14 復活

 サーデット軍は押され気味だった。私たちを乗せたキャシーは、そんな戦場の上空を低く飛んだ。

「皆、私は無事だ! 神意はサーデットにあり!」

 意識のはっきりしたイズナス様が、張りのある声で鼓舞する。

「陛下だ!」

「ご無事だ!」

 みるみるうちに士気が上がる兵士たち。逆に敵方の兵士たちはひるみ、やがて逃走が始まった。

 夕暮れが近かったこともあり、サーデット側は深追いはしなかった。


 サーデット王国陣営にイズナス様とルードを降ろし、私は再びキャシーに乗ってニューバルを助けに行った。今なら軍のテントで手当をしてもらえる。

 なるべく顔や髪を見られないようにしてニューバルをテントに引き渡し、急いで砦に戻ろう……と踵を返したところで、ルードが足早に近づいてきた。

「アディリル」

 私は黙って進む。キャシーを木陰に隠してあるのだ。

 彼は並んで歩きながら、さらに呼ぶ。

「アディリル。聞いて」

「謝ろうとしてるなら、やめて。聞きたくない」

 私は逃げるように足を速めた。


 何だか、怖かった。ルードにされたことが、というのもそうだけれど、話を聞いたら何かが変わってしまう。そんな気がしたのだ。


 ルードは急いた口調で答えた。

「謝りたい。でもその前にすることがある」


「な」

 さすがにカッとなって、私は思わず立ち止まってしまった。彼をにらむ。

「謝る前にって、何よ!」

「アディリル、これからイズナスの演説が始まる」

 けれどルードは続けた。

「君もわかったはずだ。あの男は民が苦しんでいるのを知っていながら、そして周囲に行動を起こすことを期待されているのも知っていながら、アスキスに成り代わる『神殺し』の罪を背負う覚悟を持てなかった。そこまではいい。自分ができないなら、他の者に託せばいい。しかしあの男はそうしないままズルズルと事態を引き延ばし、アディリルに罪を着せる機会が訪れたとたん、王位をかすめ取った」


「ル、ルード」

 私は思わず身を引いた。

 彼の発言は、現国王を――神を冒涜するものだ。

(でも、反論できない。だって、私も変だと思ってしまった)


 ルードはたたみかける。

「民のために苦汁を飲んでアスキスを討ったなら、皆が納得したはずだった。イズナスもまた神の子孫なのだから。でも彼は、民のため、というフリをしただけ。聖女にすべて押しつけ、自分は清廉潔白なフリをしているだけだ」


 イズナス様は、私を陥れた。私が何か罪を犯したからじゃない、ただイズナス様に都合のいい道具だったから。

(聖女って、そういうものなの? ただの道具……?)


 ルードは言い募る。

「君は、烙印の聖女なんかじゃない。一人の民で、被害者だ。それなのに罪人として追放され、戻ってきた今も隠れて暮らしている」

「だったらどうなの!?」

「僕はただ、君の冤罪を晴らしたいんだ」

「そんなこと無理!」

 言い返すと、ルードはどこか泣きそうな顔になった。 

「無理じゃない。必ず、できる。その後なら……君に、謝ることができるかな」

「何……?」

 うろたえていると、彼は表情を引き締めた。 

「後でいくらでも、僕を罰してくれていい。僕こそ異界に落とされてもいい。だからアディリル、一つだけ、僕の言うとおりにしてくれないか」

「……どうするつもり?」

 息を呑みながら聞くと、彼はささやいた。

「君は、あの男の上に立つ。本物の聖女になるんだ」



 兵士たちの前で、イズナス様が演説をしている。

 その手に握られた剣が、空へと突き上げられ、兵士たちを祝福する。


 私は上空を旋回するキャシーにまたがり、迷いを感じながら、その様子を眺めていた。

(あの人は、神様ではない……)

 もう、以前のような気持ちではイズナス様を見ることはできない。神に守られた国だと、安心することができない。


『本物の聖女になるんだ』

 ルードは言った。

 私は、どうすべきだろう?

 イトさんの声が、脳裏に蘇る。

『身体だけじゃなく、心も元気に、ね。心、ニコニコ』

 私は、自分に問いかけた。

(もし、私が初代の聖女騎士ナイアだったら、イズナス様を助け、イズナス様に国の行く末を託したかな? そうしたら、私の心は元気でいられる?)


 すぐに答えが出て、私は身震いした。


 答えは、否だ。


 心を縛っていた縄が、ブツッ、とちぎれる音がする。

 本当の、私の意志が現れる。


 私の意志を感じて、キャシーは向きを変えた。

 なめらかに降りていき、イズナス様に近づく。彼はこちらに気づき、見上げた。微笑んだのは、さっき彼を助けた竜騎士が今も自分を守っている、という安心感からだろう。


 キャシーを着地させ、地面に降り立った私は、ルードに頼まれたことをした。

 皆の前で、マントのフードを取ったのだ。夕暮れの風に、赤い髪が流れる。

 イズナス様が目を見張る。

 私は手を上げ、一点を指さして、はっきりと言った。

「キャシー。放て」

 光弾が宙を貫き、イズナス様の腕に当たった。

 鮮血が飛び散り、剣はくるくると宙を舞い、やがて地面に突き立った。


「っぐあっ!?」

 イズナス様が腕を押さえてうずくまる。皆が驚き、戸惑う。

 その短い空白の時間に――

 ――白いローブのルードと、竜騎士の制服のニューバルが、私に歩み寄った。二人とも、私の前にひざまずく。

 ルードが声を上げる。

「聖女が異界から戻られた。聖女に罪などなかったのだ」

 ニューバルも、声を上げる。

「竜の女王キャステリットが、イズナス王を否定した。聖女よ、どうか女王とともに我々を導き給え」


 その時、風に乗って微かに、兵士たちのざわめきの声が聞こえた。

「赤毛の聖女だ」

「蘇ったっていう噂は本当だったんだ」


(噂? ……あっ)

 私は思い出す。王都で、聖女の衣装をまとった赤い髪の人物が目撃されたという話を。

(まさか、今日の日のために……?)

 ざわめきは広がっていく。

 そして、兵士たちが次々と、膝をつくのが見えた。


 後から伝え聞いたところによると――

 雲間から漏れた夕日が、空にカーテンのような神秘的な光線を描く中。

 神殿の魔法神官と、竜騎士団の団長が、聖女と竜の前にうずくまるその光景は、神話の一場面のように兵士たちの心を打ったそうだ。


 これ以上、人が死なないようにできるなら、そうしたい。

 戻れるものなら戻りたいと思っている人も、たくさんいるはず。私のように。

 私は、自分の意志で言った。

「奪ったものを、返して。そして、大事な人のところに帰って下さい。この戦争は、終わりにしましょう」

  

 他にはもう、言うこともすることもない。

 私は黙ってキャシーの背に乗り、飛び立った。

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