第90話 ルード砦

「これはまた、厄介なところを押さえられたものですな」


 軍団長バフマンがその太い眉を寄せる。


 ザーヘダーン砦を出て三日、これまで抵抗らしい抵抗もなく進んできた第二軍団に、先行する斥候から情報が入った。この先に位置するルード砦に、第一軍団兵が拠っていると。


「兵力は?」


「情報を総合すると、およそ七千ほどかと」


「第一軍団にも、策士がいるらしいですね」


 そうファリドがつぶやいたのは、この砦の位置と配置した兵力が、あまりに絶妙だったからだ。


 第二軍団が後方に残してきた兵はわずか五千しかない。このままこの砦を放置して王都へ向かったとすれば、砦の兵力は第二軍団管掌地域の中心都市である海都グワダルを、ほぼ無抵抗で陥落せしめ、長年築いてきた民の第二軍団に対する信用を失墜させるだろう。いや最悪は、本拠地であるザーヘダーン砦の失陥すらありうるのだ。


 かと言って全軍をもって砦を攻めるのも困難だ。ルード砦は先々代王の御代には東の国境を守る城塞だったこともあって、その城壁の堅固なることは、第二軍団の主城であるザーヘダーンをもしのぐのだ。立てこもった兵は七千程度としても、第二軍団二万では短期に陥落させることは難しいだろう。包囲して兵糧攻めで降伏に追い込むのが常道であるが、ここの攻略に時間を使うことは、第二王子派の思うつぼでしかない。


「確かに敵から見れば効率的な戦略ではある。たった七千の兵力で第二軍団を釘付けにしている間に、残る全軍で第三軍団を討つ。第三軍団はおよそ三倍の敵と対峙せざるを得ないということだな」


 アミールの表情にもいら立ちが浮かぶ。敬愛する王太子を一日でも早く救いに行きたいのだ。


「まったく申し訳ござらぬ。各個撃破されることを防ぐためにザーヘダーン以外の砦から撤退し兵力を集中させたつもりだったのだが、一番厄介なこの砦に防衛戦力を残さなかったのは失策としか言いようがない」


「過ぎてしまったことを悔いても仕方ありません。それよりも、どうやってこの砦を短期間で陥落せしめるかを考えましょう」


 自らの献策失敗にうつむくバフマンに、あわててフォローを入れるファリド。この忠実かつ勇猛な指揮官に下を向かれては、戦勝はおぼつかない。そしてバフマンはあくまで野戦の指揮官なのだ、彼に策を授ける役割は、他の者が果たさねばなるまい。ファリド自身は不本意であるが、この軍団には彼以外にその役目を務められる者が、どうやらいないらしい。


「そうか、ようやく兄さんの献策で戦うことができるんだね、僕はずっと楽しみにしていたんだよ」


「う〜ん、今回は時間が惜しいから『策』じゃない方で行くけどな」


「策じゃないというと?」


 アミールは意外そうな表情をする。


「もちろん、力押しさ」


「ちょっと待った、兄さん。僕たちは野戦を想定した編成で、城攻めなんかの準備はしてないよ。あのカチカチに固い城壁に押し寄せたって、被害が出るばかりだと……」


 そう、堅固な城壁を攻略するつもりであれば、投石機を始めとする鈍重な攻城兵器を伴わねばならない。機動性を重視したアミールは、それをザーヘダーンに置いてきたのだ。


「ああ、味方に被害を出すつもりはないよ」


 にやりと笑ったファリドは、軍議など興味なげに紅茶のカップを両手で赤ちゃん飲みするフェレの頭に、柔らかく手をのせた。


「……出番?」


「ああ。ちょっと大変だけど、フェレならできる。行こうか」


「……そっか」


 ちょっと散歩しに行くかとでも言うような気楽なノリでファリドが立ち上がる後を、緊張感のかけらも感じられないフェレが、仔犬のように追った。


◇◇◇◇◇◇◇◇


「砦を無傷で落とせだって?」


「は、是非にと。できれば、敵方の兵もなるべく殺さずとのアミール殿下の御諚にて」


「おいおい、これは困ったな……」 


 さっさと片付けるつもりで帷幕の外に出たファリドとフェレを追ってきた副官ファルディンが、申し訳なさそうな表情で告げる。


「アミールの奴、わざとハードルを上げて、俺の知恵を試すつもりかな?」


「まさか、そのような底意地の悪いお方ではありませぬ。しかし、ファリド殿であれば可能であるという信頼のようなものが、殿下の表情より窺えましたな」


「信用してくれるのは結構だがなあ……」


 深いため息をつくファリドである。


「ちなみに、あの堅固な砦を、どう料理されようと考えておられたのか?」


「ああ、簡単さ。フェレの『砂の蛇』を司令部に一発叩きこんで完全に叩き潰す。そしてあそこにそびえ立ってる石の尖塔にもう一発横からぶち込んでポキっと折ってやれば、敵の士気もぽっきり折れる。知恵も奇策もない、フェレの魔術を雑に使った、暴力的な力技だな。だが、ものの一時間もあれば敵は開城する、間違いない」


「確かにそれは、極めて有効ですな……」


 同胞たる第二軍団と戦うという不可解な命令と、敵中に孤立させられたシチュエーションのせいで、もともと籠城部隊の士気は上がっていないはず。そこに抗いがたい圧倒的な力を見せつければ、降伏に持ち込むことは易いであろう。もちろんガチガチの第二王子派であろう高級指揮官どもが邪魔になるであろうから、これを初撃で全滅させてしまうことが前提となるのだが。


「壊すな、殺すなでは両手を縛られて戦うようなものですな。しかしそれにしては、あまり真剣に困っておられるようには見えないのですが、軍師殿?」


「まあ、面倒だが被害を出さない方法も、あると言えばあるからな」


「なんですと?」

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