第2話 白い虎の亜人
「嗅ぎ慣れねえ臭いがすると思って来てみりゃあ……これかよ。そういうことは家ん中か、色町でやれっつーの」
こういう奴らがいるから町の治安がいつまで経っても改善されないんだよ。
呆れ果てたように独りごちているのは、何処からともなく現れたとんでもなく巨大な男だった。突然の闖入者に驚いたのか、フェレシュテフとスジャータを陵辱している破落戸たちが一斉に動きを止めた。暗闇に慣れてきた目を凝らして見たフェレシュテフは、闖入者が人間ではないことを知る。
様々な亜人たちが暮らしているマツヤの町だが、彼のような亜人は見たことがない。背丈の大きさは
それから察するに彼は、里から滅多に出てこないといわれている
「うるせえ、邪魔すんな亜人!」
折角楽しんでいたところに水を差されてしまい、破落戸は激昂して仁王立ちをしている白い虎(仮)に噛みついた。
「……邪魔せざるをえない事情があるんだっつーの。この辺りはヴィクラムのおやっさんの縄張りだ。楽しみたいってんなら、他所でやれ。……さっさと出て行けよ、人間。じゃねえと仲間呼ぶぞ」
「偉そうに御託並べておいて一人じゃ何も出来ねえのかよ!?だったらてめえがさっさと消えろ、この腰抜けが!」
彼に一番近い所にいた破落戸は嘲笑を浮かべると、懐に忍ばせていた短刀を取り出し、その切っ先を白い虎(仮)に向けて、じりじりとにじり寄って行く。力では亜人に到底敵わないが、武器さえ手にしていれば何とかなると踏んだのだろうか。そして相手の亜人が一人だけということもあってか、破落戸はいやに強気だ。
「おいおい、物騒なもん出すなよな……危ねえぞ」
「でかい猫が人間の言葉喋ってんじゃねえよ!」
「……誰がでかい猫だって?」
やれやれと肩を竦めた白い虎(仮)を破落戸が挑発する――が、相手が悪かった。亜人たちの間で
「てめえ、よくもアショクを!」
「はあ?先に突っかかってきたのはこいつで、俺はやり返しただけだ。でかい猫に負けるなんて、だっせー奴」
傍観していたフェレシュテフは、白い虎(仮)が”でかい猫”呼ばわりされたことに腹を立てているらしいことを悟った。確かにそう見えなくはないが、それを言ったら虎は怒って当然だろうと思われる。
仲間をやられて立腹した破落戸たちはフェレシュテフとスジャータを犯すことを忘れ去り、仲間の敵をとろうと下半身を丸出しにしたまま白い虎(仮)へと立ち向かっていく。
「うわ、見たくもねえもん見せつけてくるなよ。夢に出てきたらどうすんだっ」
白い虎(仮)がそんなことを言うので、フェレシュテフはついつい想像してしまった。こんなものが夢に出てきたら、よっぽどの物好きでない限り悪夢でしかない。
一斉に襲いかかられるも、白い虎(仮)は軽やかに破落戸たちの攻撃を躱しては重い一撃をお見舞いし、次々と倒していく。最後の残った一人が仲間がやられている隙に逃げ出そうとしたが――
「逃げるならもっと早くに逃げろっつーの、馬ー鹿」
背を向けた破落戸に気絶した仲間の一人を投げつけて、逃亡を阻止する。
「恨むなら縄張りを守らなかった手前らを恨めよ。俺は雇われてるだけだしな……」
破落戸たちの命運は、”ヴィクラムのおやっさん”とやらが握っている。簡単に逃がしてもらえると思うなよと脅しながら、白い虎(仮)は
それから白い虎(仮)は振り返り、偶々近い方にいた動けないスジャータに近付き、彼女の拘束を解いてやった。
「おい、大事無い――」
「私に触らないで頂戴、亜人!汚らしい!!」
手足が自由になったスジャータは口の中の詰め物を取り去ると同時に暴言を吐き捨てて、唖然としている白い虎(仮)を睨みつけてから走り去っていく。白い虎(仮)は小さく舌打ちをすると、今度はフェレシュテフの拘束を解いてくれた。
(あら、目は青いのね……)
助け起こされた際に、月明かりに照らされた白い虎(仮)の顔が見え、フェレシュテフは物珍しさからじいっと不躾に凝視してしまう。そうしていると彼の眉根が寄せられたのが見えたので、フェレシュテフは慌てて目を逸らした。
「あの、助けてくださって、有難うございます……」
乱暴はされてしまったけれど、命を落とすことはなかったことに感謝する。力が入りにくい足を叱咤して何とか立ち上がると、閉じきっていない秘所から破落戸たちに吐き出された白濁がどろりと零れ落ちてきて、地面を汚してしまった。
(うぅ……漏らしたと思われたかしら……?)
上目遣いでこっそりと白い虎(仮)の様子を窺ってみると、彼は憮然としてフェレシュテフを見下ろしていた。そして、そのことに触れることはなく、ぽつりと呟いたのが聞こえてきた。
「亜人に礼を言うなんて、変な人間だな……」
マツヤは元々亜人だけの港町だったのだが、近年、豊かな自然の恵みを利用した貿易を目的にして人間たちが続々と入植してきたことで、人間と亜人が共存する町へと変貌したという経緯がある。友好的な関係を築いている者たちもいれば、そうではない者たちもいて、後者の例として挙げるならばスジャータや破落戸たちが白い虎(仮)にとった態度がそれだ。
そして彼もまた、人間に対して良い感情を持っていないように見受けられた。
「助けてもらったのだから、御礼を言うのは自然なことだと思うわ」
それに関しては人間であるとか、亜人であるといった概念は不要ではなかろうかとフェレシュテフが答えると、彼は瞠目して再び眉間に皺を寄せた。
(言ってはいけないことを言ってしまったかしら?)
不安気にフェレシュテフが彼の様子を窺っていると、白い虎(仮)は何かに気が付いて徐にクルタの上に羽織っていた胴着を脱ぎ、ずいっとフェレシュテフに差し出してきた。
「これ着てろ、少しはマシだ。……獣臭いのは我慢しろよ」
そう言われて漸くフェレシュテフが気が付く。身に纏っていた衣服はびりびりに破られてしまい、歯型や掴まれた跡がついている胸や、あらゆる体液でどろどろに汚れている下半身が丸見えで殆ど全裸に近い状態だということに。
仕事柄、男性に裸を見られることに抵抗はないのだが、そんな状態のフェレシュテフが見るに堪えないので、彼は胴着を貸してくれるのかもしれない。そう思ったフェレシュテフは有難く胴着を受け取り、そっと羽織った。はフェレシュテフの体をすっぽりと覆った大きな大きなそれから彼の体温が伝わってきて、温かい。彼は『獣臭いのは我慢しろ』と言っていたけれどもそんなことはなく、羽織る際にふわりと白檀の香りがしたような気がした。
「お気遣い有難うございます」
もう一度御礼を言うと、彼はまた複雑そうな表情をしていたので、理由がいまいち分からないフェレシュテフは首を傾げた。
「おーい、どうしたー?」
二人の間に僅かな静寂が訪れると、
「近頃おやっさんの縄張りを荒らしてたのは、この馬鹿どもみてえだ。どうする、連れて行くか?」
「そうだな、縄張りを荒らしやがったんだ、これ以上に痛い目みて体で覚えてもらうかな。そうしねえと、こういう馬鹿どもが余計に増えちまう」
年嵩の
「ところで、この人間の姉ちゃんは何だ?……まあ、臭いで何となく何が遭ったのかは分かるけどよ……」
「あの男たちに襲われていたところをこの方に助けて頂いたんです。……あの、失礼します……」
いつまでもこの場所に留まっている訳にはいかない。一刻も早く、胎内に吐き出された白濁の処理をしなければと思い出したフェレシュテフはいそいそと会釈をして、この場から立ち去ろうとする。だが、乱暴されている時に足を痛めてしまっていたのか、上手く歩けない。
それでも何とか歩を進めようとしていると、不意に体がふわりと浮き上がった。気が付くと目の前には、白い虎(仮)の顔がある。近い。
「これ、人間の居住区に置いてくる。それから戻るって、おやっさんに伝えておいてくれ」
「おう、分かった」
状況が飲み込めず混乱しているフェレシュテフを片腕で抱き上げた白い虎(仮)は、鋭い目を彼女に向ける。
「おい、大人しくしてろ。落とすぞ」
「ひぁっ、は、はいぃ……っ」
上半身がわたわたと動いてしまうので、フェレシュテフは白い虎(仮)の首に腕を巻きつけて、肩に顔を埋める。彼女が大人しくなったのを見計らってから、白い虎(仮)は彼女に「家は何処だ」と尋ねてきた。
フェレシュテフには帰るべき”家”はもうない。彼女が帰らなければならない場所は、たった一つだけ。
「……”ソーマの雫”という娼館へ連れて行って頂けますか?」
其処で娼婦の仕事に就いているのだと告げると、白い虎(仮)は「ふぅん」と気のない返事をして歩き始める。彼は”ソーマの雫”のある場所を知っているらしく、フェレシュテフが説明をしなくても大丈夫なようだった。
「……あの、助けて頂いた御礼をしたいのですが、何をしたら良いでしょうか?」
人間の男性であれば、娼館で自分を指名して貰えたら一夜の料金を一度だけ無料にすると言えるのだが、相手は亜人の男性だ。彼が満足するような答えが見つからないので、素直に訊いてみる。
「礼はいらない。面倒だ」
と、素気無く言われてしまった。だが、それではフェレシュテフの気が済まない。
――助けて貰ったら、御礼を言うのは当然。出来れば、其の人の役に立つようなことをしなさい。そう教えられて育ったので、そうしないと落ち着かない。それに助けて貰っただけではなく、胴着を貸して貰っているし、こうして娼館まで送り届けて貰っているのだから、御礼をしないといけないような気がするのだ。
フェレシュテフは逡巡し、ある答えに辿りつく。
「どうしても御礼をしたいです。ですので、良い亜人の娼婦を紹介させて頂こうかと……」
”ソーマの雫”には、亜人の娼婦もいる。彼女たちと交流を持っているフェレシュテフには仲の良い者たちがいるので、彼女たちの誰かを紹介することが御礼にならないかと考えた。これがフェレシュテフに出来ることだったのだが――白い虎(仮)は思い切り嫌そうな顔をして、苦々しく呟いた。
「そんな礼は特にいらん。女は亜人だろうが人間だろうが……好きじゃねえ」
「……ごめんなさい」
自分がすっきりしたいからと、自分の考えを相手に押し付けてしまった。フェレシュテフは自分を恥じて、押し黙る。白い虎(仮)も、それ以上は口を開かない。訪れた沈黙が辛い。
人気のない亜人の居住区の外れを抜けて暫くすると、賑やかな色町が見えてきた。格好が格好なので、大勢の人々の目につかないようにと白い虎(仮)が配慮してくれたようで、明かりの届かない裏路地を通って”ソーマの雫”の裏口へと辿りつく。
其処で漸く、白い虎(仮)はフェレシュテフを地面の上に下ろしてくれた。
「じゃあな」
「あ……っ」
何かを言おうとしたフェレシュテフを振り返ることもなく、白い虎(仮)はさっさと歩いていってしまう。歩幅がとても広いので、彼の姿は直ぐに夜の闇の中に消えていく。
「借りた胴着はどうやって返したら良いの……?」
名前を訊いていない上に、彼がこの町の何処で働いている亜人なのかも分からない。御礼のことを考える前に、借りたものをどうやって返却するのか、そのことを彼に話しておくべきだったとフェレシュテフは反省して、がっくりと項垂れた。
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