11 幽霊

 ある日、作業場で竜の鞍やら手綱やらの手入れをしている時に、ニューバルが訪ねてきた。

「アディリル。聞きたいことがある」

「何?」

 聞き返すと、彼はじろじろと私を見つめながら言った。

「お前、また以前みたいに、夜にキャシーを乗り回してるのか?」


「は?」

 驚いて、私は両手を振った。

「そんなことしてない! 今は休戦中でも、いつニューバルがキャシーを必要とするかわからないのに」

「……そうだよな」

 ニューバルは口の中でつぶやいてから、続ける。

「王都の方で、お前を見たという奴がいてな」


「はぁ?」

 私は今度こそ、呆れた。

「私が王都になんか近づくと思う? 見間違いだよ、それ」

「いや、目撃された奴が赤毛で、聖女の衣装を着ていたとか何とかいうから……」

「赤毛?」


 歴代の聖女騎士は、絵姿が神殿に飾られている。その中に、赤毛はいない。赤毛の聖女といえば、絵姿にならなかった罪人である私しかいない。


「とにかく、私じゃないから」

 私はむっつりと答えた。



「一般の人たちは、追放された人間は死んだと思ってるわけでしょ。じゃあ何、目撃されたのは幽霊? 私の幽霊を見たと思い込むなんて、その人、私に何か後ろめたいことでもあるんじゃない?」

 ぶつくさ言いながら、私は離れの厨房でその日の夕食を作っていた。


 今日の料理も、イトさんの思い出の味。

 鳥の肉をもらったので、塩と香草で下味をつける。小麦粉をはたいて溶き卵をつけて、これまたもらってきたパンくずをたっぷりまぶした。

 厨房の料理人はたぶん、私がパンくずを欲しがるのは鳥か何かにあげるためだと思っている。

 多めの油で、揚げ焼きにしていく。香ばしい匂い、美味しそうな焦げ色が食欲をそそる。

 お皿にとって、食べやすいように先にナイフで切り分けた。


「おっと、油、もったいないもったいない」

 フライパンに残った油は、予備のティーポットに入れた。炒め物に使おう。

 後はパンと果物があるから、それで十分。


 さあ食べよう、と私は振り向いて、固まった。

 いつの間にか、部屋にもう一人、いた。皿からチキンカツを一切れつまんで、サクッ、と食べている。

 ルードだった。

「……美味い」


 私は即座に跳びすさり、立てかけてあった棒をひっつかんだ。彼に向ける。

「ここで何をしてるの」

 ルードは一切れを食べきってから、答えた。

「ニューバル団長に用があって、来た。そうしたら、ここからいい匂いがして」

「出てって」

 私はするどく言ったけれど、彼は私に強い視線を向けてくる。

 まるで睨んでいるようだ。

「こんな料理、前のアディリルは作ったことなかったよな。異界での五年の間に、覚えたのか」

 棒を彼に向けたままの私は、返事をしない。


 ルードはじっと、私を見つめながら言った。

「……誰かと暮らしてた? そのペンダントは何?」


 イトさんとの穏やかな記憶には、たとえ想像であっても踏み込まれたくない。

 私は反射的に突っぱねた。

「魔法神官は、異界で罪人がどうしてたかまで探りを入れなきゃ気が済まないの? あなたには関係ない。キャシーが辛い目に遭っていなかったら、私、ずっとあっちで……」

 あの落ち着く家で、もうこんな人と関わることなく、暮らしていただろうに。


 目元が熱くなった。

「……出てって、早く!」

 大きく踏み出し、棒をルードの喉に突きつける。接近戦なら、魔法神官より騎士の方が速い。魔法は発動までにある程度の時間が必要だからだ。


「…………」

 ルードは黙って立ち尽くしていたけれど、やがてすっと後ろに下がった。そのまま、扉をすり抜けて姿を消す。


 私はそのまましばらく待ち、彼が戻ってこないと確信してから、椅子にドッと腰かけた。床に立てた棒にすがってため息をつく。


 私が異界でどうしていたか知りたいのなら、厳しく尋問すればいい。罪人扱いしたいなら、もっと自由を制限すればいい。それなのに。

「どうして、こんなふうに会いに来るのよ」

 私はうめいた。 


 ルードの顔を見るたびに、あの時の痛みと絶望を思い出すのが、辛くてたまらない。

 テーブルの上で、料理が少しずつ冷めていく。私はそれを見つめてしばらくぼーっとしていたけれど、頭の片隅で思った。

(ルードがニューバルに、何の用だったんだろう……)



 私が召還されて一年、イズナス暦六年に入ってしばらく経った頃、隣国との休戦が解かれて再び戦争状態になった。アスキス六世が奪った土地を、隣国が奪い返しに来たのだ。

 西支部の四匹の竜は二手に別れ、それぞれの騎士と共に出撃していった。心配だけれど、私は竜たちの準備を万全にして送り出し、後は待つことしかできない。


 二日が経ち、三日が経ち、そうこうするうちに五日が過ぎた。

 伝わってくる戦況は、膠着状態。敵方はどうやら、竜対策を練った上で攻めてきたらしく、網を使った罠や様々な遠隔攻撃で竜を寄せつけないらしい。

 神の国であるサーデットの領地が、異国民に奪われることなどあったら、どうなってしまうのか。砦の人々は不安そうにしている。


 そしてとうとう、騎士たちの士気を揚げるために、イズナス一世陛下がお出ましになるらしいという話が聞こえてきた。


 キャシーの支度を終えて離れると、ニューバルが鞍にまたがる。彼はふと、私を見下ろした。

「アディリル、あのさ」

「あ?」

 顔を上げると、彼はしばらく私をじっと見つめてから、視線を逸らした。

「……まぁ、いいや。俺が説明するべきことじゃないし」

「は? 何の話よ」

「なんでもねー」

 飛び立っていくニューバルに、私はイーッと歯をむき出す。

(思わせぶりなこと言って、何なんだっ。……もしかして、イズナス様のこと……?)


 かつては尊敬していた方の顔を、思い浮かべてみた。

 胸が重苦しく感じられる。

(なぜ私が罪を被らなくてはならなかった? 私が何かしたから? それさえ、教えて下さらなかった)

 そんな気持ちでいるせいか、今回の戦争についても、私は人に言えない思いを抱えていた。

(だって、数年前までは隣国の土地だったのよね? 玉石が出る鉱山があるからと、アスキス六世が愛妾のために奪った土地。でも、もう今はイズナス一世陛下の御代。こちらに被害が出るなら返すべきだと思うんだけど……)


 追放されるまでは、神の御心のままにと、疑いもしなかった。

 でも、今争っている土地は、戦う人々の命を失ってまでしがみつかなくてはならない土地なのか。

 そう思うことは、罪深いのだろうか。

(……一度、この世界の外に出たせいかな。私、何だか根っこの部分で、前と考え方が変わってきているみたい……) 

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