後編
トンチキみたいな儀式が開かれた際にこの空間も出来上がったらしい。
儀式は何年も続き、何代にもわたって語り継がれ、この場所に今までの生贄たちを閉じ込めてきた。
生贄に選ばれた者は旧支配者の従者となる。
時間の概念もなく、空腹や睡眠を感じることもなく、この部屋に侵入する敵を排除するだけの存在へと変化する。
「そんな姿が変わっているのに、どうして意識がハッキリしてるんですか?」
「今はハッキリしているだけで、危ういときもある。その頻度も前より高くなってきてるんだ。意識が体の外に引っぱられ、戻せなくなる感じとでも言えばいいかな」
「今までどうやってたんですか?」
「気合と勢いと死にたくないって気持ちかな」
「たった、それだけ?」
「自分を忘れたくないって強く思うんだ。
これが一番の秘訣さ」
彼は本に挟んであるしおりを裏返した。
よれよれになっていたが、『田嶋淳一』としっかり書かれてあった。
右隣の部屋は和室となっており、タンスの中は文房具などが一式揃っていた。この部屋ごと旧支配者のために切り離したらしい。本当に邪神信仰もいいところだ。
部屋の真ん中に置いてあるテーブルに座り、画用紙の裏側に自分の名前を書いていく。あとは適当に絵を描いて、穴を開けてひもを通す。
これで自分の名前はとりあえず、忘れることはないだろう。
名札を首から下げて、左の方にある押し入れを開ける。
座布団と寝具が一式入っていた。
人間が生活した跡がこの部屋で何度も見られ、安心できた。
適当に布団と枕を置いて、毛布にくるまる。
しばらくの間はそれを借りて、眠ることにした。
俺が眠っている間、田嶋はそっとしてくれていた。
雪山ではないのだから、気温で死ぬようなことはない。
それでも、起きるたびにあいさつしてくれたのは嬉しかった。
ただ、いつまで経っても、迎えは来なかった。
時間の概念がないとはいえ、成長しないわけではないらしい。
何年経ったか分からないが、身長もいくらか伸びた。
弟はどのくらい、背が高くなっただろうか。
どんな顔つきになったのか、成長した姿を想像しようとしても上手くいかない。
食事をとっていないからか、俺の体も細くなっているような気がした。
肌の色も人間のそれではなくなってきた。
指先がとがり、刃物みたいになっている。
どんな物でも切ってしまうから、まともに持てなくなってしまった。
自作の名札も刻んでしまう前に本に挟んだ。
人間じゃない何かに変身しているのが分かる。
眠気も空腹も感じなくなってきた。
部屋中に響くハエの羽音も近くなってきた。
言葉にできない恐怖が足元から迫ってきた。
いつか田嶋が言っていたように、自分の意識が何度も引き剥がされかけた。
体から無理やり奪い取ろうとしていた。
その度に、自分の名前を繰り返し唱えた。
自分の名前が最強の呪文になる日がくるなんて、思っても見なかった。
まだ迎えが来る気配はない。
旧支配者はここにいる俺たちを観察しているのだろうか。
謎は増えるばかりだ。
イライラしても仕方がないことは十分に学んだので、気長に待つ。
どれだけ抵抗したところで、その時は必ず来る。
「そろそろだな」
それは何の前触れもなく、やって来るのだ。
田嶋は一言つぶやいた。
「奴らが俺を迎えに来る」
田嶋は淡々としていた。
俺よりも何十年も前に待っていて、ようやく仲間として認められた。
喜ぶべきなのは分かっているのに、素直に喜べない自分がいる。
これからは自分一人になってしまう。
気が遠くなる時間、孤独を耐えなければならない。
その間にも、自分は化け物に代わっていく。
「……今までありがとうございました」
こみあげてきた涙をこらえ、どうにか言葉を絞り出す。
「こっちこそ、ありがとうな。ひさしぶりに楽しかった」
彼は片手をあげて、その場から消えた。
涙があふれ、声をあげて泣いた。
俺はひとり、取り残された。
気の遠くなる時間を過ごした。
俺は人間と呼べるものではなくなった。
手足から刃が生え、体はそれを支えるための機構へ変わり果てた。
意識が飛ぶことも増えた。
どうにかして保っているものの、以前よりひどくなった。
迎えが近づいているのだろうか。
彼らに認めてもらえたら、消えて行った田嶋にも会えるだろうか。
楽しかった日々を思い出し、懐かしさを覚える。
「……何だ?」
俺は顔をあげた。
新しい生贄が来たわけではないのに、気配を感じる。
鍵の開く音が聞こえた。
「誰か来たのか?」
扉に耳を当てた。
外には出られないので、様子は分からない。
『そんなに知りたかったら、こっちに来いよってことじゃないか?』
『わざわざ開けてくれたってことか? 俺たちのために?』
『とにかく、行くだけ行ってみよう。
これを逃したら、いつ行けるかも分からない』
若い男が二人、何やら話しているのが聞こえる。
予期せぬ侵入者を迎えるために、3階へ続く階段が現れたようだ。
彼らを殺せと言うのだろうか。
今の俺は歩く刃物みたいな姿をしているから、侵入者を排除することは難しくない。
この先に進むことにしたらしく、階段を上る音が聞こえる。
「こっちに来る……」
俺は壁を背にして立つ。
下っ端ですらない俺に、何が起きたのかは分からない。
しかし、扉は開かれた。
カメラマンに記者風の男、その中に弟がいた。
身長もかなり伸びて、大分大人びていた。
名前を呼んでも、聞こえていないみたいだった。
何でこんなところに来たんだよ。どうやって来たんだよ。
他の二人は探索に慣れているように見える。
専門家を連れて、俺を助けに来たってのか。
カメラマンは目を輝かせて、シャッターを切っている。
三人に俺の姿は見えていないらしい。
記者が扉を開けようとするが、固く閉ざされたままだ。
そのまま探索を進めることにしたようで、本棚を漁り始めた。
三人で本を覗き込み、何やら話している。
まともに日本語を聞き取ることすらできなくなっていたのか。
言語も理解できないだなんて、本当にただの化け物じゃないか。
『一旦、二手に分かれて探索するか?』
『じゃあ、お前らは右。俺は左な』
『オッケー。十分後、またここに集合な』
『了解』
本を読んでも手掛かりはないと判断したようで、彼らは二手に分かれた。
ここで田嶋と俺の名札を見つけてくれたら、どれだけよかっただろう。
弟はカメラマンと右の部屋を探索することにしたらしい。
一人で左の部屋に向かった記者風の男を追う。
男が入った瞬間、ふすまはすぐに閉ざされた。
小さなタコたちが一斉に襲い掛かり、俺は必死に薙ぎ払った。
とにかく、近づけさせてはいけない。
肉塊と体液が飛び散る中、彼は呆然と突っ立っていた。
絡み付いたタコに足元をすくわれ、記者は倒れた。
ここぞとばかりに群がるタコたちを斬って払っていく。
しかし、奴らの速度に追いつけない。
あっというまに体中を覆い尽くし、彼は見えなくなった。
続いて、二人がこの部屋にやって来た。
無残な姿を見て、彼らは絶句していた。
俺のことは見えていない。
カメラマンがふすまに手をかけた瞬間、バケモノが彼の手に飛びついた。
手も一緒に斬り落としてしまい、血の匂いをかぎつけた。
腹部に張り付いたそいつを俺は胴体ごと切り落としてしまった。
前向きに倒れ、死体に群がっていく。
『ごめんなさい……!』
俺の声かと思ったら、弟の声だった。
透明なタコたちは弟に飛びつき、離れようとしない。
ふすまを開け放った彼のわきを通り抜け、前に躍り出る。
そして、タコを斬るつもりが彼を斬ってしまっていた。
腹から血を流して倒れた。
助けに来てくれたのに、俺はここにいるのに。
本当に侵入者を排除するだけの化け物になってしまった。
俺はがくり膝をついた。
大粒の涙が頬を伝い、彼の顔へ落ちて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます