら、三都や副都の交易にも大きな障害が出ることは明らか。イスファハン国益のためにも、かの地にテーベを進出させるわけにはいきません」
援軍を送ること自体には合意したミラードとファリドが、真剣に派兵規模の議論を進めていく。
全軍をモスルに向けるわけにはいかない。テーベの転進が擬態である可能性も、捨てることはできないのだから。一定の戦力を残して牽制を続ける必要があるのだ。また、大軍を送ったら送ったで、助ける相手のモスル側が警戒してしまう恐れがある。それはイスファハンが火事場泥棒のように、モスルを併呑しにかかるのではないかという疑惑だ。そのような野望がお人好しのアミールにあるわけもないのだが、策謀をめぐらすのが得意なモスル王家は、自分の思考回路で相手を判断してしまうのである。
「一万五千程度、それも機動力重視で編成すべきだろう」
「そうですね。ただ同程度の兵力を三都に後詰めして、すぐ追加派兵できるようにはしておきたいところです」
「むむ、そうなるとやはり主力は……」
そして三十分後。部族軍を率いるシャープールが本営にやってきた。
「シャープール殿、今回のモスル遠征は、部族軍全軍で向かってもらいたい」
「ふむ、正規軍はどうなる?」
「副都に一万五千を残す。そして一万五千は三都に駐留させ、モスル戦況に応じ増援することにしたい」
「軍師殿と女神様には、我々に同道して頂けるのか?」
「もちろんだ。外交交渉権はファリド卿にしか与えられていない。そして愛する男の赴くところ、必ず『女神』が共にあるであろう」
元上官のやたらとロマンチックな表現に赤面するファリドであるが、こんな真剣な場面で照れるわけにはいかない。謹厳な表情を崩さないことに全神経を集中する。
「……ふむ、承知した。喜んで赴くとしよう」
百面相しているファリドをチラリと見たシャープールが、笑いをこらえつつ承諾の意を示した。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「シャープール殿、部族軍にだけ負担をかけるようなことになって申し訳ない」
「いやファリド卿、アミール王の新軍制のおかげで、戦功に応じて故郷が潤うのだ。むしろどんどん前線に出して貰いたいというもの」
アミールの軍制というのは、言うなれば「徴兵」であった部族軍を「傭兵」化するものだ。服従の証として強制的に無償で従軍を命じていた彼らに対し、兵力や挙げた戦功に応じ国から報酬を払うという契約を結んだのである。
「報酬をくれるという王の申し出、実にありがたい。正直言って我が領地も不作でな、この冬は商人から麦を買わねばしのげぬのだ。女子供が村で腹を空かすことにならぬように勲功を挙げようと、兵士たちの士気は上がっているぞ。まあ、この策も軍師の進言なのだろう?」
「うん、まあ……」
シャープールの推測通り、部族軍の傭兵化をアミールに勧めたのはファリドである。
今回の内戦、アミールを覇者たらしめた戦勝の立役者は正規軍ではなく、部族軍であった。そして、最精鋭の重装騎馬軍団を含め数万の兵力を失い弱体化した正規軍に対し、部族軍はほぼ従前の戦力を維持している。イスファハン軍の中で、部族軍の重みがぐっと増したのは、当然のことだ。
だが彼らは、あくまで強制徴用の無償労働なのである。イスファハン人の軍よりはるかに多くの戦功を挙げていながら、褒賞も賞賛もなく、戦が終われば二等国民扱い……これでは、誇り高い彼らに対し背いてくれと言わんばかりではないかと。今回彼らがファリドの指揮下にまとまったのは、「女神」フェレ個人へのもはや崇拝に近い忠誠によるもので、国に対するそれではない。
ならば、割り切って彼らの活躍に対し、金銭で報いればよい。彼らはイスファハン人に比べ経済的に恵まれていない。彼らの王室に対する忠誠など信用できないが、受け取る金貨に対する信義はあるはずだと。
「うむ、軍師の配慮はありがたい、実にありがたいが……『軍師』と『女神』が部族軍を率いる限り、報酬があろうとなかろうと、我らが背くことは決してない。それだけはわかっておいてくれ」
無言でがっしりと固い握手を交わす、二人である。
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