第109話 【ブルサの壁】にて

 草原で、とある巨大な生物が闊歩している。

 牛数当分の体積を持ち、鋭い牙を生やした巨大な猪。

 【エリュマントス】だ。

 夕方に突如現れ、【ブルサの壁】周辺に集結するオーク諸部族を困惑させている。


 「く、来るな!」

 「この神聖な戦を邪魔しやがって!」

 

 オーク数十人が槍を構えて牽制し、追い払おうとしているが、なかなか離れない。


 「ブモオオオ!」

 「ひい!?手がつけられねえ!」

 むしろ猛り狂い、とある目標を目指そうとする。


 「みんな、下がれ」

 「カクレンさま!?危のうございまする」

 とあるオークが、俺を静止しようとする。

 新品の鎧や防寒用の赤いマントなど装備は立派だが、おそらく少年だ。

 「これ以上天敵を近づければ馬が動揺する。俺がケリを付けよう」

 「しかし、御身にもしものことがあればー」

 「これは命令だ」

 「はっ…」


 【エリュマントス】は、馬を好んで食べる肉食の猪である。

 俺が【奇跡の森】を警戒させるよう配置しているオーク騎兵1000匹を狙ってきたのだろう。

 天敵に気づいたのか、すでに何匹かの馬が恐怖の鳴き声を上げているのが聞こえる。

 長引かせるにはいかない。


 「しかし、どうするのですか?」

 「決まっているだろう」


 俺は笑みを浮かべた。

 「猪狩りだ」


 「借りたいものがある」



==========



 「さあ来い!!!」

 俺は先ほどの少年兵から借りたものを【エリュマントス】に見せつける。

 赤いマントだ。

 理由はわからないが、赤い布を見た【エリュマントス】は怒り、こちらへと向かってくる。

 草原で長年【エリュマントス】に馬を襲撃されてきたオーク民族が編み出した知恵。


 「俺なぞその牙で突けばたやすく殺せるぞ!臆したか!」

 布をはためかせ、ヒラヒラと動かし、【エリュマントス】をさらに挑発する。

 

 「たった1人で…」

 「さすが【オークの誇り】を取り戻すお方!」


 退避させたオークたちの賞賛を聞き、ひとまずパフォーマンスの成功に安堵する。


 すでに集結したオーク諸部族は5000人を越えようとしていた。

 いくつかの部族と数年前から連絡を取り合っていたが、大半は主従関係ではない。

 多少大仰でも伝説を作り、【叛逆者】の武を示さねばならないのだ。


 ーカクレン、お前は伝説となるのだ…。

 それが、生まれて初めて手にかけた同胞の遺言なのだから。


 「ブモオオオオオ!!!」

 【エリュマントス】が走り出した。

 

 巨大な牙を固定し、俺の肉体を貫こうとする。

 一度衝突すれば、オークとはいえ死は免れない。


 「馬鹿め!所詮は獣よ!」

 赤い布を投げ捨てた。

 腰の剣を抜き、巨大な猪に向け全力疾走。

 【エリュマントス】も全力疾走し、俺との距離をみるみる縮める。


 そして、牙が目前まで迫る。


 「【オークの誇り】のために!!!」

 叫び声とともに、【エリュマントス】の牙をかわした。

 本来なら背中に剣を突き立て弱らせるのが流儀だが、そんな悠長な真似はできない。

 

 「はあああああ!!!」

 剣で【エリュマントス】の首の血管をえぐった。

 衝撃。

 剣が折れ、腕にも鋭い痛みが走る。

 だが、手応えはあった。



 「【エリュマントス】!討ち取ったり!!!」

 そう宣言して、俺は足を止めた。

 


 勢いを殺しきれない【エリュマントス】は俺の背後へと去っていく。

 草原を乱暴に踏み荒らす音が響く。

 だが、それは徐々に弱まりー、


 「ブモオ…」

 弱々しい悲鳴とともに、巨体が草原に倒れ込む音が聞こえた。


「「「カクレンさま、万歳!!!」

 数秒後、オークたちの歓声が草原中を埋め尽くした。

 


==========



 「さすがですカクレンさま!!!」 

 「お前のマントが役に立ったぞ。名は何という?」

 「トイラオ部族のエセンと言うものです!歳は15!今回が初陣となります!」


 【エリュマントス】を倒した俺に駆け寄ってきたエセンは、興奮を隠しきれないといった体であった。

 だが、1つの疑問が生じる。


 「トイラオ部族ということは、まさか身一つできたのか?」

 「はい。カクレンさまの義挙に、部族を挙げて参加できず申し訳ありません…ですが、父も母も兄も私の参加を認めてくれました!心はカクレンさまとともにあります!」

 

 トイラオ部族は、決起直前に不参加を表明した部族の1つだった。

 好意的な中立という立場で。

 

 「このエセンが功を立てますので、部族の罪はどうかお許しください!」

 「気にするな。お前のマントがなければ俺は死んでたかもしれぬ。それで帳消しにしよう」

 「あ、ありがとうございます!」

 「それより死に急ぐなよ。生きて【オークの誇り】が取り戻される瞬間を目撃しようではないか」

 「はい!」


 負けられぬな…

 

 俺は決意を新たにし、【ブルサの壁】に戻って行った。



==========



 「すまない、カクレン。兵を無駄に損ねてしまった」

 

 仕留めた【エリュマントス】を全員で分け合っている最中、トゥブが帰還した。

 機密情報を語り合うため、【ブルサの壁】の上で2人きりとなる。


 兵士は450名ほど。

 出発前は550名だったため、約100名が死んだ計算となる。


「気にするな。お前は貴重な情報をもたらしてくれた。カサをはじめとする戦死者にも、厚く報いよう」


 【イトスギの谷】をCランク冒険者を中心とした少数のムドーソ王国軍が固めている。

 

 厄介ではあるが、こちらを壊滅させるような戦力ではない。

 あとは、俺がどう行動するかだ。


 「それでは僕の気が済まない。罰してくれ」

 「罰か…ならばラグタイトを装備したオーク歩兵500の指揮権を解く」

 「ありがとう」

 「そのかわり」


 俺はトゥブの肩をポンと叩いた。


 「お前は、今日から諸部族オーク軍5000人の指揮を取れ。もちろん、ラグタイトを装備したオーク兵450人と一緒にな」

 「カクレン…」

 「気が、進まないか?」

 「いや。無能非才の身だけど、精一杯頑張るよ」

 「その意気だ。そんなことよりー」


 膨らんだトゥブの懐を見ながら、俺は喉の渇きを覚える。


 「水でも飲みながら、少し話そう」



==========



 「イェーナで取れた水、か」

 「味はどうだい?」

 「悪くない。が、やはり草原地帯の水には劣るな」


 【ブルサの壁】に立てられた【征服門】。

 周囲に護衛を置き、そこで星を眺めた。


 明日からは、もう星を眺める余裕などなくなるだろう。

 草原地帯に戻れるかも分からない。

 だから、見ておきたかった。


 「行くんだね、【イトスギの谷】へ」

 「この叛乱を、国境地帯のいざこざで終わらせる気はない」

 

 目標は、至極単純だ。


 「ムドーソ王国に80年前の虐殺の非を認めさせ、奪われた領土や資産を奪還し、経済的搾取を含む不平等条約を撤廃させる。それまでは引かない」

 現実的な路線だが、トゥブ以外には話したことがなかった。


 「ムドーソ王国の軍事力は極端に弱体化してるから、【イトスギの谷】を突破すればきっと和平を求めてくる。そうすれば、僕たちの勝ちだ」

 「その頃には、も参加してくるはずだ。単純な味方ではないがな」

 「機会があれば、王国の滅亡も視野に入れるかい?」

 「…ああ」


 おそらく、これが最大にして最後のチャンス。

 ムドーソ王が【守護の部屋】を扱えない腰抜けの内に、カタを付けるのだ。


 ー母上。このカクレンが、あなたの無念を晴らします。


 終生追い求めると誓った宿願は、もうすぐ叶う。

 

 

 

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