第146話 対峙

 ミラードの軍と合流してからわずか四日後、ファリド達は第三軍団主力と対峙していた。


 敵地である副都から、知恵と体力を振り絞ってようやっとひとまず安全なところまで逃げてきたというのに、休息もそこそこに実質トンボ返りの布陣である。過重労働にため息も出ようというものだ。


「敵はおよそ一万六千。全軍出撃に近いですね」


「短期決戦を仕掛けてきたということなのだろう。お前の言う通りだったな、さすが『軍師』というところか」


 予想通りとはいえ、ため息をつきたくなるような大軍である。兄貴分のミラードに褒められても、まったく嬉しくない事態だ。


 すでに陽は沈みつつあり、決戦は明朝になるであろう。敵は平原に魚鱗状の重厚な布陣をひいており防御体勢は万全、こちらは両側を崖に挟まれた街道沿いに縦長の窮屈な陣型をやむを得ずとっている。自由に動ける広いエリアを敵が先に確保した形になっているが、一般的には不利とされるこの状況にも、ファリドは慌てていない。


「まあこれも、計算の内に入っていますので」


「得意の奇襲を仕掛けるつもりだな。だが、敵は街道の出口を見張っているだけでこっちの動向をすべて捉えることができるぞ。大規模な夜襲は難しいんじゃないか?」


「大軍を投入する気はありません。精兵を二十人ほどお貸し頂ければ」


 ミラードの顔に驚きの色が満ちる。この青年は、一万六千の敵に対しわずか千分の一ちょっとの戦力で抗しうると言っているのだ。興味深げに二人のやり取りを眺めていた老将軍が、はたと膝を打つ。


「ふむ、そうなると、儂も一緒に行かねばならぬということだな」


「ええ、ぜひお願いします」


◇◇◇◇◇◇◇◇


 第三軍団は、野営の準備に入っていた。戦力も、布陣した立地も共に有利である彼らには、堂々と天幕を張り、炊煙を上げるだけの余裕がある。


 むろん、夜襲への備えもおさおさ怠りない。隊ごとに赤々と篝火を焚き、歩哨を立てる。小隊程度の規模ならともかく、この兵力と厚みのある陣形を突破できるほどの大軍が秘かに接近することは、難しいであろう。


「ミラードについた知恵袋は、奇策を好むという。警戒を緩めるのではないぞ」


「はっ、抜かりなく。しかしクーシャー閣下、所詮は未亡人と老人の率いる集団、何ほどのこともないでしょう。強力な魔術師がいるとのことですが、一人では……」


「その魔術師が、イスファハン最精鋭の重装騎馬隊を残さず屠ったと言われているのだぞ。構えて油断するな、慎重のうえにも慎重に、必ずこの戦、勝たねばならぬのだ」


 「閣下」と呼ばれて一瞬嬉しそうに頬を緩めたクーシャーであったが、参謀のあまりに楽観的な意見に一転、厳しい声で檄を飛ばす。


 そう、さすがに第三軍団首脳部には、マハン平原でフェレが為した雷撃殺戮魔術の情報は不正確ながら届いている。堅実と慎重を旨とするクーシャーは、半信半疑ながらその噂が事実である可能性を熟慮の上、部下の将兵に軽装での出撃を命じていた。金属鎧の着用を避けておけば、万一稲妻が襲ったとて多くの兵士を失うことはなかろうという判断である。狡知の反逆者ではあるが、軍事面においては極めて優秀な男なのだ。


「我々にも多くの時間は残されていない。噂に踊らされた兵士達が離脱を企てぬ前に、老人たちを完全に撃滅するのだ」


「はっ」


 クーシャーがその酷薄な視線を部下から外し、何かに気付いたようにつぶやいた。


「これは、霧か……?」


◇◇◇◇◇◇◇◇


 ひたひたと、戦場を霧が満たしつつあった。


「これは驚いた。こんな乾燥地域で霧が湧くとは……これも『女神』殿の力なのか?」


「ええ、将軍。フェレは遠い空から雲を呼び寄せることができるのですよ。今日は快晴でしたので、はるか山の向こうから引っ張ってくることになってしまいましたが。なあフェレ、体調は大丈夫か?」


「……問題ない。『雲寄せ』はもう慣れたから」


 安定の無表情で応えるフェレだが、ファリドがねぎらうようにその頭を撫でると、眼が少しだけ気持ちよさそうに細まって、口元が緩む。どうやら本当に余裕があるようだと、安堵する彼である。


 もはやフェレの超絶魔術を見慣れてしまっているファリドだが、大規模の魔術を使わせるたびに、言い知れぬ不安を覚えるのだ。


 フェレとて人間、規格外の魔力を持っていると言えど、必ず限界は存在するはずだ。そして、限界一杯まで魔力を使った魔術師の末路は、巷間に伝わっている限り悲惨なものばかりである。魔力を完全に失ってしまったり、髪が真っ白に染まったりといったものならまだマシだが、知性を失って廃人になってしまった例まであるのだ。フェレがそんな目に遭うことを想像するだけで、ファリドは自分の胸をかきむしりたくなる。


―――いや、今は前に進まねばならない時だ。


 不吉な想像を振り払って、ファリドは周囲を見回す。ファリドとフェレのそばにはイマーン将軍と魔族アフシン、そしてミラード配下の兵二十名。意識して力自慢ではなく身の軽い斥候やレンジャーに近い役割の精鋭兵を集めている。そして最後に、お転婆皇太子妃のメフランギス。


「だって『軍師』のやろうとしていることには、私も役立つでしょう?」


 さすがに今度ばかりは安全なところにいてもらいたいと主張したファリドだが、そんなことを口にしつつ澄んだ青い瞳をキラキラ輝かせて迫ってくるメフランギスに、押し切られた形だ。「軍師」などと讃えられても、ファリドはごく普通の、美人にぐいぐい押されれば流されやすい、若い男なのである。


「よし、出発しよう」


 小さなため息をつきつつ、ファリドが号令した。

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