その③


「ピア、歩ける?」

 私は慌てて頷いた。王宮で背負われでもしたら、末代までのはじになる。

 ゆっくりと二人で場を離れる。チラッと振り返ると、殿下たちは次の参列者とこんだんしていた。私はうつむいて、ルーファス様の導きのまま歩いた。

 広間を出て、美しい庭を望むテラスの椅子にそっと座らされた。

「ピア、水を持ってくるよ。ここを動かないで」

「ごめんなさい。ルーファス様」

 ルーファス様が心配そうに指先で私のほおれる。

「こんなに青くなって……待っていてね」

 早足で室内に戻る姿を見送っていると、次々とルーファス様はお知り合いに足止めされて、なかなか先に進めない。ドンドンぶつちようづらになっていく。

「あらら……ふふ」

 私は小さく笑った。〈マジキャロ〉でもルーファス様は常に表情を変えないれいてつな男という設定だった。

 やっぱり足を引っ張ってしまった。ルーファス様、ごめんなさい。

 私たちはずっとこのまま、仲の良いままでいられるのだろうか? 私はがくように刈り込まれた庭木に視線を移す。

 遠くに見えるガラスハウス? は温室だろうか? 〈マジキャロ〉で王太子殿下とヒロインのデートの場所だった。あれこれ思い出し、ますますゆううつになり、小さなため息をついた。

 結局のところ、記憶を取り戻したあの日から、何もじようきように変化はないのだ。

 キャロラインがアカデミーの三学年目(十七歳)に現れて、ゲームの世界が動き出さなければ、私はずっと宙ぶらりんのままだ。

 ルーファス様ルートのことなど……考えたくない。ヒロインがだれのルートを選んだとしても結果は同じ国外追放だけど、日常的に愛し合う二人を見せつけられ続けたならば、私の心は間違いなくこわれてしまう。

 せめてキャロラインをいじめたなどという噂が立たぬように、今まで以上に引きこもるか、それともいっそ海外へ留学にでも行かせてもらおうか……一応他国の言葉も日常会話レベルは侯爵夫人おかあさまたたまれたことだし。

 ダメだ、そもそもロックウェル家にはそんなコネもお金もない。相手国にしてもメリットがなければボランティアじゃあるまいし、ぼんような私を受け入れるはずがない。何か実績でもなければ……。

 手首をおおうレースの中の隠しポケットから、お守り代わりの小さな二枚貝の化石を取り出して、ながめる。

「どこの国であっても、必ず化石はあるわ」

 ……ルーファス様はこの国にしかいないけれど。


「やあ可愛いお嬢さん、こんなところで……おや? 顔色が悪いね」

 突然頭の上で男の声がしたので、おどろいて顔を上げる。そこには赤い瞳をおもしろそうにきらめかせた、きんぱつしらの交じった父より少し年配の、白シャツとカーキ色のパンツという王宮においてありえないラフな格好をした男性が立っていた。

 誰だろう? 今日は父親どうはんで来た参加者はいない。参加者のじゆう? 王宮の使用人? それにしては……おさまに通じる何か言葉にできないげんのようなものを感じる。

「人にってきゆうけいしていた? ん? その胸の石は……〈妖精の涙〉じゃないか!? そうか、君がスタン侯爵家が厳重に囲い込んでいる、『知のロックウェル』の令嬢か! 幼き頃何度か遠目に見たことがあると思ったが……なるほど、伯爵ゆずりの薄灰色の瞳だ。ふふっ、親子そろって欲のなさそうな……」

 えっと……胸が〈すずめの涙〉? SIMロック? 早口すぎてのがしてしまった。

「はじめまして。ピア・ロックウェルと申します」

 私が立ち上がろうとすると、手で制止された。私は逆らわず座りなおす。

「ピアと呼んでいいかい? 私は……ジョニーおじさんとでも呼んでくれ。そうか、既に家宝を身につけさせるほどか……スタン一派を敵に回すとやつかいだから、ピアのことはそっとしておくように私のほうからも手を回そう。今日は楽しんでいるかい?」

「あっ、あの」

「緊張しないで。あちらにいる君の同年代の子らと違って、このおじさんは君を笑ったりしないし、ここでの会話を言いふらしたりもしないよ? そんなことしたら大目玉をくらうからね。レオは怖いからな……」

「おじさんだなんて!」

 ここで同調してはいけないことくらい、世間知らずの私にだってわかる。大きく深呼吸して、先ほどの返事をする。

「こ、このような社交の場は初めてだったのですが……やはり苦手でくいきませんでした。ルー……婚約者にまたも負担をかけてしまいました」

「たくさんの人と知り合って、おしやべりを楽しみたかったのかい?」

「いえ、できるだけ人目につかず、ひっそりと乗り切りたいと思っておりました」

「ほお? 自己主張の激しい世代なのに……引っ込み思案なのかな。ならば戦線だつしてここにいるのはある意味成功しているんじゃないの?」

 ジョニーおじさんはニヤリと笑って、茶目っ気たっぷりにウインクした。

「そうかも……しれませんね」

 私も小さく笑って、手元の化石をそっとでた。

「ん? それは何かな?」

 ジョニーおじさん、私のあつ二枚貝に気がつくとは、お目が高い! ちょっと嬉しい。

「あのっ、古代の二枚貝の化石です」

「化石? 見せてくれる?」

「どうぞ」

 差し出された手のひらにそっとせる。

「これはただの石の模様ではないの?」

「え~、だいたい一億五千万年前の貝が、時代をえて石になったものです。私はこのような化石の研究が趣味の物好きなのです」

「お! 急にじようぜつになった! そう……ロマンチックだね。太古の時間とのそうぐうだ。……いや、ちょっと待て、この模様どこかで……これは先日視察した、次世代エネルギーと目されている石油ちよちくがんの模様そのもの……ピア、これをどこで見つけた!」

 ジョニーおじさんが急に前のめりになった。えらそうな大人が私の化石に関心を持ってくれるのは嬉しいけれど、ちょ、ちょっと怖い! 思わずのけぞる。それにスタン領の地形を話すわけにはいかない。

「わ、忘れました」

「おお! 口がかたいな! さすがあの気難しいさいしようが認めただけある。いかん! ルーファスがおにのような顔で戻ってきた! ピア、また必ず会いにくるからな! 研究がんりなさい! かげながら助力するぞ!」

 ジョニーおじさんの視線を追うと確かにルーファス様がグラスを片手に早歩きで真っすぐ戻ってきていた。おじさんはどうやらスタン侯爵家ともお付き合いのある方のようだ。だとすればまあまあの貴族か高級かんりよう……?

「ピア、今ここに誰がいたの? らちなマネをされなかった?」

「ルーファス様、あのこちら……、あれ?」

 ジョニーおじさんは消えていた。にんじやのようだ。

「中年の、ルビーのような瞳の男性で、この場にだんで出入りできて、王宮の隠し通路を使ったと思われるジョニーおじ様だと? まさか……父上にくぎしておいてもらうか……ピア、これを飲んだら帰ろう。必要な挨拶は済ませてきた。具合はどう?」

 突然現れたジョニーおじさんと話したせいで、いつの間にか気持ちがわっていた。

 私はコップを受け取り、ゆっくりと冷たい水を飲んだ。

「お見苦しい姿をさらしました。もうだいじようです」

「サラは馬車の準備で先に向かった。では、よいしょ!」

 ルーファス様は座る私の膝裏と背中に腕を回し、私を抱き上げた。

「る、ルーファス様! 私、歩けます!」

 そう言いつつも、安定確保のため私は両手をルーファス様の首に回す。

ずかしいの? 大丈夫。このまま庭園に下りて帰るから人の目にはつかないよ。こうしないと私が心配なんだ。さっきはたおれるかと思った。おとなしくしてなさい」

 ルーファス様は私の顔を胸に押し当て、後頭部をサラリと撫でたあと、安定した足取りでテラスの階段を下り、庭に出た。

「ピアの可愛い顔を晒す気など毛頭ないが、我々が付け入るすきなどない仲だと周知しておかねばな……全く、やいやいとわずらわしい」

 不意に立ち止まったルーファス様は、私の額にキスをした。な、長くない?

「ルーファス様、あのえっと……」

「虫よけだ。そろそろ馬車の準備が調ととのっただろう」

 王宮に虫がいるの? 父の作ったさつちゆうざいぞうする?


 冷静ちんちやくで既に次期宰相はほぼ決定と言われているルーファス様が、婚約者をおひめ様抱っこし、キスを見せつけて退場……というセンセーショナルなニュースは王都中をめぐったらしいが、私の耳に入ることはなかった。


 * * *


 ルーファス様の領地で五度目の夏を過ごす。私もルーファス様も随分大人になった。

 ルーファス様と一緒にいる時間が長くなればなるほどわかる。彼は努力の人だった。人の三倍は勉強し、体をきたえ、ご両親の手足となってさりげなく動き回り、人の十倍あれこれ画策? している。

 私をそっと守り、領地まで連れてきてくれて、さいくつという貴族の令嬢の常識から遠く外れた生きがいを、バカにせず自由にさせてくれるルーファス様。

 私はやっぱり……好きになってしまった。

〈マジキャロ〉ではヒロインにだけ見せていたがおを、家族の一員に入れてくれた私にも見せてくれる。笑顔だけじゃない。ムスッとした顔も、驚いた顔も、つかれた顔も、しきの中だけの表情を私にも許してくれる。ゲームの登場人物ではない、生身で本当のルーファス様。

 意地悪なことも言うけれど、本当は家族おもいで、領民の生活向上を常に念頭に置いている、思いやりあふれる人。

 ルーファス様が残念ながら〈マジキャロ〉のルートに乗っても、その結果私が国外追放のにあっても、お金と化石さえあれば生きていけると昔は思っていた。

 けれどそう思っていた自分は子どもだった。

 前世の彼氏もどきなんて目じゃないほど、好きだ。ルーファス様に捨てられたら、あのとき以上にぼろぼろになるだろう。そしてこのうそいつわりないこいごころすらも、もはや〈マジキャロ〉を盛り上げるための土台を固めてしまったことになるのではないかと思うと泣けてくる。

 そうであれば、ますます〈マジキャロ〉のたいであるアカデミーに入学すれば、ゲームのシナリオどおりに事が運ぶ未来が見えて、きようしかない。

 ああ、ダガーやブラッドと一緒に、ルーファス様と手をつないで野山を走り回ったあの幸せな幼い頃に戻れたら……。


「ピア、どうした? 手が止まっているぞ? その論文、入学前にアカデミーに提出したほうがいい」

 私はこれまでの採掘収集結果をルーファス様のアドバイスで文章にまとめている。実績があると、アカデミーでゆうぐうを受けられるらしい。もちろん採掘の具体的な場所は書いていない。レジェン川できんが見つかったのも秘密だ。

「すみません。ボーッとしてしまいました」

 いけない! おさまお見立ての最高級普段着にインクを落とすところだった。私には派手すぎる明るい緑とたくさんのレースに怖気づいたけれど、着てみると案外動きやすく、ルーファス様がとっても喜んでくれたので……良しとする。

 ただ、おはらいしようとして結局教えてもらえなかった値段のことを思うと……お菓子のカスをこぼすこともあってはならない! どろやインクなど、もってのほか!

 としを重ねるごとに、なぜか前世の記憶やゲームの記憶がせんめいになってきた。〈マジキャロ〉のスタートねんれいや、前世のきようねんに近づいているからだろうか。

 足元にそべっていたダガーが私の膝にすり寄り甘えてくる。このはとてもさとくて、私がふさぎそうになるとすぐにこうして救出に来てくれる。

 私は無意識のうちにダガーの頭を前から後ろに撫でつけながら、おもなやむ。

 どうするべきか、どうするべきか、どうするべきか……。

「ピア、口を開けて?」

 私の口にチョコレートが飛び込んだ。

「甘い……」

「『糖分は脳を活性化する』んだろう?」

「はい」

 ルーファス様は、私に、とてつもなく甘い。


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