第88話 訓令
城壁の上に並び立つのは、アミールとバフマン軍団長。バフマンは今、これから生死を共にする部下の兵士や将校たちを見下ろし、訓示を行っている。
「かくして、王都では第二王子キルス殿下が王位に就かれたという。だが、正式に後嗣と定められた王太子殿下を差し置いて、第二王子殿下が即位されるなどどいうことが、ありえようか!」
兵たちの間に「あり得ぬ!」「インチキを許すな!」といった叫びがあがる。それがいったん静まるのを見計らい、バフマンは続ける。
「諸君、これは明らかに、陰謀である。王太子殿下の不在を狙った、クーデターなのだ!」
おおっというようなざわめきが拡がる。ここまで踏み込んだからには、もはや王都勢力と決別し、覇を争うことを表明したようなものであるから。
「無論、第二王子殿下ご自身が、このような悪事を企むはずはない。すべては君側の奸、バンプール伯の一党が仕組んだことである! 彼らに権力を渡せば、賂いする者は取り立てられ、正しき意見をする者は処断され、民は収奪され、国は弱体化し、やがて外国に攻め滅ぼされることであろう。これを許してよいのか!」
実際には第二王子も十分悪い奴なのであるが、王室が不正を行うはずはなく本当に悪いのは取り巻きなのだ、と言う方が下々の兵士達には受け入れやすい。許すべからずという声あちこちから上がることに重々しくうなずいたバフマンが、再び口を開く。
「奴らの悪しき企図を砕き、王太子殿下を玉座にお迎えするのだ。殿下は第三軍団と共に在り、我ら第二軍団と呼応して王都を挟撃すれば、必ず勝利は得られようぞ」
あちこちでバフマンの扇動に呼応し、「おうっ!」「やるぞ!」といった雄叫びが発せられる。
「ありがとう諸君。では、王都で王太子殿下とまみえるまで我々の盟主となるお方に、お言葉を頂こう。諸君もよく知っているであろう、副軍団長であるにも関わらず常に君達と寝食を共にしてきた同志、第三王子アミール殿下である!」
うわぁっというどよめきと、アミールの名を呼ぶ声、口笛の音。そしてアミールが兵たちに向かってその手を振れば、割れんばかりの歓声がザーヘダーン城砦を覆いつくし、暫く止むことがなかった。
同じ城壁の上、彼らから五歩ばかり後ろに立つファリドも、いたく感心していた。アミールへの兵たちの支持は、まさに本物だ。身分の垣根をあっさりと越えて末端の兵士とも親しく交わり共に汗を流し、一緒に飯を食い、粗末なテントで肩を寄せ合って眠る。そんなアミールの姿を日々見てきた第二軍団は、まさに彼の同志であり、私兵と化しているのだ。
「第二軍団の諸君、私は第三王子だ。本来ならば諸君に号令すべきは私ではなく我が兄、王太子カイヴァーン殿下であるべきだ。しかし兄殿下は王都を隔てて西方に遠く、直接指示を仰ぐことはできない。諸君が頭を垂れるべき正統な主が現れるまで、いっときその力を、私に貸して欲しい。共に、君側の奸たるバンプール伯を打倒するため、戦ってもらいたい」
わざとらしく声のトーンを上げるでもなく、妙なアクションをいれるわけでもない。彼はひたすら、誠実に兵士たちに訴えかけているだけである。だが彼のやや高音でよく通る声は、眼下の兵士や将校たちを確かに魅了している。彼が言葉を切ると、まるで地響きが湧き上がって来るかのように、今日最大の音量で歓声があがる。
「俺達はあんたのために死ねるよ!」「必ず殿下を王都に凱旋させるぞ!」
兵たちの熱烈な支持の声を、右手を上げて制するアミール。それを見てすっと後方から彼に並び立ったのは、王子妃アレフだ。
「第二軍団の皆さん、私はアミールの妃、アールアーレフです。夫を支持して頂いて、本当にありがとうございます。私は女の身、戦場でお役に立つことはできませんが、皆様のご無事を至高神カーティスに祈り続けます。どうか、ご無理をなさいませぬように……」
やはり良く通るアレフのソプラノだが、最後は兵たちの歓呼の声でかき消された。
「可愛い……」「ご無理でもなんでも、しちゃうよっ!」「アレフたん萌え~」
やや違うノリの歓声も混じっているが、アレフの応援が兵たちの士気をさらに高めたことは、間違いない。長い女日照りを強いられる地方基地駐留の兵たちが、人妻とはいえ二十歳の若くて清楚な飛び切りの美女を見て、盛り上がらぬはずがない。そして、控えめに「お願い」などされたら、熱狂するのは当然のこと。
「アレフ様、万歳!」「アミール殿下、万歳!」「第一軍団に、勝つぞ!」
口々に歓呼の声を上げる兵に手を振り応えるアミールとアレフ。そして、今一度右手で聴衆を制したアミールが、さらに続ける。
「この度の戦には、きわめつけに強い味方が参じてくれた。諸君らは王都で評判となっている、つがいの冒険者『軍師』と『大魔女』を知っているだろうか?」
「知っているぞ!」
「大魔女は火竜も倒すらしいな!」
「芽が出ない魔女を『軍師』が指南したっていうじゃないか」
「引退したらしいと聞いたが……」
兵士たちの半数ほどは、ファリド達の噂を知っているらしい。当のファリドは、こんな多くの兵達の前に引きずり出され、ダシとして使われるのかと思うと、げんなりである。しかし……出征の前に少しでも士気を高めるためであるということならばば、私情を排して付き合わねばならぬだろう。
「『軍師』と『大魔女』は、私の義兄姉だ。彼らは王都で行われている暴挙を見、もだしがたい思いでここに駆け付けてきてくれたのだ。紹介しよう、さあここへ……」
調子のいい王子アミールが、二人を最前列に招く。アミールと違って派手なアピールが苦手なファリドは、兵に向かって控えめに手で敬意を示すだけ。それでも兵は喜んでいる、敵となる第一軍団は大兵力だ、少しであっても自分達を助けてくれる戦力は、歓迎なのだ。
そしてファリド以上に目立つことが苦手なはずのフェレは、表情を消して最前列に出るや、シャムシールを引き抜いて切っ先を前方に向けた。
兵たちがフェレの指す方向を振り返れば、赤砂の大地から瞬く間に砂煙が上がり、それが凝縮して長く太いひも状を形づくる。ファリドがフェレに指南し、ごくごく初期に創り出した魔術「砂の蛇」だ。
赤っぽい砂の蛇は、驚く兵士たちの頭上で一回転するや砦の上空に向かって飛び、フェレの頭上で旋回を始める。兵の驚愕が頂点に達した刹那、フェレがシャムシールを一振りすると、砂の蛇は再度城砦の外へ飛び、近くの岩山に激突して、轟音とともに岩肌を穿った。
軍団兵を支配していた沈黙が去ると、うわあっというような歓声とも雄叫びともつかぬ声が、あたり一面響き渡った。それを受けるフェレはあくまで無表情に、城砦の外に視線を向けている。見上げる者達から見れば、その姿は俗事を超越した賢者、あるいは絶対神のように見えなくもない。あくまで姿、だけであるが。
「あれだけの魔術を撃った直後というのにあの冷静さ……やはり『大魔女』と言われるだけあって、ただものではないな」
「王子妃殿下の姉上だというじゃないか、髪色は違うがそっくりな美貌……小顔にクールな表情、たまらないな」
「うむ、その上あの黒髪の神秘的なこと、惚れてしまいそうだ」
「踏まれてみたい……」
「尊い……」
また一部おかしな感想が混じっているが、フェレが余計なことをやらかさずに兵たちの支持を得たことに、ファリドはホッとしていた。登場から魔術を打つまで一連の動きは、ファリドが書いたシナリオ通り、きちんとなぞったものだ。人前が苦手で臨機応変の行動ができないフェレに、考えて動けと言っても、無駄であろうから。
「……みんなに、喜んでもらえた」
まだ興奮している兵たちに向け、右手を左胸にあて、軽く一礼して戻ってきたフェレは、珍しいことに微笑を浮かべている。
「うん、よくやったフェレ、みんな驚いていたぞ。褒められて、嬉しかったか?」
「……少し。でも私は、リドに褒めて欲しい」
そう言いながらいつものように、ファリドの胸に黒髪を寄せるフェレ。城壁下の兵士に見えないように気を遣いながら、その頭をゆっくりと撫でるファリド。
バフマンの訓令が始まった。それに聞き入るふりをしながらアミールが送ってくる生暖かい視線が、ちょっと痛く感じるファリドである。
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