第玖章 失恋と友情と東雲姫子の秘密
「お前達、いつもの
「お、お館様?! なりませぬぞ!! こやつは何をしでかすか分からぬ男。況してや魔女が共におるではありませぬか!! お館様にもしもの事があれば」
「もしもの事があれば我らの責任問題か?」
「いえ、決してそのような……」
狼狽える長身の男に東雲家
「ならば云い方を変えよう。外せ。私は
三池月弥にも劣らぬ十六夜の眼光に
「では我らは先に参りますゆえ、ごゆるりと」
「うむ、もし私が顔を見せなんだら支払いは東雲家に回しておけ。お前達もゆっくり飲んでいくと良い」
「畏まりました」
森岡龍之介が藤十郎の首根っ子を掴んで立たせると、その場から立ち去る。
「相変わらず龍の字は分からん。小物なのか強いのか」
「常に一歩引き、小物のロールプレイで我の強い我らの手綱を握っておるのよ。お前も気付いているだろう? 私に鼻を打たれたように見せてしっかり袖に隠した手甲で防いでおった。嘆かわしい事だが、藤十郎もあやめもそれを察することが出来ておらなんだわ」
「はあ、喰えない男だねェ。ツキヤは分かっていたのかい?」
「子細あっての小物ぶりだと思っていたが、俺達を操縦する為だとは思ってなかったよ。まあ、考えてみたら小物に渉外や後始末を任せる事は出来ねぇわな」
魔女ユームの問いに月弥は肩を竦めて答えたものだ。
そして東雲十六夜と差し向かいとなる。
「で? 姫子の墓の有り様について納得のいく説明をお聞かせ願えるンだよな?」
「ああ、私もこの歳まで随分と悩んだが、一人で秘密を抱えるのも疲れた。お前が耐えられるかは分からんが私としても誰かに打ち明けたかったのだよ」
「あん? 随分とまた思わせ振りな云い方をするじゃねぇか」
「聞けばお前も納得するはずだ」
十六夜は姫子の墓に哀しげな目を向ける。
「思えば姫子は我らの青春だった。お前もまた姫子に惚れた男の一人であったな」
「俺と姫子は友達だよ。好きだったが惚れたハレたって関係じゃねぇ」
「だが、少なくとも姫子はお前が婿に来る事を望んでいた」
「それを云うな!!」
視線だけでも射殺さんばかりに十六夜を睨んでいるが、ユームの目には月弥が怒っているというより泣いているように見えた。
自分も恋を知ったが故に解る。十六夜の指摘通りに月弥もまた姫子に惚れていたのは明白であったが、月弥の体に半分流れる妖精の血がそれを許さなかったのだ。
東雲家先代当主が姫子の婿を取り次期当主にすると公表した時、それを望む男子達の中に確かに月弥はいたのだ。
集まった分家衆の男子達が数々の過酷な試練によって容赦無く篩い落とされる中、最後まで残ったのが月弥と十六夜であった。
そして最終試験として両者の一騎討ちが始まったが、試合は終始十六夜の有利に進んだ。月弥の実力が十六夜に劣っていた訳では無かったが、やはり体格差はどうにもならなかったのである。
しかも決戦の前夜、月弥は先代に呼び出されてこう云い渡されていたのだ。
「未だ生殖能力の無いお前に当主を譲る訳にはいかぬ。どれほど望もうが姫子が生きている間に生殖能力は獲得出来まい。後継者を儲ける事が適わぬお前を当主には出来ぬのだ。お前が姫子を愛していようと。姫子がお前を愛していようとだ。解るな?」
精彩を欠いた状態では勝てる勝負も勝てないだろう。
しかも十六夜は家柄こそ分家の末端だが、実力、人格ともに申し分の無い男だ。
姫子との仲も悪くはない。何より姫子への想いは自分にも負けてはいないだろう。
ああ、何故、自分は長命種の血を受けて生まれてしまったのか。
不覚にも視界が涙で歪み、それが致命的な隙となってしまう。
十六夜の下から伸びてくる剣を受け止め損ねて木剣を取り落としてしまったのだ。
「勝負あり!!」
喉元に突き付けられた剣先に審判の判定が下る。
月弥は見てしまう。
東雲家当主の安堵の溜め息を吐く姿を。
両親の申し訳ないという罪悪感に満ちた顔を。
“やはり人間ではない者は”と嗤う分家衆の面々を。
そして、裏切られたと云わんばかりに睨む姫子の失望を。
月弥は勝者を称える事も出来ず、落とした木剣もそのままに、頭を抱えてその場から逃げるしかなかったのである。
「あの試合はどちらが勝っても可笑しくはなかった。紙一重の差だと思っているよ」
「よせ。当時の俺ではお前には敵わなかったよ。現に結納してからのお前達は幸せそうだったじゃねぇか。今なら分かるぜ。俺には姫子を幸せには出来なかったってな」
「違う。そうではない」
今度は東雲家当主が血を吐くように云った。
「それは表面上の事だ。私は姫子を幸せにはしてやれなかった。出来なかったのだ」
泣いていた。
東雲十六夜は真っ直ぐに月弥を見据えながら泣いていたのである。
「姫子を幸せにしてきたのは、いつだってお前だった。姫子を笑顔にしてきたのはほかでもないお前だったのだよ。私は常にそんなお前に嫉妬していたのだ」
生まれついて病弱だった姫子に魔力を与えて歩けるようにしたのは月弥だった。
自由を渇望し、空を自由に飛び回る鳥に憧れていた姫子に魔法をかけて一時的に空を飛べるようにすることが出来たのは月弥しかいなかった。
強制的に婿を取るしかない運命にあった姫子を力づける為に、ライバルであるはずの婿候補達を鍛えて、誰が婿になっても未来は明るいぞと笑い飛ばして見せたのも月弥の人望の賜物であった。
「私が強くなれたのも元を辿ればお前が鍛え、知恵を授けてくれたからだ」
誰よりも姫子の笑顔を望み、幸せを願ったのは月弥だったのである。
そして姫子もまた月弥の優しさに惹かれていたのだ。
「忘れもしない。姫子が十六歳となり私との祝言を挙げた日の事だ」
「ああ、俺がどれだけ話しかけても姫子は一つも返事をしてくれなかったよ」
「だが、姫子が最期まで、否、今でも愛しているのはお前である事に違いはない」
「今でも?」
東雲十六夜は大きく息を吐いた。
その姿は月弥と同じ七十五歳という年齢を考慮しても老いていた。
まるで今の溜め息で先程まで見せていた若々しさまで吐き出してしまったようだ。
「祝言の晩、私達は初めて共に
「あ、アンタ、少しはツキヤの気持ちを…」
姫子との恋に破れた月弥に初夜の話を聞かせようとする十六夜にユームは“待った”をかけようとするが、当の月弥に手で制されてしまう。
「私に純潔を捧げた痛みに涙を流しながらお前の名を呼んでいたよ。月弥、お前の助けを呼んでいたんだ。心を絶望に塗り潰しながら泣いている姫子に私は嫌でも気付かされたよ。私では姫子を幸せに出来ないのだとな」
初めて聞かされた事実に月弥もまた涙を流していた。
しかし月弥には返すべき言葉が見つける事は出来なかったのである。
「絶望に萎えそうになる自分に叱咤して、どうにか当主として、夫としての務めを果たした後、事件は起こった。起こってしまったのだ」
姫子にどう言葉をかけるべきか悩んでいた隙に姫子は枕元に置いてあった懐剣を手にしていた。月弥が守り刀として結婚祝いに手ずから打ったものであった。
「体はお前にくれてやる。じゃが、
止める間もなかった。
守り刀に愛おしげに唇を落とすと、一切の躊躇いを見せずに胸を突いたのだ。
「月弥さま……お慕い申し上げまする。妾の魂はいつまでも貴方と共に……」
姫子は嬉しそうに微笑むと腰砕けに倒れて、そのまま動かなくなった。
「うわああああああああああああああああああっ!!」
月弥の拳が十六夜の頬に突き刺さる。
倒れる十六夜に馬乗りになると何度も彼の顔を殴りつけた。
ユームも暫く呆然としていたが、殴られるままになっている十六夜を見て正気に返る。
「お、およし! このままじゃ死んじまうよゥ!!」
ユームは羽交い締めにして月弥を十六夜から遠ざける。
「お前!! 約束したじゃねぇか!! 必ず姫子を幸せにするって!! それを! それを!! 何でだ?! 俺もお前ならと身を引いたンだぞ!! おい! 何とか云え!! 巫山戯るなっ!! それがどうして、選りに選って俺が贈った守り刀で……何故なんだ、姫子?! 何で俺の剣で死んだ?! どうして……」
ユームの腕の中で暴れていた月弥だったが、やがて力無く項垂れた。
「それが……その守り刀がお前との最後の繋がりだったからだ」
月弥にあれだけ殴られていながら十六夜の顔は鼻血すら垂れていない。
それが月弥の非力の哀しさか、それとも十六夜の老いてなおの強さなのか。
「それに話はまだ終わっていない」
「ああ?! この期及んで何があるってンだ?! それによっては仲人どころじゃねぇ!! 否、杯を返して殺してやる!!」
「落ち着いとくれよゥ。まずは話を聞こう。判断はそれからでも遅くはないからさ」
ユームは月弥を後ろから抱きしめて宥める。
このままでは月弥は十六夜を殺しかねない。
心優しい月弥に人を殺させたくはなかった。
「アンタも下手な云い訳なんかするんじゃないよゥ?」
「そんな事をしたら月弥の怒りに油を注ぐようなもの。それくらいは心得ている」
十六夜は石畳の上で正座をした。
「姫子は生まれついての病弱だった。それは覚えているな?」
「ああ、医者からは“十二歳まで生きられれば奇跡だ”って云われてたそうだな」
それ故に姫子は屋敷の奥で床に就いているのが常であり、外に出ることすら許されなかったのだ。
「しかも先代の子は姫子のみ。跡取りはおらず、かといって婿を取ろうにも彼女はあの状態だ。その線も絶望だった」
十六夜は怪我こそしていないものの、先程よりも更に老け込んで見えた。
「故に先代は東雲の血を遺す為に
「話が見えねぇよ」
「東雲に婿入りが決まった際、私も先代から初めて聞かされたが、我が耳を疑ったよ」
十六夜は七呼吸どころか十分以上も口を閉ざしてしまう。
その間、月弥も黙って待っていたが、それが彼の心を落ち着かせた。
「先代は“モノノケ”の持つ不死性に目を着けた。そして姫子に与えられる薬に少しずつ“黒い霧”を元にした秘薬を混ぜたという」
「おい、ちょっと待てや! あの先代が、半妖精の俺の後ろ盾になってくれていた、あの優しかった先代がそんな事をしていたのか?!」
先代は姫子との結婚こそ許してくれなかったが、それでも幼い頃から目をかけてくれて、時には差別の目から
「先代の
本来、医者の家系であった東雲家は“モノノケ”と化した者を人に戻す秘薬の研究もされてきたそうだが、あと一歩のところで上手くいかなかったらしい。
完成したのは“モノノケ”と化した者達の中でも初期の者なら殺す事ができる毒と、“黒い霧”にある程度の耐性を持ち、“モノノケ”化を予防する霊薬が関の山であったという。
「先代の思惑通り、姫子は僅かずつではあった健康体に近づいていったそうだ。そして、その効果を劇的に上げていたのは月弥、お前だった。お前が姫子に笑顔を与えた事で彼女の体内に陽の気が溢れ、健康増進を促しつつ負の感情を糧とする“モノノケ”の影響力を削いでいったのだよ」
月弥は思い出す。
『浮遊』の魔法で宙に浮いた事で姫子が見せてくれた太陽のように眩しい笑顔を。
遊びに連れて行った際、見るもの全てが新鮮で無邪気にはしゃぐ姿を。
そして、“月弥、妾をお前のお嫁にしておくれ”と捧げられた初めてのキスを。
「だが、その幸せを私が壊してしまったのだ。私が婿入りする事が決まった日から、姫子は次第に変わって行った……少しでも苛立てば周囲に当たるようになり、かと思えば急に塞ぎ込んだりしてな」
負の感情を爆発させる姫子を見るのは辛かったという。
当たり前だ、と月弥は思った。
愛する者が荒れていく様は誰であっても苦しいものだ。
「あの愛らしい
いつの間にか月弥は十六夜を抱きしめていた。
先程まであれだけ憎かった相手だったが、今はこの憔悴した友を労いたい。
「トドメがあの初夜だ。私に純潔を捧げた、否、奪われた絶望は姫子の限界を超えてしまったのだろうな」
「限界?」
「姫子の中に眠っていた“黒い霧”が覚醒し、暴風のように姫子を蹂躙して……姫子は“モノノケ”と為った」
「な……え……」
流石の月弥も二の句が継げなかった。
「元の美しい姫子のまま天使のような純白の翼を背に広げ、お前から貰った守り刀を胸に刺したまま飛び去っていったよ。私にはどうする事もできなかった」
「じゃあ、姫子は生きているのか?」
「あの状態を生きているというのであれば、生きていると云えるが果たして……」
果たしてこの友は半世紀以上に渡っておぞましい秘密を一人で抱えてどれだけ苦しかったのだろう。月弥は小さな体を精一杯使って十六夜を掻き抱く。
「本家はその事を秘した。当然だ。東雲本家から“モノノケ”が出たなんて云える訳がない。しかも原因は“黒い霧”を娘に飲ませていたのだからな」
「そして産後の肥立ちが悪くて死んだ事にしたのか」
月弥は姫子の墓を見る。
そりゃ墓が荒れ放題になる。墓の下には何も無いのだから。
そりゃ東雲姓が削られる。“モノノケ”となった者を一族として認められるか。
そりゃこんな外れに墓を設置する。本家に取って遠ざけたい存在だろう。
「ちょ、ちょいと待っておくれな。ならアンタの娘は? ヒメコが初夜に消えたってんなら、あの赤ん坊はどこから来たのさ?」
「あれは私とあやめの子だ。水心子家への援助と発言権を条件に腹を借りたのだ。そして成長後は、遠方に追いやっていた先代の隠し子、正確にはその息子を呼び戻して本家の血を再び入れたのだ」
「あやめは元々お前に惚れていたからな。それこそ望まぬ結婚をさせられていたし、たとえどんな形であろうとお前との子を為す事が出来るのなら喜んで腹を貸しただろうさ」
「名家の血を保つ為にそこまでするのかい」
「そこまでやって護るからこその名家だよ。アンタも公爵さまと付き合っていくってンならこれくらいの覚悟は決めろ。最悪、嫡男に何かあったら“腹だけ貸せ”って話もありえるからな?」
この手に抱く事を許されない子を産む事になることも覚悟しておけ、と言外に釘を刺す事も忘れない。これが次代に血を確実に遺す事を義務付けられた者達の宿命であるのだから。
ユームは、分かってるよゥ、と返すよりなかった。
「姫子の居場所は分かるのか?」
「いや、水心子家の持つ力を総動員しても見つけられなかった。しかし、かと思えば外国で
東雲家としては姫子と呼ぶ訳にはいかないので、便宜上『姫天狗』という個体名をつけたのだという。
「見つかったとしてどうするよ? 斬るのか? 捕らえるのは不可能だぞ?」
「それも分からぬ。姫子を相手に私は
「まずそんな研究自体されてねぇよ。“悪しきモノ”にモンスターに変えられたが最後、その苦しみが長引かぬよう楽にしてやろうって考え方が一般的だ。俺だって姫子が“モノノケ”になってるって知らないままだったら同意見だったよ」
「仮に姫子がお前の前に現れたとして斬れると思うか、お前に?」
十六夜の問いに月弥は首を傾げる。
「さぁな。『
ああ、と月弥はポンと手を叩いた。
「姫子と戦えるのかって意味なら、その時になってみないと分からんな。案外、姫子に絆されて一緒に“モノノケ”になるかも知れねぇぜ」
「冗談でもやめてくれ。お前が“モノノケ”になったらそれこそ東雲に勝ち目は無い。その日が東雲流最後の日となるだろう」
「冗談だ。だが、やっぱり放ってはおけねぇだろうなァ。取り敢えずは三池の情報網を使って捜してみるわ。情報戦は何も水心子の専売特許じゃねぇって事よ。そうさな、もし姫子が俺の目の前に現れたら大きな声で『メヒコ』って呼んでやらァ。昔っからその渾名で呼ぶと涙目になってまでカンカンに怒っていたからな。人が贈った守り刀で胸を突き腐りやがったアイツには良い薬だろうよ」
カラカラと笑う月弥にユームと十六夜は居た堪れない気持ちになった。
明らかに月弥が無理して笑っているのが解ってしまうからだ。
案の定、笑い声は次第に小さくなっていき、嗚咽と変わっていく。
「そうか、姫子のヤツ、生きてたかァ。じゃあ、俺が助けてやらなきゃだよな」
月弥は十六夜の肩をポンポンと優しく叩く。
「姫子、否、奥方様をお守りするのが三池家当主たる俺の役目だ。だからよ。奥方様を取り戻したら今度こそ幸せにしてやってくれ。頼ンだぜ、お館様」
「ああ、東雲家当主として、お前の義兄弟として、何より姫子の夫として誓う。必ず姫子を幸せにする。お前の口からまたそのような言葉を聞けて嬉しいよ、兄弟」
「俺もお前の胸中も知らずに避けちまって、すまなかったな、兄弟」
同じ女性を愛した親友同士は半世紀振りに抱擁して静かに泣いたのだった。
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