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 お風呂のあいだに子供の服を洗濯乾燥させたのを着せ、買い置きの歯ブラシで歯をみがいてやり、ちゃぶ台の前にすわらせてテレビをみせておく。食器を洗ってもどると、男の子はもう、床に寝ころんで寝息をたてていた。

 ベッドまで抱えて運んでやると(子供って結構重い!)、男の子はちょっと目をさましたが、すぐにまた眠りに落ちる。だが眠りに落ちる瞬間に男の子は私のスウェットのソデをきゅっとつかんでいて、はなそうとしない。ちょっと困惑しつつ、しかたがないので、私も男の子の横に体をよこたえた。

 思わずそのあどけない寝顔を見つめてしまう。

 目の前にある小さな顔――、肌のきめは細かく、いや、きめそのものがないほどつるんとしている。

 無表情に寝ているかと思うと、口をくちゃくちゃ動かしたり、親指を口にもっていってすいはじめる。無邪気でけがれを知らないその顔に、私の心は揺り動かされた。むずむずと胸のなかでうごめくそれは、母性本能と一般的によばれるものなのだろうか。私は初めて感じたその心の動きに、すこしとまどい、すこし気持ちが穏やかになる。母親というのはこういうものなのだろうか。

 私は、母親になるという気持ちを、まるで持っていない人間だった。

 私は、今まで生きてきて、誰かから好かれるとか、もてはやされるとか、そういうことを経験したことがなかった。誰からもあいてにされない生活をくりかえすうち、私はいつしか、結婚にたいする理想もなくなり、母親になるという願望もなくしてしまっていた。

 私はいつから人生に希望を持たなくなったんだろう。

 ふと、思い出したくもないずっと昔の記憶が、心の片隅からよみがえってくるのを感じた――。

 高校の時、私は美術部だった。

 私の描いた絵は、自分でいうのもなんだが、けっこうなものだった。ピカソとかモネとかゴッホとか、そんな大物とはりあうつもりはないが、同レベルの、少なくとも同学年の部員のなかでは、まちがいなく一番だった。けっして過言ではない。どれだけ客観的にみても、私の絵はうまい。

 あるとき、部員一同が描いた絵のなかから、どれかひとつを展覧会に出品しようということになった。

 選考はみんなで投票。

 当然、選ばれるのは私の作品に決まっている。そうであるべきである。

 だが、違った。

 選ばれたのは、同級生のK子ちゃん。

 はっきりいって、彼女の絵の才能は私より劣っている。

 私の、完璧なまでに写実した山の風景画にくらべれば、彼女の絵は、ただ派手なだけの絵だった。桜を眺めるひとりの女の子。派手に舞い散る花びらと派手な容姿の女の子が描かれた絵。それだけの絵だった。

 私と彼女の決定的な差と言えば、絵の方向性だけではない。

 彼女には魅力がある。愛嬌がある。コミュニケーション能力に秀で、会話も堪能。存在感もあって、友達も多い。男子からもモテる。

 だから私は負けたのだ。

 地味で無口で、うまいだけで面白味のない絵しか描けない私は、負けたのだ。

 彼女の存在感に。画力以外の才能に。

 以来、十ウン年。そんなことの繰り返し。ずっと目立たない人生だった。

 ツイッターでちょっとおだてられて、ひょっとするとこれで人生の流れが変わるかな、などというほのかな期待をもってコンテストに応募すれば、あのしまつ。

 結局私の人生というものは、誰からも気にとめてもらえない人生なのだ。私は生きている意味などない人間なのだ。それでも生にしがみついているのは、あくまで生存本能がそうさせているだけなのであった。ツイッターをやめたのは、そんな人間がとった、ある種の疑似的な行為だったのかもしれない。

 夢想からさめた私は、ふたたび男の子をみつめる。

 息づかいさえ無邪気で、その息は甘く、どこか魅惑的ですらある。

 明日はおかあさんにあえるといいね。

 私は無垢な寝顔にささやいた。

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