雑話:王女の追憶

 


 私の名は※※※※※※。


 私の父は一国の国王であり、母は第三婦人だ。


 とある帝国と母国であるグランツメア王国との橋渡しとして決められた政略結婚の間に生まれたのが私。


 私は王女……だった。



 強く逞しい半面、私には優しく微笑む自慢の父。

 優しくて凛々しい、そして何より美しい自慢の母。

 兄弟喧嘩など一切なく、優しい自慢の兄弟たち。

 幼かった私とも遊んでくれた王宮勤めの者たち。


 愉しくて心から笑っていられたあの時間。

 暖かな家庭に囲まれ過ごしていた毎日。


 永劫に続けば良いと思っていた。



 それがある日、音もなく崩れ去っていった。

 嘘だ。

 音はあったんだと思う。


 聞こえなくなっていた。

 聞こうとすら思っていなかった。


 瞼を閉じればいつもあの光景を思い出してしまう。


 真っ赤な液体が唇から顎へと一本の線になって伸びている、美しかったはずの母の顔を。

 首筋から赤い液体を垂らし、ピクリとも動かない、凛々しかった母の腕の中で抱きかかえられた父を。


 あの頃の幼い私でもわかった。

 その赤い液体が『血』なのだと。


 だけど……今でも思い出せないことが一つだけある。

 いくら思い出そうとしても、どうしても思い出せない。


 あの時の母の表情だけは。

 父の血を啜る、母の表情だけは……。



 後になってわかった話。


 とある帝国の出身だった、私の母だった者は魔人種。

 それも吸血鬼ヴァンパイア族だった。


 人間族の国家同士での政略結婚のはずが、私の母だった者は父を殺すための刺客として送り込まれたらしい。

 父が愛した民たちと、父が築き上げたグランツメア王国を利用する目的で。


 母だった者は私の大切な人たちが暮らしていた愛すべきグランツメア王国を破壊した。


 皮肉な事に母だった者の血は色濃く私に受け継がれた。

 大好きな父の娘である証はこの深紫の右目だけ。

 私は見た目ほど吸血鬼の本能的な症状はなく人間だ。



 その後、王国を、居場所を追われた私は浮浪した。


 行く先々では色々な事を言われ、蔑まれた。

 『半端者』、『異端者』、『化物』、『魔物』…………。


 私の呼び名は沢山あった。




 だけど酷い目にあっても、辛くても私は大丈夫――。


 深紫の右目と私の人間である本能プライドだけが私を支える。

 私が大好きだった父を奪ったアイツ。

 私が大好きだった家族を奪ったアイツ。

 私が生まれ育った環境を破壊したアイツ。

 私がこんな目に合っている原因のアイツ。


 ――だって、私はまだアイツ殺していないのだから。




 私は先ず絶対的な力を、貪欲に、強欲に、何より欲した。


 アイツだけは圧倒的な力を持って殺さなければならない。

 だけど、その辺の雑魚だけじゃレベルは上がらない。


 未開拓地である北の大陸に渡る? 無理だ。

 まず渡れない。

 渡れたとしても、死ぬ未来が見えている。

 人目につく場所も極力避けたい。


 だったら……ダンジョンはどうだろうか。

 ダンジョンなら、私の理想にぴったり合う。



 こうして私はダンジョンの中へと入る事を決意した。


「本当にこれがダンジョンですの?」


 心の中だけじゃなく、声に出し、一人ぼやいてしまう。


 私の目の前にあるダンジョンは屋敷の形をしていた。

 パッと見ではダンジョンには見えない。


 このダンジョンは、フードを深く被ったまま、街を歩いていた時にたまたま耳にした。

 聞いた話ではダンジョンには難易度一等級から難易度十等級までの十段階の難易度があるという。

 今、目の前にあるダンジョンは難易度三等級と、下から三番目の難易度に位置するらしい。


 怖い。


 今まで王宮の中でぬくぬくと暮らしてきた私は魔物はおろか獣とすら戦ったことなんてない。

 王宮に居た近衛を相手にごっこ遊びで戦ったくらいだ。


 だが、アイツの事を考えるだけで足の震えは止まる。



 私は屋敷の形をしたダンジョンに入った。


 ステータスウィンドウは事前に穴が開くほど確認した。

 大丈夫。

 私なら出来る。

 なぜなら私は強く逞しかったお父様の娘なのだから。


 初めて見る魔物はとても悍ましかった。


 いくら私が攻撃を当てても、痛がる素振りすら見せずに、それどころか襲い掛かってくる始末だ。

 幸い、王宮にあった魔法鞄マジック・バッグにお金は出来るだけ入れてきたため、低級だがポーションと食料は街で買っている。



 今まで作った事がなかった生傷が増える毎日。

 今まで感じた事がなかった痛みを感じる毎日。

 今まで疲れた事がなかった体が悲鳴を上げる毎日。



 少しずつ、一歩ずつ、ダンジョンを進んでは一度出る。

 そんな毎日を繰り返し続けた。


 私の体の半分は吸血鬼。

 アイツと殆ど同じ時を生きられる。


 どれだけの時間をかけてでも絶対に強くなってやる。


 ………………。

 …………。

 ……。



 どのくらい時間が経ったのだろう? わからない。

 だけど私は今、大きく立派な扉の前に居る。


 これがボス部屋というやつだ。

 とうとうここまでやってきた。


 少しだけ嬉しくなるが一切笑えない。

 だからといって泣けもしない。


 だが……感情は消えぬ怒りのみでいい。


 私は思い切って扉を開ける。



 ――――殺される。



 あの化け物には勝てない。


 直感的にそう思った。

 足が振るえてボス部屋に入るための一歩が踏み出せない。

 ボス部屋の中央から、ボスが私の事を睨みつけてくる。



 今まで私を見て『化け物』と呼んだ人たちには私がこう見えていたのかしら? 冗談でしょう? 私なんかよりも遥かに悍ましく、惨憺たる姿じゃないの……。



 私は一度引いた。

 あのボスに私は勝てない。


 それなら勝てるまで強くなればいいだけの事。


 それからも毎日、毎日戦い続けた。

 来る日も、来る日も戦いだけに明け暮れた。



 ――ある日。


 いくら敵を倒してもステータスウィンドウに表記されているレベルが上がらなくなった。


 このダンジョンではここまでしか上がらないのだと悟る。

 そして頭の中でボスの姿を思い浮かべた。


 だが……勝てるイメージが全然湧かない。

 でもこれ以上レベルも上げられない。



 私は一度近くの街へと赴き、情報を集めることにした。

 ちょくちょくではあるが、街には食料調達と魔物の魔石と素材を換金するために戻って来ていた。


 だが居座ることはせず、ずっと野宿していた。

 なので今回は本格的に冒険者ギルドで情報を集めた。

 もちろん、フードは深く被ったままで。



 欲しかった情報は数日のうちに集まった。

 少し離れた所に難易度四等級のダンジョンがあるという。


 私は歩き、そこへ向かった。

 辿り着いてからはまた戦いに明け暮れた。


 思った通り難易度四等級のダンジョンでは、止まっていた私のレベルも再び上がるようになった。

 時間も忘れレベルを上げ続け、そしてまた止まった。


「次は難易度五等級に行くしかないですわね」


 そうぼやいた瞬間、今の私なら勝てそうな気がした。

 あの屋敷の形をしたダンジョンのボスに。



 歩いて屋敷の形をしたダンジョンまで戻ってきた私は体を休めた後、万全の状態でダンジョンに入った。


 怪我をしないように、慎重に一体ずつ魔物を倒していく。

 それなのに今までで一番早い時間でボス部屋まで着いた。


 私――確実に強くなってる。

 今の私なら……。


 扉に手をかけ力を籠め、押し込む。

 音を立てて開いた扉の奥、部屋の中央にボスはいた。



 ――――殺れる。



 直感でそう思った。

 同時に私は駆け出していた。


 ボスの繰り出す攻撃が見える。

 私の攻撃が何度も当たる。

 ボスは私の攻撃を避けられない。



 ありがとう……今まで私の目標の代わりで居てくれて。

 さようなら。



 一時間ほど戦い、ボスは霧散して魔石となった。


 これでアイツを殺すのに一歩近づいた。

 確かに私はそう感じた。


 するとボス部屋の中央に突然と魔方陣が現れ、ボス部屋の最奥部にはふよふよと球体のようなものが宙に浮いていた。


 球体が気になった私が触れてみるとステータスウィンドウに似通ったものがブゥンと音を立てて現れた。


「一体、何ですの? 購入? このダンジョンをですの?」


 完全に無意識だった。


 私の手が勝手に購入ボタンを押していた。

 居場所を求めているかのように。



 こうしてこのダンジョンが私の居場所、所有物になった。



 数日間かけて購入したダンジョンを見て回った。

 結論から言うと、ダンジョンは物凄く便利だった。


 内装の変更、罠の設置、魔物の配置まで自在にできる。



 ここを拠点にもっと強くなって復讐を始めようとした――そんな時だ。



「お? 居るじゃねえか、お前話せるか?」



 ――だらしなく伸びた黒髪にやる気のなさそうな目をした男と出会ったのは。


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