第15話 薄氷を踏む音
実のところ、フェレシュテフはヴラディスラフのことを詳しくは知らない。
彼女が知っているのは、ヴラディスラフが彼女の母親ナーザーファリンの古い知人であることと、スネジノグラードで事業家をしていたらしいということで、その他のことは彼やフセヴォロドと共に暮らしていくうちに知っていった。
取り留めのない会話で聞いたところによると、ヴラディスラフは若かりし頃に放浪の旅をしていたらしい。その過程でナーザーファリンと知り合ったことや、旅の途中で立ち寄った様々な地域の話などを、時折懐かしそうに話してくれるのだ。疑問に思ったことをフェレシュテフが尋ねてみれば、彼は快く答えてくれる。だが、”とある話題”にはあまり触れて欲しくないようだった。その話題になると、ヴラディスラフの優しい目が一瞬、深い闇を宿すのだ。
『マツヤに永住するお積もりだと仰っていましたけれど、御家族の方は……?』
ヴラディスラフに連れられて彼らの住居へとやってきた時、フェレシュテフは尋ねてみたのだ。住人は彼とフセヴォロドの二人だけではないだろう、恐らくはヴラディスラフの家族がいるのだろうと思っていたので。だが実際にやって来てみると、其処には彼ら以外に誰もいなかった。
『……家族はスネジノグラードにいます。此方へは、私とセーヴァの二人だけで参りました』
家族とは確りと話し合いをしたのだと、心情が読み取れない笑みを浮かべたヴラディスラフは言っていた。本当にそうなのだろうか、と思いはしたのだが、フェレシュテフはそれで納得することにした。相手の触れられたくないことには決して首を突っ込まない。それはフェレシュテフが身に着けた処世術だなのだが――見て見ぬ振りをしたのは間違っていたのかもしれないと、彼女は省みる。
娼婦をしていた頃よりも、物思いに耽っている時間がやたらに増えたような気がすると、フェレシュテフは感じている。あの頃は借金の返済に励んでいたので、悩むことと言えば馴染みの客を作ること、他の娼婦たちと揉め事を起こさないようにすることくらいだったかもしれない。
玄関の扉に背を凭れて座り込んでしまっているフェレシュテフは、上の空で考え込んでいる。そうしているうちに時間は随分と過ぎ去ってしまったらしい。ふと我に返った彼女の耳に、仕事先から帰ってきたらしい近所の住民の声が入ってきた。ということは、時刻は夕方になっているのだろう。フェレシュテフは顔を上げ、徐に立ち上がると屋外へと出て行く。近所の住民と挨拶を交わしながら、人間と亜人の男性の二人連れの姿を捜し始めた。
――暫くすると少し離れた場所にある曲がり角の向こうから、二人が現れた。フェレシュテフの視線に気が付いたフセヴォロドが首を動かして彼女を目で捉え、ひらひらと手を振ってくる。フェレシュテフも手を振り返す。フセヴォロドに遅れてフェレシュテフに気が付いたヴラディスラフも、にこやかに微笑んで、手を振ってきた。
(これから、どうなるのかしら……?)
あの言葉を口に出すのが怖いと、フェレシュテフは思う。不安を胸に抱えるフェレシュテフの前に二人がやって来て、同時に「ただいま」と言ってくる。フェレシュテフも「おかえりなさい」と返したが、頬が引き攣ってしまったような感覚を覚えた。
「あの……お二人が留守の間に、シャフラーイさんと仰る御方がいらっしゃいました。ヴァージャ……ネクラーソフ伯爵閣下を、尋ねていらっしゃったのだと……」
フェレシュテフのような者が気安くヴラディスラフの名前を呼ぶなと、あの高圧的な態度をした異国の男性は言っていた。そのことを思い出したフェレシュテフは、ヴラディスラフの呼称を改める。地面に向けていた視線を上げて恐る恐る様子を窺ってみると、ヴラディスラフは目を見開いて凍りついていた。”ネクラーソフ伯爵閣下”は間違いなくヴラディスラフのことであるようだと、フェレシュテフは理解した。
「フェルーシャさん、私は……」
「近くに馬車を止めてお待ちですので、今、お呼びして参りますね……」
何かを語ろうとしたヴラディスラフの言葉を故意に遮り、フェレシュテフはその場から離れようとしたのだが――彼女の行く手をフセヴォロドが阻んだ。彼は別の場所に首を向けながら、口を開いた。
「フェルーシャ、その必要はない。既に此方に向かって来ている」
彼が言った通りに、馬の蹄と共に車輪が地面の上を転がる音が聞こえてくる。やがて馬車は彼らの家の前で停止し、御者の隣に座していた異国の男性――シャフラーイが地に降り立つと客車の扉を恭しく開けた。その中から現れたのは並外れて美しい人間だ。中性的な容姿をしているので性別が分かり難いが、シャフラーイと似たような格好をしているので男だというのは理解出来た。年の頃は、少年から青年へと移り変わり始めたくらいではないだろうか。
(凄く、綺麗な人ね……)
男臭い容貌と性格が男性の価値であると求められるマツヤの町には、殆ど存在しないと言っても過言ではない類の人間だ。癖のない白金の髪に翠玉の瞳、そして舶来の陶磁器のように白い肌をした少年に、フェレシュテフは我を忘れて見惚れる。
『御久しゅう御座います、父上』
『……息災にしているようで何よりだ、キーリャ』
低すぎず、高すぎない声で見目麗しい少年はヴラディスラフに語りかける。それに対してヴラディスラフも短く返答をした。フェレシュテフには理解出来ない言葉であるので、彼らが使用しているのはきっとスネジノグラードで使われているものなのだろう。
ヴラディスラフは更に彼と言葉を交わすと、不意にフェレシュテフたちの方へ向き直った。
『セーヴァ。話をすることになったから、彼らを家の中へと案内してくれないか』
『承知した。若君、此方へ』
ヴラディスラフに命じられたらしいフセヴォロドが客人を伴って家の中へと入っていく。不安気に様子を見守っていたフェレシュテフは強い視線を感じ、其方へと目を向けた。美貌の少年がフェレシュテフを――睨んでいた。汚らしいものを見るかのような、冷たい目で。彼はフェレシュテフと目が合うと、不愉快そうに顔を背けて内へと消えていった。
初対面の人間からそのような目を向けられる理由が見つけられないフェレシュテフは唖然としていると、ヴラディスラフが声をかけてきたので、彼女はつい体をびくつかせてしまった。
「お客様にお茶を出して貰いたいのだけれど、セーヴァに教わった淹れ方で頼んでも宜しいかな?」
「ええと……はい、問題ありません。直ぐに用意致します、ヴァ……伯爵、閣下」
危うく”ヴァージャ”と呼んでしまいそうになったので、彼女は慌てて呼称を訂正した。会釈をしてから家の中へと入っていくフェレシュテフの後ろ姿を、ヴラディスラフは物悲しそうな表情で眺めると僅かの間を置いてから彼女に続いた。
**********
ヴラディスラフが座る席に美貌の少年が座り、その背後にはすました顔をしたシャフラーイが直立して控えている。フェレシュテフが座る席にはヴラディスラフが座っており、彼の背後ではフセヴォロドが仁王立ちをしている。ヴラディスラフと少年は母国語で会話をしているようなのだが、言葉が分からないながらもフェレシュテフには傍から見ている限り彼らは再会を喜んでいるようには見えなかった。空気が重たく感じられる中へと足を踏み入れるのには、少しばかり勇気が入りそうだ。茶器を載せたお盆を手にしているフェレシュテフは短く息を吐くと、気合を入れて居間へと飛び込んでいった。
「失礼致します」
ヴラディスラフと話し中の少年の前に、心地良い香り漂う淹れたての茶を差し出す。ふと、少年の視線を感じたフェレシュテフは彼に微笑んだ。彼は一瞬怯んだ様子を見せた後、白金の睫毛に縁取られた翠玉の目で彼女を睨みつけてきた。
理由は定かではないが、どうやらフェレシュテフは彼に敵意を持たれているらしい。
『キーリャ。初対面の御婦人に対してそのように振舞うのは、紳士として如何なものかな』
『失礼致しました、父上』
ヴラディスラフに行動を諌められた少年は不貞腐れたように目を逸らす。それを目にしたヴラディスラフは、やれやれとばかりに小さく溜め息を吐いた。
「シャフラーイ様もお茶は如何で御座いますか?」
少年の背後に控えているシャフラーイに茶を勧めると、彼はとても丁寧な口調で遠慮してきた。あの時分とは、随分と態度が違う。彼はどうやら、目上の人間がいる前では態度を露骨に変える人物のようだ。
お茶出しを終えてしまえば、自分の出番は後片付けくらいのものだろう。邪魔にならないようにとフェレシュテフが退室しようとしたところでヴラディスラフが彼女を呼び止め、傍へと招いた。
「キーリャ、此方はフェレシュテフさんだ。この家の家事を引き受けてくださっている。フェルーシャさん、此方は私の息子のキリールです。此方の言葉を充分に理解出来る語学力がありますので、スネジノグラードの言葉でなくても問題はありません」
「初めまして、キリール様。私はフェレシュテフと申します。ネクラーソフ伯爵閣下に御慈悲を頂いております」
こういった物言いをヴラディスラフがあまり好まないということは知っている。けれども、シャフラーイに身分を弁えろと言われたことが思っていたよりも彼女の中で引っかかっていたらしい。ちらりと彼を盗み見ると、案の定、内心が複雑そうな薄笑いを浮かべていた。
対する美貌の少年――キリールは億劫そうに立ち上がり、フェレシュテフに礼をしてきた。
「初めまシテ。キリール・ヴラディスラヴォヴィチ・ネクラーソフだ。以後、見知り置きヲ」
流暢であるとは言い難いけれども、キリール言葉を詰まらせることもなく、マツヤの言葉を話した。それだけを告げると、彼は素早くフェレシュテフから視線を外して席に着く。あからさまな敵意に、フェレシュテフは苦笑いを浮かべることしか出来なかった。
「ああ、そうそう。フェルーシャさん。何方に伺ったのかは存じませんが、私は伯爵ではありませんよ」
伯爵の地位を持っているのはキリールの方であるとヴラディスラフが訂正をする。そのキリールは、こほん、と小さく咳をして、注意を自分に向けた。
『そのことについてなのですが。僕は伯爵ではありません。爵位は未だ、父上のものです』
『……何だって?』
キリールから告げられた言葉を疑い、ヴラディスラフはつい彼に胡乱な目を向けてしまう。その場の空気が変わり、彼らは再び母国語で話し合いを始めてしまった。こうなると、彼らの故国の言葉を理解出来ないフェレシュテフに内容を知ることは出来ない。身の置き場に困ったフェレシュテフがおろおろとしていると、フセヴォロドが手招きをして彼女を傍に寄せてくれたので、フェレシュテフはほっと息を吐く。
それにしても、彼らはどういった内容のことを話しているのだろうか。キリールが時折フェレシュテフに視線を向けてくることも気になる。更には温和なヴラディスラフがしかめっ面をしてしまうほどの内容が想像出来ず、フェレシュテフは首を傾げる。すると、不意にフセヴォロドが腰を屈めてフェレシュテフに顔を寄せてきた。何事かあったのかと、フェレシュテフは彼に小声で問いかける。
「フェルーシャは、ヴァージャと若君が何を話しているのか、気になるのか?」
「えっ?」
考えていることが顔に出てしまっていたのか。焦ったフェレシュテフは口篭る。
「内容が気になるというのであれば、セーヴァの手を握ると良い」
そうするのか、しないのか。それはフェレシュテフの自由だと告げると、フセヴォロドは姿勢を正した。確かにヴラディスラフとキリールの会話の内容は気になる。けれども、自身に関係のないことに首を突っ込むのははしたない。あれこれと逡巡した結果、フェレシュテフは好奇心に負けた。失礼します、と小声で告げてから、彼女は隣に立つフセヴォロドのとても大きな手をそっと握る。こうすることで何が起きるのだろうか。
「私を泳がせていた理由は何だね?これまでの手紙のやり取りでは爵位について触れていなかっただろうに。何事も恙無く執り行われていると記されていたし、今し方もそう話していたはずだ。虚偽をしていた、とでも言うのかな?」
「いいえ、僕は嘘偽りなく手紙に記しております。ただ、爵位については父上と直接お話をしたかったので触れてはおりませんでした。早急に御帰国願いますと申し上げておりましたのに、一向に御返事が頂けないものですから、こうして父上の許へとやって参りました」
つい先程まで理解出来なかった彼らの母国語が理解出来る。驚いたフェレシュテフがフセヴォロドの手を離した瞬間、言葉は再び未知のものへと変化していた。フセヴォロドの手に触れていると、異国の言葉が理解出来るようになる。この不可解な現象にフェレシュテフが驚愕している間にも、ヴラディスラフたちを取り巻く空気がどんどん険悪なものへとなっていく。フェレシュテフは事態を把握しようという大義名分を掲げることにして、もう一度フセヴォロドの手を握る。
「爵位については僕も納得がいかないことがありますので、叔父上方との話し合いの場を設けようと考えています。……それから、もう一つだけお伝えしたいことがあります」
「何かな?」
「母上が病で伏せっています。父上にお会いしたいと、魘されているのです。どうか母上の見舞いに訪れるだけでも……叶いませんでしょうか?」
爵位の話は一旦終了となり、次の話題――キリールの母親であるヴラディスラフの妻の現状へと移行する。妻が病の床についているとなれば、ヴラディスラフは彼の人を想って、故国へと戻ることだろう。フェレシュテフのその想像は、覆される。
「私は君の父親ではあるが、君の母上の夫ではない。スネジノグラードを出て行くのであれば離縁を要求すると仰ったのは、あの御方だ」
鷹揚に椅子に腰掛けているヴラディスラフは、子息の願いを冷たく切り捨てた。キリールの表情が、その場の空気が凍りつく。これは、あの優しいヴラディスラフと同一人物なのか。フェレシュテフの背に悪寒が走る。
ふと、何かに気が付いたらしいヴラディスラフは徐に顎に手をやり、暫しの間考え込んだ。
「……まさかとは思うが。離縁までも成立していないというのではないだろうね?」
氷の刃のようなヴラディスラフの物言いに、キリールは小さな声で「ご明察です」と答える。予想が的中したヴラディスラフは呆れ返った様子で、何度目とも分からない溜め息を吐いた。
「急いでいたからとはいえ、詰めが甘い自分にほとほと嫌気が差す。すっかり失念していたよ、あの万魔殿は理屈が通用しない場であるのだということを……」
「一度だけで良いのです。どうか我が国へとお戻りください、父上……」
「……その手はもう食わない」
憎々しげに吐き捨てると、ヴラディスラフは席を立つ。呆然としている我が子を見下ろし、彼は冷めた微笑を浮かべた。
「遠路遥々マツヤまで訪れてくれたことには感謝している。久方振りに息子に会えて嬉しかった。申し訳ないのだが、何があろうとも私は二度と故国へは戻らない。そう、決めている」
説得を受けるつもりは毛頭ないので、持久戦に持ち込むことは不毛である。秋の終わりが訪れてしまうと故国の海が凍りつき、海路が絶たれる。陸路も、冬の山越えは厳しい。そうなる前に故国へと戻りなさい、と、ヴラディスラフは静かに告げた。親に見捨てられた幼い子供のような表情をしたキリールは俯き、微かに震えている。
ヴラディスラフはどうして、我が子を突き放すのだろうか。二人――家族の間に、何かがあったのだろうか。部外者であるフェレシュテフには、想像も出来ない。ただ、キリールから目が離せない。そうしていると、キリールを視線が合わさった。憎しみを湛えた目でフェレシュテフを睨みつけながら、彼は勢い良く席を立った。
「父上は……僕と母上よりも、この女が大切だと仰るのですか?」
その問いにヴラディスラフは答えず、布がかかっている入り口を手で示した。話はもう終わっている、と言っているように見受けられる。ヴラディスラフのその行動は、キリールの逆鱗に触れた。キリールの悲痛な叫びが部屋中に響き渡る。
「我々を捨てると仰るのか、父上は!?其処にいる、嘗て捨てた娘の為に!?正妻の子である僕よりも、”
「……キーリャ、声を荒げないでくれないか。近所迷惑――」
「誤解です、若様!」
目を潤ませて、美しい顔を歪めているキリールに指差されたフェレシュテフは一瞬唖然としたが直ぐに我に返り、誤解を解こうとしてヴラディスラフの言葉を遮る。
「ネクラーソフ様は私の母の知人で、母に頼まれて、私を助けてくださっただけなのです。それに、私の父はスネジノグラードの人ですが、随分と昔に病気で亡くなっています。ですから、ネクラーソフ様が私の父親であるはずがありません」
フェレシュテフが会話に割って入ってきたことに驚いて、ヴラディスラフとキリールは瞠目して固まっている。そしてヴラディスラフは顔色を変えて振り返り、黙したままでいるフセヴォロドの手元を見た。彼とフェレシュテフの手が、繋がれている。
「セーヴァ、何をしたんだ!?」
「フェルーシャにも事実を知る権利がある。だからセーヴァは力を貸した。ヴァージャ、若君が訪れてしまったのだ。隠し事はもう出来ない。早かれ遅かれ、何れ事実は露見する」
フセヴォロドの介入に気が付いたヴラディスラフが非難の声を上げるが、フセヴォロドはそれを意に介さない。
「だ、黙っていろ、野蛮人!貴様には発言を許可していない!誤解をしているのは僕ではない、貴様の方だ!貴様は父上と野蛮人との間に生まれた、父上の娘だ。認めたくはないが、僕の異母姉だ……っ!」
「え?」
怒気を孕んだ嘲笑を浮かべるキリールから告げられた事実を耳にしたフェレシュテフは、あまりの衝撃の強さに頭の中が真っ白になる。
「一度捨てた女と娘がそれほどまでに大切だと仰るのですか、父上?それでは、僕と母上は貴方にとって何であると仰るのですか……!?」
キリールの問いに、ヴラディスラフはまたしても答えない。拳をぎりっと握りしめ、黙秘を貫く。それがキリールの激情を余計に煽り、彼はヴラディスラフに襲いかかろうとしたが、いつの間にやら近づいていたフセヴォロドが間に入ったことによって阻まれた。キリールの振り上げた拳は、フセヴォロドの腹に打ち付けられた。
『若君よ、ここまでにして欲しい。落ち着く為には時間が必要なのだ』
『何方に向かってそのような口を利いているのだ、
『イリヤー・イリイチ・シャフラーイも無礼を働いた。異国の人間であるからと、フェレシュテフを見下した。隠しても無駄だ、竜人たるセーヴァには分かる』
『……っ』
フセヴォロドと手を離したので、フェレシュテフには言葉が理解出来ない。だが、フセヴォロドがシャフラーイを黙らせるようなことを言ったらしい、というのは分かった。
『……後日、再びお伺いします。よくお考えください、父上……』
戦意喪失したキリールは、一旦退散することを決めたようだ。シャフラーイを引き連れて、フェレシュテフたちの家から去っていった。フセヴォロドも、騒ぎ立ててしまったことを隣家の住人に詫びに外に出て行ってしまう。沈黙が支配する居間に、フェレシュテフとヴラディスラフが残される。
「……ヴァージャ、さん」
沈黙を破ったのは、フェレシュテフの弱々しい声だった。俯いていたヴラディスラフは弾かれたように面を上げ、怯えるようにフェレシュテフに目を向けた。
「貴方は、私の父親……なのですか?」
それが本当であるのならば、どうしてフェレシュテフの母親ナーザーファリンは父親は病死したのだと言ったのか。ヴラディスラフはどうして、ナーザーファリンの知人であると言ったのか。父親だと名乗りでなかったのか。ナーザーファリンに償わなければいけない理由は、見捨てたことを後悔したからなのか。フェレシュテフの心に、疑問が水泡のように生じてくる。
「……いいえ、違います。私は貴方の父親ではありません。ナージャは貴方に言っていたのでしょう?父親は貴女が物心つく前に病で亡くなっているのだと。ナージャの言葉が、真実です。私は嘗てナージャに手酷い仕打ちをしてしまった、彼女の知人以外の何者でもない……」
ヴラディスラフは寂しそうな、悲しそうな笑みを浮かべて、フェレシュテフの問いに答えた。だが、彼女はその答えに納得がいかない。
「ならば、何故、キリール様はあのようなことを?貴方は何故、乞われても尚、故国へと戻ろうとしないのですか?」
「キリールの誤解は、私の行いが招いた結果です。貴女には何の落ち度もありません。親子共々失礼なことをしてしまいました、申し訳ない」
「……セーヴァさんが仰っていました。もう隠し通すことは出来ない、と。貴方は私に、何を隠しているのですか?」
「いいえ、何も」
普段であれば快く質問に答えてくれるというのに、何故かヴラディスラフは答えようとしない。彼は口を割る心算はないのだと、フェレシュテフは理解した。
「……気分が優れないので、部屋で休んでも宜しいでしょうか?」
「ええ、勿論。……セーヴァには伝えておきます」
ヴラディスラフは隠し事をしている。けれどもそれをフェレシュテフに打ち明けようとすることはない。それはどうしてなのだろうか。
浮かんでは消える疑いを解決出来そうにないフェレシュテフは疲れてしまう。一度ヴラディスラフと距離を置いた方が良いのかもしれないと、フェレシュテフはその場から去り、自室に篭ってしまった。
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