第5話 「憧れ、そして再会」

「頼む! そんなことやめてくれ!!」


 俺とその子の二人しかいない高校の屋上に、自分のものとは思えないほどの悲痛な声が響く。


「俺が……」


「違うよ」


 目の前にいる彼女は優しくそう言うと、顔だけを後ろにいる俺へと向ける。


「××××君は何も悪くないよ。私がどんくさいのがいけないの」


「違う! そうじゃない……」


 膝を着き、俺は力なく拳を地面に叩きつける。

 真夏の日差しに照らされたコンクリートは、まるで熱せられた鉄板のように熱かった。


「お前のせいじゃない! お前のせいなんかじゃ……」


「……ありがとう。××××君にそう言ってもらえて、私、凄く嬉しい。でも……」


 彼女の頬に一筋の涙が駆ける。


「ごめんね……」


「ダメだ……。やめてくれ、××!!」


 俺は地面を蹴り、彼女に駆け寄る。しかしあと一歩という所で、俺はそれに行く手を阻まれた。

 大きなフェンス。

 まるで、俺では彼女を救えないとでも言うように、それが彼女との間を隔てていた。

 それでも、俺は必死で手を伸ばし、声を上げ続ける。


「お前は悪くない! 何も悪くないんだ!! 高校ここが嫌なら、転校すればいい! やめてもいい! お前の両親には俺から説明する! 俺も一緒に転校する! もうお前を一人になんかしない!! だから……。だから頼む! 行かないでくれ、××!!」


「ありがとう……。そうだよね。そういう方法も、あったんだよね」


 彼女の言葉に、俺は一瞬安堵するも、次の瞬間振り返った顔を見て言葉を失った。

 今にも泣き出しそうな、強がった優しい笑顔。

 ××はいつもそうだった。本当に辛いことは何も言わず、周りに心配されてもその笑顔を浮かべるだけ。

 俺は知っているはずだった。いや、知っていた。彼女の笑顔は、助けを求めるSOSなのと同時に、自分の限界を知らせる合図だということを。


「××……?」


「本当にありがとう。××××君にこんなに心配してもらえるなんて、私って幸せ者だね。でも、ごめんね。私、もう頑張れない……」


「××!? ××!!」


 彼女の瞳から涙が溢れ出す。


「もし…………。もしまた生まれてくることが出来たら……、今度はもっと強い人になりたいな」


 彼女はまたもあの笑顔を浮かべる。

 涙を流しながらも、強く優しい笑み。

 俺はそれに息が詰まり、口から言葉が出なくなる。

 伝えるべき言葉はまだ一杯あるはずなのに、言わなければならないことが山ほどあるはずなのに、俺は口を動かすだけで何一つ言葉を発することが出来ない。


 俺はその瞬間全てを悟り、そして、

「…………好きだよ、ミナト君」

 彼女はその透き通るような青空へと、一歩踏み出した。









「ダメだ! 待て!!」


 俺はその自分の声で目を覚ました。


「はあ……はあ……はあ…………」


――またあの夢か……。


 俺は周りを見渡し、その光景からここが元いた世界とは別の所だということを思い出す。狭い部屋にボロボロの二段ベッドが二つ。木製の窓にはガラスがなく、あの日と同じ嘘みたいな青空があるだけ。

 ここは、昨晩鑑定を終えた俺たちに冒険者ゴウが教えてくれた無料の共同住宅だった。かまどとテーブルが置いてある共同スペース、何人かが同時に入ることが出来る風呂場と汲み取り式のトイレ。これ以外この家には何もなく、他にはここと同じような作りの部屋が幾つかあるだけの簡素な場所だった。


 俺は部屋に誰もいないことを確認すると、寝汗でぐっしょりになった寝間着を脱ぎ、元々ここにあった服に着替えて共同スペースに行く。

 しかし、そこにも誰もいなかった。いや、いないというよりは、元から誰もいなかったのではないかと思ってしまうほどに、生活感がまるでない。かまどは薪をくべて使った形跡がなく、テーブルもホコリを被ったままだ。

 よく考えれば、昨日あれだけごちゃごちゃしていた俺の部屋にも、もう他の同居人の荷物は何一つ残っていなかった。


「もう……決めたんだな」


 この共同住宅は、召喚されてまだ仕事が決まっていない人たちのための場所だ。

鍛冶師を目指せば、師匠となるその人の家に住まわせてもらえるし、冒険者となりパーティーを組めば、仲間たちだけで暮らす無料の住宅が貸し出される。故に、自分のやりたい事が決まった人は、もれなくここから旅立っていく。

 この共同住宅に残されているのは、もう俺しかいないようだった。


 俺は一日経ってもまだ、自分のやりたいことを見つけられないでいた。

 厳密に言えば、やりたいことはある。しかしそれが不可能だと分かってしまったのだ。どんなに望んでも、叶わないことは元の世界にもこちらの世界にもある。

 肝心なのは、それが分かったときに、ちゃんと諦めて次に進むこと。

 十分理解しているはずだったのに、俺はどうしても次のやる事が決められずにいた。


「飯でも食いに行くか……」


 なんの意味も持たないその思考を打ち切り、俺は逃げるようにこの家を出た。









 俺たちがいるこの街『城壁都市・ウェイクブルク』は異常なほど広大で、生活に困らないよう一通りの物が揃っていた。武器や防具、治療に必要な薬や薬草、飲食の出来る店、息抜きのための娯楽、大勢の人を住まわせるための住宅。そして、この街にもひけを取らないほど広いダンジョン。

 しかしこれらの施設は、なにも雑多に配置されているわけではなかった。


 冒険に必要な武器や防具、薬草や薬といった物が売っている『西区』。

 登録所支部や病院といった公共施設が立ち並ぶ『北区』。

 様々な飲食店や娯楽施設が軒を連ね、この街唯一の出入り口がある『東区』。

 多くの冒険者の住居があり、今俺が拠点としている共同住宅がある『南区』。

 そして、緊急時の際に救援を求めるための登録所本部や街唯一のダンジョン〈シュベルツガルム〉などがある『中央区』。


 以上のように、この街は五つの区に分類され、それぞれ特色がある。もちろん完全に分かれているわけではないが、それでもこれだけ覚えていれば店を探すため無駄に歩き回ったりせずにすむ。

 そのおかげもあってか、俺は家を出てから七分そこそこで目的の店を見つけることが出来た。


「すいません、短足牛たんそくぎゅうのシチューを一つ下さい」


 俺はテラス席の一つに腰を下ろし、お水を持ってきてくれた店員さんにそう注文する。

 ここもゴウに教えてもらった知識の一つだ。

 昨晩、鑑定を終えた俺たちに、ゴウはここで生活してく上で必要なことを色々と教えてくれた。

 質のいい武器や防具を取り揃えている道具屋、親切に様々なことを教えてくれる薬屋、安くてうまい飲食店、住む場所やこの街の構造などなど。

 これらの他にも、彼は俺たちが当分とうぶんの間生活できるよう、お金も工面してくれた。

 一人につき、クトーリア金貨百枚。この世界の通貨は金貨、銀貨、銅貨、石貨せきかの四種類で、元いた世界の通貨に換算すると、それぞれ一万円、千円、百円、十円ほどだと言う。


 つまり今俺の手元には百万円という大金があることになる。しかしあちらの世界ならいざ知らず、このクトーリアという世界では百万という大金も少し心もとない。なんせこのお金だけでしばらくの間生活しなければならないだけでなく、これには新しい生活をスタートさせるための軍資金も含まれているからだ。

 何かの店を始めたい奴はこのお金で商品を仕入れなければならないし、冒険者になりたい奴は武器や防具を買わなければならない。

 そう考えると、クトーリア金貨百枚という大金も途端に少なく感じてしまうのだから、人間とは欲深い生き物だ。


「俺も早くやりたいことを見つけないとな……」


 そうは言ってみるものの、全くと言っていいほど思いつかない。この際、やりたいことなどとは言わずに生活するための仕事を見つけるべきなのだろうが、俺はどうしてもその職業を諦めきれずにいた。

 ダンジョンという未知の場所に挑み、凶悪なモンスターと戦うことを生業とする者。


 冒険者。

 俺はその職に憧れていた。

 もちろん最初からそうだったわけではない。この世界に召喚され、冒険者のゴウからここがどんなところなのかを聞かされた時は、冒険者なんて絶対に嫌だと思っていた。ここは俺たちが知っている異世界ではない。

 ましてや、夢や幻――ゲームなどでもない。

 紛れもない、現実だ。

 攻撃されれば血が出るし、油断すれば死ぬこともある。そうなれば、文字通り全てが終わる。この世界には、死者蘇生などという便利なものはないのだから。

 それでも、俺が冒険者に憧れる理由。それは、いたって単純なものだった。


 あの時、コウジと名乗ったあの好青年が発した黄金の光り。それを見て、彼が羨ましくなったから。だがそれは、彼が強い等級の持ち主だったからではない。

 自分で自分の道を決め、歩む力を持っていたからだった。

 俺は、元の世界では、他人の顔色を窺って生きてきた。親の言う通りに勉強し、高校も親の意向で決めた。クラスでも周りの空気を読み、優等生を演じてきた。

 結果、俺は大切な友達を失った。


 周りに流された挙句、失ってはならないものを失ったんだ。

 だから俺は、この世界では自分で自分の歩む道を決める。コウジの光を見てそう決意した。

 そしてそうするためには、冒険者になるのが一番だと思った。自分の命を懸け、自分で道を決める。これはあの世界で俺が出来なかったことなのだから。

 他の冒険者からしたら、きっとくだらない理由だろう。俺たちのような無力な人間を元の世界に帰すために冒険者をやっている人が聞いたら、憤慨ふんがいするかもしれない。

 それでも、俺にとっては重要なことだった。自分の命を懸けるに値するほど。


 だが……。


「――そんな願いも、もう叶わないけどな」


 俺は自分の右手を見つめる。肉刺まめ一つない綺麗な手。この手を見るだけで、俺がどれだけ恵まれた環境で生きてきたのかが分かる。

 何もしてこなかった手。敵を殴ることも、大切な友を助けることもしてこなかった、怠惰な傍観者の手だ。

 俺は知らず知らずのうちに力んでいた体をほぐすよう、ゆっくりとため息を吐く。


――何をやってるんだ、俺は……。さっさと食って、仕事でも探しに行こう。


 そう思い、未だに来ない料理の催促をするため店員を呼ぼうとした、その時だった。


「おや? まさか……。はは、こんな所にいるとはね」


 俺は声の主に目を向ける。


「お前は……」


 中世的な顔立ちに、少し長い黒髪を後ろで一本に縛った長身の青年。


「やっと見つけた。ずいぶん捜したよ、ミナト君」


 そこには俺たち新人の中で最も高い等級を持つ人物の一人、コウジその人が満面の笑みで立っていた。

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