第122話 女神の裁定
「今のイスファハン王国で最大にして最強の勢力はどこでありましょうや。思えらく、それはまさにこの第二軍団であり、それを率いるアミール王子殿下であらせられます! すでに反逆者キルスによって王室の序列はいったん壊されました。であればこの先この国を率い民を安んじるのは、最も強き者であるべきではないでしょうか?」
貴公子将校が、良く通る声を朗々と張り上げて主張する。論旨はやや上滑りだが歌劇でも見るような名調子と、若者たちを煽るような台詞に、そうだそうだと同意の声が、あちこちから上がる。
「第二軍団を率いたアミール殿下は電光石火の進撃を見せ、王都攻略まであと一歩のところまで来ておられます。一方の王太子カイヴァーン殿下はいかに? 第三軍団を掌中にしておられながら、未だ副都にとどまり出撃なされていないと聞きます。我々は進んで乱を起こしたいわけではありませぬが、この大乱を迅速に終わらせ、この国を元通りの強国に復せしめる力をお持ちの方を王に頂きたいと願うのは、反逆でありましょうや?」
―――こいつ、自分に酔っているな。
ファリドはこの貴公子が危険人物か否かを懸命に探り……この者には悪意がないと見て取った。まさに自説に酔い、それが国にとってもアミールにとっても唯一最善の正しい策と決めてかかり、まわりを巻き込んで行動に移さんとしている。自説と言ってもどうせ誰か黒幕が焚きつけたのであろうが、もはや自分で考えたような錯覚に陥っているのだ。本人にはまったく悪意がなく、アミールのためになると思って煽動してるだけに始末に負えないのが、この手合いである。
「アミール殿下! 疾く王都を陥落せしめ、国王即位を宣言なされませ! 殿下が掌握する兵力とこれまでの実績あらば、王太子殿下も進んであなた様の下に降られるでしょう。さあ、御決心を!」
何をバカなことをというのがファリドを含めた軍団首脳部の受け止めだが、若手将校たちは止まらない。彼らの多くがアミールを神輿にしたがっているのは、若く血気にはやっているゆえとも言えるが、それだけが理由ではない。彼らの多くは貴族や騎士の次男三男、生きて帰っても家督や領地は継げないのだ。ここで次期国王直下部隊で王都奪還の大きな戦功をあげ、出世することを夢見ているという、現実的な側面も存在するのである。
貴公子の煽動に応え「英雄王子アミールに王位を!」とあちこちでコールが始まる。バフマンが大声で静めようとするが、言うべきでないことを口にしてしまった将校たちは、もはやこの重鎮の言葉にも耳を貸さない。
―――ヤバいな、このままでは軍団が空中分解してしまう。これを鎮められるのは……
ファリドは、傍らにいるフェレの耳に唇を寄せ、何やらこそこそとささやく。愛する男の指示を正確に理解した彼女は、すうっと静かに指揮台に登り、アミールの斜め前に立った。
無言のまま、フェレがシャムシールをゆっくりと抜き放ち、自らの眼前に突き出す。刀身に陽光が反射し鋭い光を放つと、これまで騒いでいた将校たちが徐々に押し黙り、やがて静寂が訪れた。騒ぎの発端となった貴公子も、気まずげに口をつぐんでいる。
フェレが眼を見開くと、ミディアムボブの黒髪が、魔力を帯びてふわりとふくらむ。その先端がまるでモルフォ蝶のように神秘的な構造色を呈し、複雑に色を変えていく。安定の無表情が、生来の白い肌と合わさって、まるで神像を見ているか如き錯覚を、将校たちにもたらしている。やがて、沈黙を破ったこの神像が、口を開く。
「……イスファハン王国第三王子、アミールよ」
「は、はっ!」
芝居がかった義姉の行動はさっぱり理解できないが、きっとここには「軍師」ファリドの策があろう。そう瞬時に思考を切り替えたアミールは、まるでフェレが神そのものであるかのように、その前にひざまずき、頭を垂れる。
「……そなたの望みは、この国を統べることか」
もっさりワンテンポ遅れるフェレの言葉も、この状況では、何やら重々しく尊げに響く。
「いえ、違います。私の小さき望みは、妻と平和に暮らすことのみ。その平和を守るために働きは致しますが、それは王としてではなく、王を補佐するものとしてでございます。女神アナーヒターの名にかけて、誓い申し上げます」
あえて国教であるカーティス神にではなく、アナーヒター女神に誓うアミール。さすがに空気を読む能力の高い彼である。ファリドとフェレがやろうとしていることを、徐々に察しつつあった。
「……ほう。小さき幸せを守って、至尊の位は目指さぬか、それもよかろう。我はそなたに、善き国相としての祝福を授けるとしよう。兄王に、よく尽くすのだぞ」
将校たちの眼に、フェレの手からなにか白い靄のようなものが発せられ、それがアミールに吸い込まれるように消えていく光景が映った。
「おお、なんと尊い……」
「まさにアナーヒター女神の祝福……」
「殿下はあくまで臣たることを、女神に誓われたのか……」
将校たちの間に、感嘆の声が満ちる。やがて、アミールたちが望むコールが、誰からともなく上がる。
「英雄王子アミールを、宰相に!」
「アミール宰相、万歳! カイヴァーン陛下、万歳!」
その声は益々大きく広場に響き渡り、ファリドもアミールも、そしてバフマン達高級指揮官も、胸をなでおろす。
事態を収拾した猿芝居の主演女優であるフェレは、変わらぬ安定の無表情で、将校たちを見下ろしていた。
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