第四話


「で、何があったの? あの人は知り合いなの?」


 佐倉との集合場所から離れたファミレスで、伊東と僕は向かい合って座っていた。とりあえず彼女が無事だった事に安堵したが、彼女はとても普通の会話が出来るような状況ではなかったらしい。俯き、何かを喋ろうとするたび、唇を震わせた。


「落ち着いてからでいいよ」


 僕は彼女にそれだけ言い放ち、ポテトを一本口に放った。


 その言葉から数十分経ってようやく、伊東が口を開いた。


「……えっと、んー、あの人、妹を襲った犯人の一人なの」


「え」


 彼女の言葉に、僕は箸でつまんでいたポテトを落としてしまった。慌ててペーパーナプキンで拾い上げ、机の端に置く。


 元参加者の知人ではなかったのか。


「でもアイツは冤罪の判決が出て捕まらなかったんだ。――ごめん、ちょっと、嫌なことを思い出しちゃって」


「別に、話しづらいことだったらそれ以上話さなくても」


「ごめん……」


「いや……」


 僕はそう返事してから数秒の不自然な間を取って、「君は悪くないよ」と使い古された模範解答を述べた。



 〇 〇 〇 〇 〇 〇



 この日も僕たちは伊東の家で作戦会議を行っていた。妹に会わないよう午前十時に集合し、午後三時までに帰る。その会議のスタイルにはもう慣れてきた。


 彼女は以前ファミレスで話したときよりは元気になっていた。「悩んでいてもしょうがない、とりあえずアイツを捕まえてから考えよ!」と自分を奮い立たせている。だが、僕が言った「探偵みたいで楽しいね」という言葉はちょっと不謹慎だったかもしれない。


「佐倉が運営してる方に参加してみて思ったんだけど、アイツ、運営としては詰めが甘いんだよね」


「ん? どういうこと?」


「情報を隠そうとしてないんだ。君は自殺幇助罪の証拠が残らないようにいろいろな工夫をしてるけど、アイツにはそれがなかった」


 契約書やチェック用紙といった、プロジェクトの存在が警察にバレないような立ち回りを、佐倉は全く意識していなかった。


「なるほど……」


「それが意図的なものだと考えれば、彼の目的を予想することくらいは出来る。真っ先に浮かんだのは、『自殺支援プロジェクトを潰すこと』。理由はわからないけど、彼にとって自殺支援プロジェクトは邪魔な存在なのかもしれない」


 わざと証拠が残るように動き、警察にその存在を知らしめる。自殺を幇助している組織があるのだとしたら、警察は放っておく訳にはいかないだろう。


「私、どうすればいいかな……」


「まずはアイツを止める方法を考えよう」


 警察が彼の思惑通りにこちらへ誘導されるよりも早く、佐倉を止めなければならない。


「うーん、アイツを捕まえて殺すとか?」


 その物騒な言葉を聞かなかったことにして、僕は彼女が出してくれた麦茶を一口飲んだ。


「何がいいかな。警察に捕まえて貰うとか」


「アイツが強姦したっていう証拠を警察に突きだして、逮捕して貰うのは? 証拠、ないから出来ないけど」


「あ、それだ」


 そうだ、彼の証拠を出して警察に捕まえて貰えばいいんだ。


「強姦の証拠はないって――」


「いや、それじゃなくて。まず、いったん今運営してる自殺支援プロジェクトは捨てよう」


 僕は順を追って自分の考え説明した。


 まず、佐倉を止めるため、警察に彼を逮捕させたい。そこで、自殺幇助罪を彼に被せてしまおうというわけだ。仮にも佐倉は偽物としてサイトを運営していたのだから。自殺支援プロジェクトの運営が彼だという証拠を集め、警察に突き出せばいい。


「――なるほどね。でも、アイツが私の名前を言ったら、私まで疑われるよ」


「その点は心配ない。こっちは証拠を残さないように動いてるし、自殺支援プロジェクト用のパソコンは捨てるなり壊すなり出来る。残ってる証拠は、アイツが偽造できるものだけだ」


 普段使っているパソコンの他に、伊東は自殺支援プロジェクト用のパソコンを持っている。パソコンを壊すのは気が引けるが、逮捕されてしまうよりはいいだろう。


 僕の案に伊東は一回頷いたものの、再び表情を曇らせた。


「……古谷君、ごめん。私、自分の手でアイツを捕まえたい」


 自分が提案したものの方が明らかに安全で、確実だ。しかし僕はそう反論することができなかった。彼女が真剣な表情をしていたからだ。


「それは、どうして?」


「……あれだけのことをやったのに、牢屋で過ごすくらいの罰じゃ許せない」


 彼女の言葉に、「君が望むならそうしよう」と、そう返事をしようとした。


 しかし、次に部屋を覆った音は僕の返事ではなく、インターホンだった。


「僕が出ようか」


 彼女を危険な目に遭わせるわけにはいかない。佐倉が話題に上がっていたということもあり、僕は自分が応じようと彼女よりも先に立ち上がった。


「待って」


 僕が部屋のドアノブを握ったところで、伊東も腰を上げた。


「どうしたの?」


「私も行く」


 僕は伊東に大丈夫かどうかを訊こうとしたが、彼女は先に玄関へ向かっていってしまった。彼女は深呼吸をしてから、のぞき穴に目を当てた。ピクッと肩が震えるのが見えた。


「誰だった?」


「古谷君、部屋に隠れてて……!」


 僕がそれに返事をする猶予も残さず、伊東が「は~い、今出まーす」とドアノブに手を置いた。僕は慌てて彼女の部屋に隠れる。


「県警です。伊東理沙さんですか?」


「はい、そうですけど……?」


 僕は息を潜め、部屋の中から聞き耳を立てた。


「えーっと、突然だけど、この『自殺支援プロジェクト』、心当たりはない?」


 その言葉のせいで、彼らの会話に自分の心音が割り込んでくる。


「自殺支援、プロジェクト……ですか?」


 なるほど、知らないフリを通すのか。佐倉のことを伝えるチャンスとも思ったが、その作戦はボツになったんだった。


「ああ、知らない? ちょっとお話を聞きたいんだけど」


「すみません、今から出掛けるところなので、また後日でもいいですか? これって確か任意でしたよね?」


「すぐ終わるんで、ご協力お願いします」


「本当にすみません、急いでるんです」


 頑なに聴取を受けようとしない伊東の態度に折れたのか、警察は「また来ます」とその場を引いていった。


 やはり、こちらに不利な情報が佐倉から流れている。一刻も早く彼を止めなければ。



 〇 〇 〇 〇 〇 〇



 午後三時になり、僕は伊東の家を出た。妹が四時頃に帰ってくるからだ。既に警察の姿はなくなっていて、先ほどまでの焦りなんて嘘だったかのように街は穏やかだった。


 楽しげに話しながら歩く小学生たち、エプロン姿で犬の散歩をする女性、電話の相手に向かって必死に謝りながら走るサラリーマン。この街を歩く中の一体何人が「死にたい」と願っているのだろうか。


 近くに個人経営らしき小さなカフェを見つけ、なんとなくひと休憩したかった僕は誘導されるように中へ入った。


 引き戸を開けた瞬間、店内を満たす木とコーヒーの香りが鼻腔をくすぐった。店の中は薄暗く、穏やかなBGMが合わさって落ち着いた空気を作り出していた。好きな雰囲気と香りに、普段であれば魅了されるところだったが、残念ながら、このときばかりはそんな気分になれなかった。


 僕の耳が、先ほど伊東の家で聞いたばかりの二つの声を捉えた。


「いらっしゃいませ~」


 カウンターにいた女性がこちらに出迎えの挨拶をした。同時に、テーブル席に座っていた二人組が話を中断してこちらへ視線をやる。声から判断するに、おそらく先ほどの警察だ。彼らはすぐに会話を再開したが、緊迫感が僕の身を包んだ。


 僕は注文を終えると、音楽を流さずにイヤホンを装着した。そして、彼らの会話に耳を傾ける。


「自殺ねえ……、死んだら意味がないのにな」


「まあ、キツいときに死にたくなる気持ちはわかりますけど」


「おいお前、自殺なんてするもんじゃないぞ?」


「先輩にパワハラされましたって遺書に書いておきますよ」


「ははっ、冗談でもやめてくれ。それにしても可哀相だよな、あの家の子」


「どうかしたんですか?」


「いや……、あの家の子、強姦に遭ってるんだよ」


「へえ、なんていうか、気の毒っすね。それは周りを巻き込んで死のうってなるわけですわ」


 僕はそこで音楽を流し始めた。


 違う。彼女は、死にたい人が最終的に行き着く場所を提供するために自殺支援のサイトを始めたんだ。妹のような、苦しんでいる人を楽にするため。

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