6 孤独

 色鮮やかな夏野菜は、見ているだけで生命力をくれるようだ。

 赤や緑、紫の艶やかな野菜を手でもいで、あるいはハサミで切って収穫し、カゴに入れる。


 私はカゴをいっぱいにすると、母屋の裏口に運んでいった。

「イトさん、野菜……イトさん!?」

 私は驚いて駆け寄る。

 台所で、イトさんが床にうずくまっていたのだ。


「どうした? 身体、悪い?」

 覗き込むと、イトさんの顔色はあまりよくない。

「ああ、アイルさん……ごめんねぇ……今日は特別暑いから、ちょっとね」

「フトン、運ぶ」

 私はイトさんを背負い、彼女の部屋に連れて行った。騎士として鍛えてきた私にとって、小柄なイトさんは大して重くない。


 フトンに下ろし、とって返して水を持ってくる。イトさんは水を一口ふたくち飲んでため息をつき、それからゆっくりと横になった。

「ああ、だいぶ楽になった、ありがとう。……アイルさん、電話を持ってきてくれる?」

「デンワ、わかった」

 私はデンワのコキというものを持ってきて、イトさんに渡した。


 彼女はどこかへデンワをかけ、話し出す。

 私はウチワでイトさんをあおぎながら、何となく話を聞いていた。いつもイトさんは、私と話すときは簡単な言葉を使ってくれるけど、デンワの内容は知らない言葉が多くて、半分もわからない。

「ええ、はい、お世話をかけます。病院で一度、ちゃんと診てもらいます。それで、実はお願いが。外国人の家政婦さんを雇ったんですが……ええ、ちょっと伝手があって。ええ。とても誠実な、いい人です。だから、家のことはしばらく彼女に任せようと。ええ」


 イトさんはしばらく話してから、デンワを切った。

 そして、横になったまま私を見る。

「アイルさん。私、病院に行くことになったの」


 私の火傷を治してくれた時の薬や道具の入った箱が、部屋に置かれていた。イトさんはそれを示したり、他にも身振りをしたりして、自分が病院に行くことを私に教えてくれる。

 もしかしたら、泊まり――入院することになるかもしれないと。


 私は心配した。

「身体が悪い? すごく悪い?」

「いいえ、調べるのに時間がかかるだけよ。ちゃんと戻ってくるわ。だから私がいない間、ここに誰かが来て何か言っても、アイルさんはずっとここにいていいんですからね」

 イトさんは、フトンの横に座っている私の足を、ぽんぽんと軽く叩いた。

「もちろん、出て行きたくなったらいつでも、そうしていいのよ。前にいた場所に帰りたくなったら、私のことは気にせずに帰ってね?」


 私はつい、涙ぐんでしまった。

(聖女って、イトさんみたいな人のことを言うんだよね、きっと。困っている人を助けて、食べさせてくれて、安心させてくれる。……無事に病院から帰ってきて、うんと長生きして欲しい)

 彼女を心配する一方で、自分のことも考える。

(もし、イトさんに何かあったら、この家は誰の持ち物になるんだろう? 私は、ここにいられなくなるかも)

 その先は、一人で生きていくことになるだろう。都会で、異界の人々に揉まれて暮らすのは、想像できなかった。


「トシだからねぇ、こういう日は来ると思ってたのよ。それで色々と整理してたんだけど」

 何か言いながら、イトさんは横向きになってちょっと上半身を起こす。

「アイルさん、あの小さい箱、開けてみて?」


 書き物机の上を指で示され、私はそこにあった箱を手にとった。イトさんは枕に頭を戻し、両手で何かを開ける動作をしてみせる。

 箱を開けてみると、中にはペンダントが入っていた。細長い水滴の形をしていて、たぶんガラスだと思う。深い青と緑、それに金粉が混じっていて、まるでキャシーの鱗のようだ。


「キレイ」

 つぶやくと、イトさんは微笑む。

「何かあげたいと思っていたの。あまり高価なものだと、あなたが盗んだなんて疑われたら可哀想だから、そんなのでごめんなさいね。若い頃に作ったのよ」

「?」

「ええと、それはアイルさんのもの。つけてみて?」

 どうぞ、と手で促されて、私は驚いた。首を横に振ったけれど、重ねて「どうぞ」されては、日本語の下手な私はうまく断ることもできない。


 繊細な金具をおそるおそるいじって、ペンダントをつけてみる。銀の鎖の先に下がったキャシーの鱗は、胸元でひんやりときらめいた。


「ありがとう、イトさん」

 心を込めてお礼を言う私の顔を、彼女はじっと見つめる。

「アイルさん。何があってここに来たのかは知らないけれど、あなたの身も心も元気であるように祈っているわ。身体だけじゃなく、心も元気に、ね」

「心、なに?」

「心、ニコニコ」

 イトさんは胸に手を当ててから、両手の人差し指を頬に当ててニッコリ微笑んだ。



 結局、イトさんは、戻ってこられなかった。

 一人で畑の世話をし、一人で食事をして何日も何日も経って秋が過ぎ、寒くなってきた日。

 イトさんの親戚だという男性が訪ねてきた。


 初老のその男性は、何か黒くて細長い、文字の書かれたものを私に見せた。

 私には、それが何なのかすぐにわかった。イトさんが毎日お祈りしている小さな祭壇(たぶん)に立ててあるもの。死者を弔うためのものだ。


 イトさんは、死んでしまった。


 私はあえてそのことに触れず、呼吸を整えてから、男性に言う。

「私、言葉が苦手。ここに住みたい」

 すると、どうやらイトさんが事前に何か言っておいてくれたらしく、男性は私がしばらくここにいてもいいというようなことを言った。

「こんな辺鄙な場所の土地は、どうせ売れない」

 とか何とか言っていたけれど、よくわからない。

 オキュウキンだと言って渡された封筒には、こちらのお金が入っていた。


 男性は家の中を軽く整理して、イトさんの持ち物の一部を持って帰って行ったけれど、私の胸のペンダントについては何も言わなかった。


 一人になった後、私は祭壇の前でペンダントを握りしめ、ひっそりと泣いた。

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