第拾㯃章 復讐の狼煙は飛蝗

「チッ、あの莫迦、やりやがった!」


 偽トロイ自爆の後処理を『騎士王』及び『守護王』に任せた月弥はトロイを伴って聖都スチューデリアまで出張ってきたのだが、そこで想像すらしていなかった光景を目の当たりにする事となった。

 初めは煙かと思ったのだが、善く善く見れば上空を覆う黒い影は恐ろしいまでの虫の大群である。それらが畑という畑を襲い、食い荒らしていた。


「見てみろ」


 月弥が跳躍して虫の一匹を捕まえるとトロイに見せた。


飛蝗バッタですね。蝗害というヤツでしょうか?」


「善く見ろ。体の色は緑だし、羽が短くて足が長い。『孤独相』だ」


「『孤独相』…ですか?」


 いまいちピンと来なかったのか、トロイは首を傾げる。


「バッタってのはな、蝗害を起こす前に移動に適した『群生相』というものが生まれる。特徴としては全体的に褐色で足が短くなり、羽が長くなるンだ。『孤独相』のバッタはその名の通り個体同士が離れようとするが、『群生相』は逆に個体同士が惹かれ合うように近づいていく。で、爆発的に数を増やしながら、畑を襲うンだ」


「うへぇ、怖いですね」


「それだけじゃねェ。『群生相』のバッタは稲や農作物だけじゃなく、『孤独相』のバッタが喰わねェような紙や綿といった植物由来のモンまで喰い尽くしちまう。しかも短時間でな。当然、被害地域の食物生産は不可能となり、深刻な食糧不足や飢饉をもたらす事になるンだ」


 そこでトロイは疑問を持つ。

 『孤独相』は群れを作らないのでは、と。


「まあ、例外もあるけどな。『孤独相』も群れに入れば群生行動を共にするらしい。けど、見た限りではアイツらは全て『孤独相』だ。まずありえねェ状況だ」


「つまり、ありえない事を起こしている人物がいると……そして、その張本人があの莫迦・・・・と呼んだ人なんですね」


 月弥は苦虫を噛み潰したような顔で首肯した。


「あの野郎、『孤独相』のバッタを魔法で無理矢理手懐けて畑を襲っていやがる。恐らくはここだけじゃねェ。下手するとスチューデリア全ての畑が被害に遭っているかも知れねェぞ。それだけの魔力を有しているからな」


 トロイはこの悲惨な蝗害をもたらしている犯人の狙いを読んで背筋を寒くした。


「狙いはスチューデリア人の皆殺しですか。それも真綿で首を絞めるようにじわじわと嬲り殺しにするつもりのようですね。まずは食糧を奪い、餓えの中で時間をかけてゆっくりと彼らを甚振る気か。まるで魔女裁判で女性を拷問にかける神の代行者気取りのように」


「それだけ野郎の怒りが凄まじいって事だろうよ。こりゃやっこさん、スチューデリアに住む人間は赤ん坊だろうと生かしておくつもりは無ェな。見ねェ、あの洗濯物をよ。子供服どころか赤ん坊のおしめや御包みまで喰ってやがる。怖いねェ。きっと徹底的にやれ・・・・・・って命じてやがるンだろうな。ここまで情けが一切入らねェ純度の高い殺意を持ってアイツはバッタを操っているンだ」


「止めるおつもりですか?」


 トロイの問いに月弥は肩を竦めて見せた。


「さてね。俺が依頼されたのは魔女狩りの収拾・・・・・・・であって、魔女からの報復を止めてくれ・・・・・・・・・・・・・とは云われてねェからな」


 無謀にもバッタを松明で追い払おうとしていた農夫が逆にバッタに纏わり付かれて悲鳴を上げているのを横目に月弥は歩を進める。


「教皇さま、どちらに?」


「聖都スチューデリアにも慈母豊穣会と契約している農家がいるからな。まずはそっちを優先的に守護まもらにゃならねェ」


「この人は宜しいのですか?」


 トロイが器用に服だけを食べられている農夫を指差すが月弥の歩みは止まらない。


「別に死ぬワケじゃねェだろ。それに、そのオッサン、背後に怨霊が憑いているから霊視してみたが、魔女狩りに便乗して若い娘を襲っていやがる。怨霊もオッサンに襲われて首括った娘だぜ」


 それを聞いて、トロイは助けを求めてローブの裾を掴む農夫の手を足で払う。


「では行きましょうか。もしかして教皇さまは契約農家を助けた事で犯人が怒って姿を見せるとお思いに?」


「お、分かってるな。確実じゃないが、助けたのが俺と分かれば高確率で姿を見せると思うンだよ。ま、上手くいったらご喝采ってね」


 服どころか髪や皮膚の一部も喰われている農夫の目の前で、教皇と巡礼は自らの影に沈むように姿を消した。その様はさながら魔女のようであったという。









「おーおー、やっぱりな。案の定、スチューデリア全域の畑を襲っていやがる」


 慈母豊穣会と契約を結んでいる農家の元へ馳せ参ずれば、既に空を覆い尽くさんばかりのバッタが畑を襲っていた。

 太陽を隠すほどの群れはさながら魔女達による復讐の狼煙のろしだ。

 瞬く間に作物を喰い尽くされた農夫は呆然とその光景を見ている。


「爺さん、どいてろ! バッタを駆除してやる!」


 月弥の手の平にピンク色をした靄が球状を為しているものが現れると、上空へと浮かび上がる。すると、靄の球を目掛けてバッタが食べるのをやめてまで押し寄せてくるではないか。


「後はコイツで」


 靄に集まるバッタの群れを覆うように巨大な闇の渦が出現し、バッタを余さず吸い込んでいく。

 主君、『淫魔王』クシモの力を借りる暗黒魔法『淫魔法セクシャルマジック』の一つ、生物を本能レベルで惹き寄せる『フェロモン』をバッタのみに強く作用するように調整し、呑み込んだ敵を破壊し尽くす闇属性の最高位攻撃魔法『ブラックホール』で一匹残らず殲滅したのである。


「教皇さま、ありがとうございます。しかし遅すぎましたじゃ……畑の物は恐らく全滅、出荷するどころか、年貢や家族の食い扶持すらうなってしまいましたわい。ワシらはこれからどうすれば良いのか……」


 嘆く老農夫に月弥は大仰に呆れて見せた。


「おいおい、契約書をちゃんと読んでねェのか、爺さん? アンタ、契約と同時に保険も入っていただろ? 後でちゃんと読み返しておくンだな。“災害時には被害に応じた保証をする”って書いてあるからよ。蝗害は立派な災害だ。贅沢しなけりゃ生活出来るだけのカネは出すし、税金も立て替えてやるから心配しなさんな。それに善く見りゃ小麦や米の貯蔵庫は無事なようだぜ? 特約の盗難災害防止結界サービスも付けておいて正解だったな」


 教皇の言葉を受けて、老人は跪いて感謝の言葉と共に涙した。


「爺さん、頭を上げろや。これも全て、ちゃんと保険に入って、毎月保険料を納めていた結果なんだぜ。“無駄金だからやめろ”と云っていた息子夫婦の反対を押し切った自分の先見の明を褒めるンだな」


「はい…はい…」


 ふと月弥の懐が振動する。スマホであった。


「おう、どうした?」


 馴染みのない道具を使い、見えない相手と会話をしている月弥を老人は不思議そうに見つめている。


「そうか、御苦労だったな。良いか、少しの驕りも見せるなよ? 保険金は毎月納めて貰ってるンだ。保証を受けるのは当然の権利だと思って丁重に対処するンだぜ」


 通話を切ってスマホを懐にしまう。


「スチューデリアの契約農家は軒並み全滅だとよ。けど、保険に入っている農家は取り敢えず当面の生活は出来そうだとの報告があったぜ。流石は俺が鍛えた精鋭だ。蝗害の対処もアフターケアもばっちりだぜ」


「しかし、それでは随分とお金が出て行くのでは?」


「構うか。慈母豊穣会は信徒、顧客の誰一人として不幸にはさせねェ。たとえ身銭を切る事になっても守護まもり抜いて見せてやる」


 事実、この蝗害の対処には莫大な人員と金が動く事になるのだが、契約農家は一件たりとも破産させなかった事から教皇ミーケの名は世界中に轟いた。

 “教皇ミーケは全財産を擲ってでも顧客を守護る”“民が餓えようと搾取をやめない王侯貴族や宗教家気取りとは違う”と男を上げ、信徒或いは顧客を増やす結果となったのである。


「ふぅん…一瞬にして群れに大穴が開いたから、何事かと思って来て見れば、やっぱりキミか」


「はん、随分と早く炙り出されやがったな。もう二、三件、契約農家を助けに行くまで姿を見せねェと思っていたぜ」


 突如、宙に現れた白いローブに老農夫は、その身に纏う怨念と相俟って幽霊でも出たのかと胆を潰した。

 しかし、善く見れば幼い子供であると知れる。

 歳の頃は八、九歳か? 背丈は教皇ミーケとほぼ変わらないようだ。

 爽やかな風が吹く草原のようなライトグリーンの髪、瞳も鮮やかなグリーンだが老人の目には夜の闇よりもくらく見えてゾッとさせられた。


「ま、魔女か?」


 老人の幽かな呟きは宙にいる子供の耳に届いたようで、じっと視線を向けてきた。


「だったら? 異端審問会に報告するかい? 構わないよ?」


 クスクスと笑う子供に老人の体は金縛りにあったように動かなくなる。

 しかし、教皇がパンッと手を叩いた途端に動けるようになった。


「おシン直伝の『不動金縛りの術』か。随分と遣いこなしてるようだな」


「御褒めに預かり光栄だね」


 見た目は幼い子供ではあるのだが、この妖艶とも呼べるまでに妖しい存在感と色香はどうだ。老人は改めて魔女と対峙している今の状況に恐怖した。


「ま、魔女狩りの復讐か?」


「それ以外に何があるのさ? 君達、星神教徒は、いや、聖都スチューデリアはやり過ぎた。今度はこちらが裁く番だよ」


 よくもそんな愚問を投げかけられたね、と侮蔑の表情を浮かべる子供に老人は知らず腰を抜かして尻餅をついていた。


「それにしてもツキヤ、キミなら僕の気持ちを理解してくれていると思っていたのだけど、どうしてスチューデリア人を助ける真似なんかするんだい?」


「知れた事だ。ここもそうだが、スチューデリアにも慈母豊穣会うちと契約している農家がいるンだよ。企業として顧客を救うのは当然の事だろうが、そんな事も分からねェのか、ウスラボケカス」


「相変わらずだね。つまり僕を止めるつもりだと解釈して良いんだね?」


「あ? テメェらが復讐してェのなら勝手にやれや。俺が止めるように依頼されてるのは魔女狩りであって復讐じゃねェ。云ったろ? 俺は顧客を守護ってるだけだぜ」


 一瞬、空に浮かぶ子供の目が点になるが、暫くすると喉の奥からくつくつと音が漏れ、次第に笑い声が大きくなっていく。


「そ、そうだった。そうだったね! キミはそういう人だった。そういうところは全くブレないんだなぁ。そうか、スチューデリア人を皆殺しにするのは不可能か。キミは顧客を守護る為ならきっと僕とも躊躇することなく戦えるだろうしね」


「そういう事だな。いやァ、哀しいぜェ? 三池流の奥義の数々をお前に叩き込むのはよ。けど、安心しな。どういう姿になっても相手を絶対に死なせない優しさが三池流の売りだからよ」


「流動食しか食べられなくしたり、オムツや人口肛門が必要な生活になる程のダメージを与えるのは優しさとは云わないと思うよ」


「だが、俺と本気で戦うと云うのなら確実に体が変形する・・・・・・・・・程度の事は覚悟して貰わないと困るぜ?」


 頬を引き攣らせる子供に月弥はさも当然とばかりに返した。


「だが、まずは話をしよう。親父さんやカストル、ポルックスの事も含めてな」


 月弥の提案に子供はすぅっと表情を消した。


「話す事は何も無いよ。僕達は必ず聖都スチューデリアを滅ぼす。キミと戦う事になってもね。僕から出せる妥協案は“土地を捨ててこの国から去るのなら見逃す”それだけだよ。勿論、魔女狩りに僅かでも関わった者は逃がす気は無いけどね」


「クーア!!」


「何? これでも随分と譲歩した方だよ? キミの顔を潰す事になるかもだけど、千を超える仲間と父様、兄様、そして内縁の妻の子にも拘わらず受け入れてくれたツァールトハイト家の人達、その無念を思えば当然だよね?」


 クーアは地上に降り立つと自らの影に飲まれるように沈んでいく。

 先程、月弥が見せた影を媒介とし、影から影へと瞬時に移動する『影渡り』と呼ばれる移動魔法である。


「じゃあ、ツキヤ、次に会う時は敵同士だね」


 クーアは月弥に微笑んで見せた。

 彼の思惑では、この微笑みの意図が読めずに月弥が怯むはずであったのだが、そうは問屋が卸さなかった。


「クーア! これを見ろ!」


「何だい?」


 なんと月弥は自分の前歯を掴むと毟るように外してしまった。

 しかも上下共にである。


「なっ……それはどうしたの?!」


 クーアは驚愕のあまり体を影から出してしまっていた。

 月弥は『影渡り』が解除されたのを確認すると、部分入れ歯を元に戻す。


「どうしたの、その歯は? 誰かにやられたの?!」


 先程とは一転して心配げに近づいてくるではないか。

 これだけでクーアが復讐心の塊になりきった訳ではないと内心安堵する。


「違ェよ。今まで全部の歯が乳歯だったンだが、最近になって生え変わり始めたのよ。だが、どうした事か一気に乳歯が抜けちまってな。こうして部分入れ歯が必要になっちまったンだよ」


「な、何だ。脅かさないでよ。じゃ、じゃあ、僕はもう行くから」


 再び影に沈もうとするクーアの手を掴む。

 距離が詰まったので捕まえるのは容易かった。


「まあ、聞け。お前に取っても良い話なんだ」


「い、良い話? その歯と何か関係があるって云うの?」


 いつの間にか、クーアは月弥に後ろから抱きつかれる恰好となり、右手も月弥の左手に掴まれたままだ。


「あのな? 娼婦の一部には歯を抜いちまうのがいるンだってよ。まあ、大半は抜くっていうより抜かれるみたいなんだがな」


「ひ、非道い事をするもんだね。け、けど、それがな、何?」


 前述したが二人は男同士ではあるが恋人として交際をしている。

 その相手に後ろから抱きしめられて耳元で話しかけられては動揺するなというのが無理というものであろう。


「どうもな、歯の無い口でして貰う・・・・とそれはそれは天にも昇る心持ちになるらしいぜ? どうする? 今の俺、前歯が無いけど……多分、あと二、三日で新しい歯が生えちまうぞ? 今、去ったら、もう試すチャンスは無くなるぜ?」


 クーアは生唾を飲み込んでしまう。

 今の段階では時間を見つけてはデートをするだけの清い交際だ。

 最近、漸くデートの終わりに軽く触れるだけのキスを許されたばかりである。

 それなのに、月弥の口からそのような言葉が……

 つい想像してしまい、顔が、全身が熱くなっていく。


「なあ、話をしようじゃないか。その後でゆっくりとな?」


 魔女の秘術を継承してはいるが、クーアとて男である。

 想い人からの誘いに男としての本能が揺れ動いた。


「ねぇ、クーアは僕とそういう事するの嫌かな?」


 久しぶりに聞く月弥の甘えた声にクーアの分身は別個の生き物のように脈動してはち切れんばかりになるのだった。


「だ、ダメだよ。魔女にそんな誘惑は効かない。僕はスチューデリアを滅ぼすんだ」


 しかしクーアはそれでも拒絶の言葉を放つのだった。


「そうかい。なら仕方ねェ。血の雨を降らせるしかないよな」


 何が起こったのか分からなかった。

 月弥が左手を引くと、それに釣られて体が半回転する。

 その勢いのまま向き合う形となった月弥の右腕がクーアの喉に叩きつけられた。

 『レインメーカー』と呼ばれる強烈無比のプロレス技である。


「うわぁ……さっきまでの甘い誘惑が嘘だったかのような容赦の無さですね」


「実際、嘘だし拒否したのはクーアだ。ま、ほいほい来られたら俺も困ったから助かったけどな。いくらクーアが相手でも流石に口でするのはちょっとなァ」


 月弥は気絶しているクーアを横向きにして抱き上げた。所謂お姫様だっこである。

 非力ではあるが、近い体格のクーアを持ち上げるくらいは出来た。


「さ、ゆっくり話が出来るところへ移動するか」


「了解しました」


 二人は老農夫に別れを告げると、『影渡り』で移動をするのだった。


「でも、ちょっと残念だったかな」


「教皇さま、何かおっしゃいましたか?」


「いや、何でもねェよ」

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