第161話 第二部終章 飛行魔術(2)

 翌日から、フェレはこの新たな魔術に、のめりこんだ。


 リリを助手として、毎日どこかへ出かけては、何やら練習をしている。いつもならファリドに付いてきて欲しい風情を見せるフェレだが、今回に限っては彼を出禁にして、ひたすら何かに打ち込んでいる。フェレが自分の意志で何かをやろうとしている変化に喜びを感じるファリドではあるが、子が離れていく親のような少し寂しい気持ちがあるのも、また事実である。


 そして、数日後。


「……リドっ!」


 頭の上から降ってくる声に驚いて見上げると、そこにはすらっと伸びたフェレの健康的な脚があった。タイトフィットの濃茶色したボトムが、美しいフォルムを強調する。


「フェレ様、ちょっと怖いですっ」


 しっかりとフェレに抱きついたリリの、抗議するような声。二人とも、ファリドの二メートルほど上の、空間に浮いているのだ。


 よく見れば、二人の足元には、薄茶色の膜が張っている。どうやら例の念動魔術を応用して、人間も浮かせて運べるのではないかと、実験していたようなのだ。塩ではなく、あちこちで簡単に手に入るであろう砂を利用したため、膜が茶色いのだろう。ファリドに頼るだけではなく、フェレが自ら考え細部を工夫しているところに、成長を感じる。


「……見てっ、できたの!」


 まるで初めてリンゴの皮むきに成功した子供のようだと、妙な感想を抱くファリドである。しかしここは、大げさにでも褒めねばなるまい。フェレの「ほめてほめて!」オーラが、びんびん伝わってくるのだから。


「おおっ、凄いぞフェレ! 浮いたまま、移動できそうだな?」


「……やって見せる」


 フェレがその細く濃い眉をきゅっと上げると、二人の姿が空中を滑るように平行移動する。決して速くはないが、安定した動きだ。


「……このくらいなら楽勝」


「私は無理です! そんなに速く動かさないで下さいっ!」


 平然とするフェレと、もはやフェレの胸に顔を埋めて下を見ないようにしっかり眼をつぶっているリリの姿が対照的だ。生命のやり取りなど日常であるはずのリリが、浮遊感にだけは耐えられないことにおかしみを感じるファリドである。


「どうしたの? あれ、え? ねえフェレちゃん、これどうなってるの?」


 厄介な女性に見つかってしまったと、天を仰ぐファリドである。お転婆王太子妃であるメフランギスが、こんな面白いものを見逃すはずがない。その澄んだ青い瞳がキラキラと輝いているのを見てファリドも諦めた、これは好きなようにしてもらうしかないと。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 結果的にメフランギスの参加は、フェレが新たに開発した飛行魔術の完成度を、大いに上げることになった。彼女はこの魔術を兵を輸送するための手段と捉えて、想定される課題を次々と提示していったのだ。例えば、膜の上に乗った兵が落下することを防ぐ手段が必要である、といった風に。


 実のところファリドもティーカップの段階から兵や補給物資の空輸を考えていたのだが、フェレが自主練を始めて何やら試行錯誤をしている様子を見て、口出しを控えていたのだ……彼女自身の成長を促すために。


 だが彼の予想を超えて、フェレは人間を宙に浮かせて運ぶという発想にいち早く到達し、メフランギスが軍事利用という観点を加えた。これは彼女達に任せておくしかなかろうというのが、ファリドの結論であった。


 フェレも、珍しくやる気を表面に出す。ここのところひたすら受け身姿勢だった彼女も、この飛行魔術については自分が開発したという誇りをもっているのだ。実用化に向けて問題があるというならば、必ず自分の力で解決してやろうという強い意欲で、改良と鍛錬を続けたのである。もちろんフェレにとっての実用化というのは、ファリドを喜ばせる、という意味しか持たないのだが。


 そんなこんなで、魔術の改良は急速に進んだ。兵士の落下を防ぐために、膜は平らなものではなく、端っこを上方に向けて折り曲げたような浅い箱型に改められた。兵士の代わりに丸太を次々積み込んで重量負荷を掛け、飛ばせる兵士の上限人数も見積もられた。結果としては「五百人までなら間違いなくイケる、それ以上はわからない」というものであったが。


 そしてこの研究と鍛錬の成果が、アミール軍の最終兵器となった。


 精兵数百人を城壁の中に音もなく運んで王都攻略戦の帰趨を決定づけ、王宮奥深くに精鋭をいきなり出現させ首魁を捕らえたのは、まさにこの魔術のお陰であったのだから。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 そして、今。


 王都郊外に広がる果樹園の上空に、何やら怪しい物体が浮いている。


 蚊ほどの大きさにしか見えぬが、遠視力に優れた者であればそれが二人の人影であることが、何とか見分けられるだろう。もちろんそれは、ファリドとフェレである。


「……リドと一緒に……空からの景色を見てみたかった」


「うん、凄いな。まるで、鳥になったみたいだ」


 二人を包むのは、砂粒の膜。だがフェレが工夫を重ね、その膜はあたかもティーカップのように滑らかな形状をとり、内部には肘掛け背もたれ付きの座席のようなものまで形造られている。ファリドと快適な空の散歩をするために、異様な熱意を持って修練を重ねた成果だ。


「……このまま、二人でどこかへ飛んでいけたらいい」


「ああ……できたらいいな」


「……無理なのは、わかってる。アミールとアレフを、リドが助けてあげないといけないよね」


「当面は……な」


 もちろんファリドは、「軍師」などさっさと引退したいのである。しかし安定しない国内事情と、おそらく近々至るであろうテーベの侵攻が、そのささやかな希望を許してはくれないだろう。実際のところ、翌日には副都に再度トンボ帰りする予定の二人なのだ。


 フェレは、ラピスラズリの視線を少し寂しそうに伏せて……その長いまつ毛が、風に揺れる。


「……でも、たった今ここにいるのは……リドと、私だけ」


「そうだな」


 何か吹っ切れたように上げられたラピスラズリの瞳が、真っすぐにファリドを見つめる。ファリドの手がそっとフェレの髪に触れて……そして唇が重なった。



◆◆作者より◆◆

 お付き合いいただきありがとうございます。

 次週から第三部、モスル&テーベ編です。変わらず土曜更新でいきます。

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