第3話 お餅やケンちゃん
いつも通りの遅い、会社からの帰り道。
今日も今日とて社畜業務をそつなくこなした俺の心身は、すっかり疲れ果てていた。
山手線高架沿いを、自宅に向けて少しずつ歩く。
そろそろ空腹を無視できなくなる頃合いだ。だが、この辺りには食べ物を売っている店が無い。
家の近くにコンビニがあるから、何か買って帰ろう。
……だがしかし、今日もコンビニ飯か。やはり、むなしいな。
実家にいた頃は何もせずとも温かいご飯が俺を歓迎してくれた。はるか遠い昔の話だ。本当に、あの頃は幸せだったな。
そんなことを考えながらとぼとぼ歩いていると、行く先に街灯に照らされた小さな出店があった。
ぐるるるきゅううううううううううっとお腹が鳴る。
流石の凄まじさに、俺はついふらふらとその屋台に吸い寄せられた。
「お客さんかい? 特製のお餅ひとパック300円だ。どうよ、買ってくかい?」
着ているシャツ越しからもわかる程の、図体ががっしりしたにいちゃんが接客してくれた。
小さな屋根には『筋肉お餅ケンちゃん』と看板が吊るされている。何とも予想のらち外な店だ。
「餅か。そうだな。いただくよ。……300円」
「毎度あり。んじゃ、ちょーっと待っててくれな」
俺から300円を受け取ったにいちゃんはカウンターに水を置くと姿を消した。
……待ってろということだろうな。
俺はすぐ側にあった椅子にこしかけた。冷えた水でのどを潤す。
…………なんだろう? どこか、既視感がある気がする。いつも遅くに帰ってお粗末に晩御飯を済ませているのだが、この時間に、偶然にも帰路に見つけた屋台でひと休みしているのが引っかかる。
ひどく胸騒ぎがした。決して悪い意味ではなく、むしろ高揚感がじわりじわりと湧き出てくる感覚だ。一体どうしたんだ?
だが、俺の中に生じた違和感は、唐突に現れた白い煙を纏った人によってかき消えてしまった。
そいつは両手で抱えていた臼を置く。
靄がかき消えて照らされた姿に、俺は目を見張った。
ほとんど何も着ていない。屈強な肉体に、パンツ一丁といういで立ちの男がそこにはいた。
「……よし。あにきー、こっち準備おっけーっす。あっ、お客さん、もうすぐ始めますんで」
面食らっている俺への柔和な態度だった。俺はまだ混乱の中にいたが、何故だか期待してしまっている自分がいるのに気付いた。
「待たせたなお客さん、弟よ」
すぐに新たな男が杵を持ってやってきた。先ほどお金を受け取った店員だった。こちらも、鍛え上げられたむき出しの肉体にブーメランパンツのみとなっていた。
驚くべき状況のはずなのだが、俺はこれから何が始まるかを知っている気がした。次の言葉を今か今かと待っていた。
さあ、最高のボディビルショーを、始めようじゃないか」
「やってやりやしょうあにきー」
ふたりが臼を挟んで向かい合う。
「はあああああああ、ふんっ」
あにきと呼ばれた店員は杵をめいっぱい振りかぶり、力いっぱい臼の中へと叩きこんだ。
「よっ」
「はいはいっ」
杵が持ち上げられると、しゃがみこんでいた弟の店員が、素早く臼の中の白い塊をこねる。
言わずもがな、もち米だ。
「つぎいいいいいい、はいっ」
「はいきたはいっ」
「ううううううう、はいいいいいいいいいい」
「はっ、よっ」
息の合ったコンビネーションで餅つきが行われる。
すごい。なんというプロポーションだ。
まずはあにき。杵を持ち上げた際の鍛え上げられたボディラインがすさまじい。まるで板チョコのような腹筋から、大胸筋、三角筋、上腕三頭筋が鮮やかに照り輝く。
そこから腕が凛々しく振り下ろされる。文句のつけようもない洗練された型だ。まるでミョルニルを扱うかの如く。全体が黄金の輝きを纏って世界を具現化している。これが、ここが、エルドラドだったのか!?
その上半身を支える下半身は、立派な大腿四頭筋が主張している。俺はここにいるぞと。この黄金郷を一手に支える俺を視ろよとがっしり構えている。デカイよ。他が見えない。土台が違うよ土台が!
そして、弟だ。
待ってましたとばかりに躍動する広背筋と僧帽筋から、上腕三頭筋を経て鋭い前腕筋群へと伝わる。背中に、羽がはえている。こちらは後宮の不夜城だ。常に消えることのない煌めき。とわに燦然と内包する活力。爆発的に舞う汗はまるで金粉だ。
一切の無駄のない力の流れに呼応する筋肉たちが、鋭い刃のような太刀筋を披露する。いかな武芸達者でも容易に踏み込むことのできない領域。嵐をも凌駕するかのような隙の無い研ぎ澄まされた挟撃でお餅が織り込まれる。
その完成された秘技を放つ土台は、目を引いてしまう大傳田筋。こちらも一部の隙も無いグレートケツプリッ。
さらにそれだけでは留まらない! なんとハムストリングのチラリズム! なんだこれは! 滑らかなつやで伸縮を繰り返すあのセクシャル! そしてパワフル! 仕上がってる、仕上がっているううううううおおおおおおおお!
無限に続くかのような光景に、あにきの声が静かに、確かな存在を持って空間に広がる。
「そろそろキメるぞ弟よ」
「わかりやしたあにきー」
「さんっ」
「はいっ」
ふたりが掛け声を放つ。
「にいっ」
「はいっ」
カウントが、減っていく。
「いちっ」
もち米をついた杵からあにきは手を放し、俺の方を見ながら腕を横に広げ、上腕二頭筋を固定したまま肘を折り曲げて腹筋前へと寄せていく。
「はいっ」
弟も立ち上がりこちらを向いて、腕を掻くように外回しに一回転させた。
そして、
「「どーんっ」」
決まった……ふたりの、モストマスキュラー!
はちきれんばかりに膨れ上がった上腕二頭筋。強さを象徴しているかのような三角筋が見事。ひそかに己を主張する大胸筋が更に花を添えている。
その上半身を支える立派な大腿四頭筋。太い。あまりに太い。凛々しい。やはり、ここにあったか、エルドラド……。
くっきりと浮き上がる筋肉があまりに美しい。
並び立つふたつの光。何だこのマッチョの豊洲市場は。信じられない。ナイスバルク!
………………それからどれ程の時間が経ったのだろうか。
「はいお客さん。夜も遅いからサービスだ。こっちは醤油で、こっちが黄な粉だ。まいどあり」
気づけば俺は、2パックのお餅を受け取っていた。
顔を上げると、そこには
「あにき、完璧だったっす。よっ、石油王」
「ありがとう弟よ。お前も流石だったぞ。バリバリ!」
こぶしをぶつけ合うふたりの店員の姿があったのだった。
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