enD happY

@dekai3

epilogue

 ドアノブを捻り、


 ゆっくりと開いて体を滑り込ませ、


 音を立てない様にドアを閉め、


 鍵をかける。




 時刻は日付が変わって暫く後。

 本来ならば殆どの人間が眠りに着く時間。

 でも、僕は彼女に会う為にこの部屋を訪れる。


「遅かったじゃないか。もう来ないのかと思っていたよ」


 僕が鍵を掛け終わったと同時に、彼女から棘を孕んだ声が掛かった。

 彼女はいつもこういう言い方をするのだけれど、今の僕にはそれが良く突き刺さる。


「そんな事する訳無いだろう? ……残業があったんだよ」

「ふぅん」


 無駄に広い部屋の真ん中に置かれたベッドの上に横たわり、僕の返した言葉には興味無いとばかりに目元を細めながら息を吐く様に言う彼女。

 その顔は枕元に備え付けられたサイドランプによって照らされていて、仰向けに寝転がっている事で右側が影になっていて見えず、まるでそういう効果を狙って展示されている美術品の様に美しい。


「そうか。それなら早くこっちへ来て体を拭いてくれないか? シーツの交換も頼む。飲み物の補充もだ」

「ああ……、分かったよ」


 そして、来たのならば役割をこなせとばかりに僕に注文を付ける。

 彼女の世話をするのが僕の役割であり、彼女は僕が世話をしてあげないと生活出来ない。

 この部屋は無駄に広いのだけれど、彼女の世界はベッドの上だけで、ベッドから外は彼女にとっては宇宙や深海と同じ様な物だ。

 つまり、生きられる環境じゃない。


「それで、何か私に言う事は無いのか?」


 部屋の入り口横にある棚から新しいシーツとバスタオルと体を拭く用のウェットティッシュ、そして成人用オムツを取り出している最中に、彼女は心底楽し気な口調で僕に問うてきた。


「………」


 僕はそれに答えず、無言でベッドに近付き、棚から取り出した物を一旦サイドテーブルへと置く。

 そして、床に転がっている電気ケトルを拾い、少し迷ってからこれもサイドテーブルへと乗せる。


 彼女のベッドのシーツ交換は少しコツが要る。

 まずは彼女のお尻側から古いシーツを半分を捲り上げ、そこに二つに折った新しいシーツをかけ、下側のシーツの端を折り畳んでマットの隙間に差し込む。

 続いて新しいシーツの上にバスタオルを敷いて彼女を移動させ、古いシーツを剥ぎ取り、彼女をバスタオルごと持ち上げながら新しいシーツの折り目を伸ばして枕元まで張り、先程と同じ様に端を折り畳んでマットの隙間に差し込む。


 もう何度も行ったベッドメイキング。

 今では目を瞑りながらでも、次の手順を考えなくても、体が勝手に動いてくれる。

 交換した古いシーツは汚れているのでぐるぐると丸め、部屋の隅の洗濯物用の籠へと放り投げる。

 これでシーツ交換は終わりだ。後はバスタオルの上で彼女の体を綺麗に拭けばいい。


 当たり前の事だけど、シーツを放り投げた洗濯物用の籠の中には他の洗濯物が無かった。

 僕がこの部屋を出てから再度訪れるまで、この部屋の中はベッドの上以外何も変わっていない。

 変わる筈が無い。

 そう、変わる筈が無いんだ。

 彼女の世話をするのは僕だけなのだから。


「だんまりか?」


 体拭き用のタオルサイズのウェットティッシュで彼女の体を拭き始めると、黙ったまま作業をする僕を見るのが楽しいのか、やはり心底楽し気な口調で彼女が口を開いた。


 黙っているわけじゃない。

 何を言ったらいいの自分でも分からないだけだ。

 彼女に言わなきゃいけない事や言いたい事は沢山ある。あるけれど、何を言っても言い訳にしかならない気がして、ただ彼女に言われたままにシーツを交換して、こうして汚れた体をウェットティッシュで拭いているだけだ。


「じゃあ、私から言ってあげよう。君に三日も放置され、君によって死を待つだけにされた私からだ」


 ピタッ と、彼女の体を拭いている僕の手が止まった。

 彼女の言葉によって頭の中で考えていた沢山の事が全て消え去り、呼吸が止まり、心臓さえ止まってしまっているのではないかという静寂が訪れる。

 足は動かない。

 手も動かない。

 ここから離れる事も耳を塞ぐ事も出来ない。

 でも、目だけは動かす事が出来る。


 ウェットティッシュを持った自分の手。

 糞尿や体液で汚れている彼女の股間。

 筋肉も脂肪も付いていない細い腰。

 少し窪んだ臍。

 あばらの浮いた薄い胸。

 滑らかな曲線を描く鎖骨。

 強く握ったら折れてしまいそうだった首。

 薄紅藤色の唇。

 目線は徐々に彼女の体を下から上へと昇っていき、等々この部屋に入ってからずっと見ない様にしていた彼女の顔の右側へ辿り着いてしまう。


 そこにあるのは酷い火傷。

 右目は白く濁り、目蓋や頬は赤く腫れあがり、所々黄色や黒に変色していて見るからに痛々しい。

 僕が熱湯をかけ、そのまま逃げだしてしまって、放置したままの、彼女の顔の右側。


 僕がそうした。

 不注意からじゃなく、僕がそうする事を選んでそうした。

 世話をされている側なのに偉そうな彼女の態度にイラついて、乱暴して、それでも態度を変えない彼女の顔に思わず電気ケトルの中身をぶち撒けた。

 そして、怖くなって逃げだした。

 自分がした事が怖くなって、この三日間ずっと逃げ回っていた。

 彼女はこの部屋から出れないというのに、襲い来る罪悪感から逃れる為に。

 でも、いくら逃げても、どれだけ遠くへ行っても、罪悪感はずっと着いてきた。

 着いてくるだけじゃない。時間が経つに連れてぶくぶくと膨れ上がっていった。

 このままでは僕は罪悪感に押し潰されてしまう。そうなる前になんとかしなくてはと、僕は彼女に糾弾される為にこの部屋に帰ってきた。

 自分がした事を非難され、楽になる為に。

 だから僕を罵ってくれるなら幸いだ。それで僕はこの積りに積もった罪悪感から救われる。





「おかえり」





 一言。

 たった一言、彼女はそう言った。

 僕を詰る事なく、責める事なく、ただ迎え入れるだけの言葉で。


「あぁ……あ、ああぁぁ………」


 目から後悔が溢れ出る。

 喉から怨嗟が漏れ出づる。

 体が畏怖に震え出す。

 心は歓喜に踊り狂う。

 僕は、その一言で、僕の全てを、支配された。


「ただいま…帰りました……」

「ああ、おかえり。待っていたよ」


 両の手足は無く、頭と胴だけの体で。

 ベッドに横たわり、僕に見下ろされ。

 全身傷だらけで、顔の半分は火傷で崩れているのに。

 まるで聖母の様な顔をする彼女。


 分かる。

 分かってしまった。

 僕が逃げ出してしまったのは、罪悪感からじゃない。

 彼女に嫌われたくない。そう思っていたからだ。

 彼女にこんな酷い事をしたのに、彼女を心配していたのではなく、彼女に失望されたのではないかと自分の心配をしていたんだ。


 きっと彼女は最初からそれが分かっていた。

 分かっていたから、僕を迎え入れたんだ。

 僕を自分に付き従う従順な奴隷にする為に。

 僕を自分に失望されるのを恐れるペットにする為に。


「早く体を拭き終えてくれないか? こんな也でも羞恥心はあるんだ。それとも、また私の体が欲しくなったのか? 三日前の時みたいに」


 彼女の聖母の様な笑みが、表情そのままで妖艶な魔女の笑みへと変わる。

 これは僕を誘う甘美な誘惑。試されているのか許されているのか。


「直ぐに綺麗にします」

「ふぅん」


 無駄に広い部屋の真ん中に置かれたベッドの上に横たわり、僕の返した言葉には興味無いとばかりに目元を細めながら息を吐く様に言う彼女。


「偶になら私の体を使ってもいいんだぞ? 君に言われた通り、どうせ抵抗出来ないからな」


 彼女の言葉は棘を孕んでおり、今の僕には良く突き刺さる。


 僕はもう、彼女無しでは生きられない。

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