第87話 もっさり女神?

「それは、私からご説明申し上げます」


 これまで黙っていた副官ファルディンが口を挟む。まあ、何かと大げさな感情表現をするアレフよりも、冷静で客観的な彼の方が適切な説明ができるだろうと、ファリドは静かにうなずく。


「大魔女……フェレシュテフ様は、はるか彼方の空に在る雲を呼び寄せる魔術を会得されたのです。まるで飼いならした羊が飼い主の元に駆け戻るように、空の雲が一直線に自分達に向かってくる様は、まさに驚愕としか表現しようがありませんでした。そしてフェレシュテフ様は、その雲を圧縮してアレフ妃殿下や我々の為に水を生み出して下され、さらに雲をザーヘダーン城砦の周囲に集めることで一面の濃霧となし、追手の眼を逃れて我々が無傷で入城することを可能として下さいました」


「何、雲を……呼び寄せるだと?」


「うん、まあ、出来るようになったみたいだな」

「……む、むぐっ、もう簡単」


 アミールの疑問形を、あっさり肯定するファリドと、骨付き羊肉を小さな口で必死に噛み千切りつつ、何ともないことのように口にするフェレ。


「気象を操るとは……確かに神の領域だな」


「さらに、ファリド殿のご指導よろしきを得て、フェレシュテフ様は軍事利用可能と思われる気象操作魔術をいくつか開発されまして……」


 そう言いながらファルディンは席を立ち、何やらアミールと軍団長バフマンの耳元で、フェレの新魔術について何やらごにょごにょとささやく。こればかりは給仕の者達にも、聞かせるわけにはいかないことであるからだ。二人の眼が、文字通り驚きで丸くなる。


「そのようなことが……」

「殿下、これが本当なら、勝てますぞ!」


 期待通りの二人の反応に、満足そうな笑みを浮かべたファルディンが、再び席について続ける。


「いやはや、私もフェレシュテフ様とご一緒したこの十日ばかりの間に、数々の『奇跡』を行う神々しいお姿を見せて頂き……尊敬というより、もはや崇拝致しておるのですよ。そしてこれだけの力をお持ちにもかかわらずフェレシュテフ様は何の野心も我欲も抱かれず、ただファリド殿の賞賛と愛情のみしかお求めになりませぬ」


「まあ、そうだな……姉さんは、そういう方だな……」


 アミールはフェレの「奇跡」に驚きつつも、それ以上にいつも冷静沈着で淡々と事実のみ話すはずの副官が、急に熱っぽくフェレを賞賛し始めるのに戸惑っている。


「もはやフェレシュテフ様は、巷間で言われている『大魔女』などではなく『女神』様なのではありますまいか? 私の眼には、フェレシュテフ様が、水の女神アナーヒターが現世に降臨した姿のように見えて仕方ないのですよ」


 アナーヒターは、はるか昔に滅んだ古代文明の、さらに以前から信仰されていた女神で、川や湖を司るものであったという。そして、現代にいたっても根強くアナーヒターの信者は存在する。国教であるカーティス教とは主旨を異とするが、民間信仰に寛大な教会のお陰で、イスファハン王国においては、全土あまねく親しまれているのだ。


 どうやら自身もアナーヒターを信仰しているらしいファルディンが、熱のこもった視線でフェレを見上げ、そして主君に彼女は神だと訴える。アミールと軍団長バフマンは若干混乱気味である。


「まあまあファルディン殿。フェレを賞賛してくれるのは有り難いが、彼女は魔術が得意なだけで、あとは普通の、やや引っ込み思案の女性だ。しかし、ファルディン殿のようなお堅い人でもそう思ってくれるってことは、余程フェレがそれらしく見えるってことだ。それを利用して、兵士たちの士気を上げるという手も、あるんじゃないか?」


 ぽかんと口をあいていたアミールたちだが、やがてファリドの提案を理解して納得のうなずきを返した。彼らが熱く語っていた「女神」はそんなやりとりに耳も傾けず、三本目の骨付き肉にかぶりついている最中なのであったが。


◇◇◇◇◇◇◇◇


「ところで、ファリド兄さんの捕らえてきた魔族のことなんだけど……」


「何かわかったのか?」


「あの魔族は、国軍では有名な者でしてな。軍人ではないのですが、何か動乱が起こるたびに高額のカネで雇われては、かなりの成果を上げていたのです。できることは索敵だけなのですが、特に夜戦の際に、その能力を遺憾なく発揮するそうでして」


 アミールに返した問いを、軍団長が受けて説明する。


「じゃあ、第二王子勢力ってわけじゃ、なかったんだな?」


 ファリドは念を押す。魔族なんて厄介なものが敵勢力にいるなら、とてつもなく面倒な戦いになるからだ。


「そうですな。彼は第二王子殿下にも王太子殿下にも何の拘りもないらしく、たまたま王都にいたところを国軍に雇われただけだと」


「なら、せっかくだからこっちで彼を雇うとしようよ。捕虜になった時点で第一軍団との雇用契約は終了しているはずだからね。そうだ、せっかくだからファリド兄さんに彼を預けるよ。きっと、役立ててくれるよね」


 アミールが大胆な提案をする。ついさっきまで敵方であった者、それも魔族を抱え込もうとは、その器の大きさにはある意味感心させられるが……。


―――それは結局、面倒を俺に押し付けるってことだな?


 ファリドは、また深くため息をついた。

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