第164話 貴族の身分
「ファリド卿、副都には明後日着となるよう行程を調整しているが、よろしいか?」
シャープールの掛けた声に、ファリドの眉が困ったような風情で歪む。
「その『卿』って言うのは、お願いだからやめて欲しいんだけど。なんだか背中がむずむずするからさ」
「いや、今や『軍師』もそういう身分になったのだ。いい加減、呼称くらいは諦めてもらわないとこっちも困るというものだ」
抗議するファリドに、真面目な顔でしれっと答えるシャープール。そう、今回の遠征では、無位無官の「軍師」であった彼に対し、望んだわけでもないのにいくつも肩書が付いて回ることになったのだ。
「英雄王子」から「英雄王」となったアミールは、彼を至尊の地位に押し上げてくれたこの信頼する義兄に無限の感謝を捧げ、ありとあらゆる身分と役職で報いようとしたが、それはファリドにとって、まったくありがたくないものだった。
ファリドは最初に提示された「宰相」の地位をけんもほろろにことわり、アミールの伯父であるビジャンに譲った。続いてイスファハン全軍を率いる「大将軍」の役職を打診されたが、これも言下に拒否した彼である。
「そう言う役職には、野戦の指揮官を長年勤めた者が就くべきだ。俺には多くの兵を率いるカリスマがないし、長年にわたって労苦を共にしているわけでもないから兵の共感も得られない。司令官は生粋の軍人から選ぶべきだ」
かくして、高級軍人が多く失脚してしまったこの状況下、やむを得ず大将軍の椅子にはイマーンが座ることとなった。高齢でもあり、いずれバフマンあたりに譲ることになるであろうが。
名誉に彩られた王都の要職をことごとくはねつけたファリドではあるが、今回の西部遠征に関して必要な権限に関しては、ため息をつきつつ受け入れた。
軍事指揮権については「王室首席幕僚」、地方政治への介入については「筆頭巡察使」、そしておそらく必要になるであろうモスルやテーベとの外交交渉については「国王特使」なる肩書が付与されたが、「首席」「筆頭」「国王」などというやたら厳めしい言葉をわざわざくっつけたところに、アミールの執念がしのばれると言うものだ。最初の提案ではさらに「終身」などという不気味に重たい接頭語が付いていたのを、ファリドが全力で拒否した経緯があるのは、秘密である。
「『軍師』も、今や平民ではなくなったのだ。少しは高貴な者としての振舞いに、慣れたらどうなのだ?」
追い討ちをかけるシャープールに反論できず、酢を飲んだような顔を向けるファリドである。そう、身分など欲しくなかった彼も、不本意ながら平民でいられなくなったのだ。
この件についてもアミールは存分にはっちゃけ、最初はファリドに伯爵位を与えると言って聞かなかった。
「兄さんは、『軍師』として連戦連勝して国の分裂を防いだ大功がある。そして、今や兵士たちが『女神』として崇めるフェレ姉さんの連れ合いだ。こんな重要人物を平民のままにしておいたら、国民に対して示しが付かないんだよ」
「俺はいずれフェレと結婚して、義父上の騎士爵を継ぐ。それで十分だろ?」
「それじゃ、功績に釣り合わないんだけどなあ……」
堅苦しい形式的儀礼的なものを徹底的に嫌うファリドの頑固さに一旦引いたアミールは、搦め手から攻めることにした。義父たるダリュシュを王宮に呼び、彼を騎士の身分からアフワズ子爵に格上げし、王都寄りの豊かな四ケ村をその領地に加える旨、勅令を下ろしたのだ。代々王室に愚直なまでに忠誠を尽くしてきたダリュシュが、狂喜してそれを即時受諾したのは言うまでもない。
「さすがは誇れる当家の婿どのなのである! ファリド君が挙げた戦功のお陰で、うだつの上がらぬ当家に、ようやく陞爵のご沙汰が頂けたのである、まさに望外の慶事! こんな素晴らしい婿を捕まえるとは、でかしたのである、フェレ!」
「本当ね。これでアレフも少しは王宮で肩身が広くなるでしょう。王妃の実家が貧乏騎士では、やっぱりね……ファリド君には感謝しかないわ、本当にありがとう」
敬愛する義父母がこのように無邪気に喜び感謝する姿を見れば、もはやファリドとて断ってくれとは言いがたくなるというものだ。
「……リドがこういうこと嫌いなのは知ってる。でも、今後もアミールやアレフのために働くつもりなら、貴族の身分は必要」
そして、いつもはファリドの言うことにひたすら受け身でうなずくだけだったフェレが珍しく断言したこの意見に、止めを刺されてしまった。
かくしてアミールの作戦は見事に当たり、ファリドは「次期子爵」の立場をしぶしぶ認め、彼個人に男爵位を与える勅令も、ため息をつきつつ受け入れた。もちろんアミールは、何らかの功績あらばアフワズ「子爵」を「伯爵」に格上げすることを、秘かに狙っている……幸か不幸か今回の内乱で多くの貴族家が取り潰され、爵位も領地もだぶついているのだから。
「はあ~っ、当面は我慢するしかないか……」
「ははは、本当に嫌そうだな。まあ、『軍師』のそういう偉ぶらないところも、我々部族軍は支持している。今後ともよろしく頼むぞ、ファリド『卿』!」
シャープールはにやりと口元を緩め、ファリドはがっくりと肩を落とした。
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