悲しくも美しいこの世界で
静観 啓
プロローグ
一人の背中、そして暗い洞窟
斧の刃先が、俺の顔数センチ前を横切る。
人間ならば、絶対に振り回すことのできないそれ。
しかし、それもこいつならば容易だ。
豚のような醜い顔に、二メートルはくだらない大きな
オーク。
脂肪や筋肉で肥大した太い腕で振り回される巨大な斧は、文字通り俺にとって死神の鎌だ。あれを食らったが最後、俺の体は骨ごと真っ二つにされ、一瞬で死に至る。
当然だ。
この世界は、夢でも幻でも――――ましてやゲームでもない。
まごうことなき、現実なのだから。
「グゥオオオオォオオォォォオオオオ!」
躱されたことに怒ったのか、そいつは雄叫びを上げると、右手に握った巨大な斧を目一杯振り上げる。
「……ふぅ」
俺は一度短く息を吐き、左手を斜め上に構えた。
その指には七つの指輪。
――これだけあれば余裕だ。
「グウオオ!!」
全身全霊の力が込められた振り下ろし。
しかし、その刃が届く前に、俺はそれを成功させた。
「〈
縦一列で目の前に展開される三つの魔法陣。それらは重なり合い、一つの大きな魔法陣となる。
複数の
岩属性を付与させた防壁『
そんなことを知る由もないオークは、全力で巨大な斧を振り下ろした。
正面からぶつかり合う斧と防壁。
金属と金属がぶつかったかのような大きな音を洞窟内に響かせ、せめぎ合う両者の間から激しい火花が散る。
そして次の瞬間。
俺の展開した防壁が、そいつの斧を弾き飛ばした。
その勢いで体制を崩し、尻もちをつくオーク。
俺はそれを見て、防壁を解除。
左手の中指から小指にかけてはめていた三つの指輪が粉々に砕け散ったのを確認して、俺はすぐさま
何が起こったのか理解できず、未だ立ち上がれないその怪物に、俺はゆっくりと一歩一歩確実に距離を詰めていく。
「お前に恨みはないが、これも生きていくためだ。……悪く思うなよ」
そして
俺が振るった刃は見事オークの首を弾き飛ばし、薄暗い洞窟を一瞬にして赤く染める。
「これで六〇二三体目……」
この世界に仲間を奪われてから殺したモンスターの数。
さすがにこれほどの数を殺せば、もう動くような感情は残っていない。
最初のころはモンスターを殺す想像をしただけで吐き気を覚えていたが、今では全身血まみれでも何とも思わなくなってしまった。
――良いことなのか悪ことなのか分からないけどな。
この世界では生きていくために殺しは必要だ。でも、それと同時に何か人間として大切なものを失ってしまったような気もする。
そんな答えの出ない自問自答に区切りをつけ、俺は顔に浴びたオークの血を洗い流すため、近くの水辺へと行く。
水面に映る自分の姿。
漆黒の髪に茶色い瞳。そこだけを見れば、昔の自分と何も変わっていない。童顔で弱そうな自分だ。しかしそのほかを見れば、あの頃とは違うということを痛感させられてしまう。両手の指には合計十五ものごつい指輪がはめられ、首には三つのネックレス、左右の耳にも十三個ピアスがつけられている。そして極めつけは、右胸から右手、左鎖骨から左目の下にかけて刻まれたタトゥー。
ここに来たばかりの自分なら考えられない容姿。
最も嫌いな人種の姿に、今は自分がなってしまっている。
――とんだ皮肉だな……。
どうしてこんなことになったのか。
水面に映った自分の顔を両手ですくって自問する。
何がいけなかったのか。
どうすればよかったのか。
どの問いにも、答えは出ない。
それでも、そのことを考えずにはいられない。
俺は、水面からその洞窟の暗い天井に視線を移し、あの時のことを思い出す。
半年前。
全てが狂い、すべてが始まったあの日のことを…………。
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