孤独な出口

時雨逅太郎

孤独な出口

 こんな怪奇な文章を書くのは、いつぶりのことだっただろうか。大学生のころには、まだ自分の思ったことが正義だと思っていたし、それを共有することでこの世界はより良くなっていくと信じていた覚えがある。だから、エッセイなどという自己満足を行っていたのは、恐らく学生の頃であった。社会人になって、会社を辞めて、しばらくの時間が経ち、今の私はそういった熱意は完全に喪失していた。ああ、いつしか話をした腐った熱意だ。不純物だらけのあのオイルですら私はこの頃まで失っていたのだから、まるで人形のようであっただろう。ただ、私はどうにも化けるのが上手く、また自らを明かさない。そんなことに気づく人間など、私の周りにはいなかったと思う。いや、むしろ精力的になったようにすら感じているかもしれない。自分の認識と他人の認識のズレを知る度、私は孤独であることを知るのだ。

 私が、また自己満足の書をしたためようと考えたのは、単純に生理現象でしかない。この頃、私は、書き記す欲求から目を逸らしていたかのように思う。それは、もちろん、食欲や性欲、睡眠欲ほど強力なものではないが、人を狂わすくらいの力は持っている。故に、書いている。これ以上に理由は必要ないだろう。このような理由を書くのも鬱陶しい。私は文字を愛しているが、論理を嫌っている。分かりやすい話の順番など面倒極まりなく、意思疎通が問題なく出来ると思い込んでいる人類の傲慢を知る。だから嫌いだ。これもまた孤独を浮き彫りにしてしまうのだ。

 さて、このように話している私が、つい先ほどまで何を見ていたかと言うと、動画サイトで、ただ動画を見漁っていただけである。こう書くとかなり滑稽だろう。こんな文学チックに勿体つけた文章を書く奴が、そんな現代のことを明け透けに記してしまうのかと。正にその通りである。こういったことをこうやって書くと、私の伝達方法は時代遅れの黴臭い手法なのだと思うし、それもまた孤独だ。人間は独りであるということを、ただ独自性を見出す度に考えてしまう。ああ、孤独孤独とうるさいのは分かっている。分かっているが、私の人生の主題はこれなのだ。罰を当てるのは待ってほしい。投げ出すのは別に構わないが。

 ああ、それで、ええと。なんだったっけか。私の脳みそというのは周りの人間が思っている以上に下劣な出来である。文章を書いていると今しがた書こうとしていたことを忘れている。私は――まごうことなき劣等なのである。書くべきテーマを失っては、ページをぐしゃぐしゃに破って、そして私は書くことをやめている。今もその鱗片が見え始めている。しかし、私の考える上位の思考とは一体なんなのか、これが分からない。すらすらと文章を紡げることが、優秀である証明であるかと聞かれればそれは違うだろう。じゃあ、私は何をしているんだ。私の行為は何と名付ければいい。

 これを、人は執筆と呼ぶ。

 話が逸れた。つまるところ私が言いたいのは、私の述べることはどうにも正しく伝わった試しがないし、これからもないだろうということだ。伝えようと努力をしていないことをなじられてしまいそうだが、私は不器用で、私の口から言葉を紡ぐ度、それが音波となって誰かの耳に届こうとする間に、すっかり自身の真意から離れていってしまうのだ。

 文字でもこれは同様だ。文字なんてものは簡単に一人歩きするし、そもそも言語とかいう不完全コミュニケーション自体、間違っているのだ。言語は多数の意味を含む。文章は多数に多数を掛け合わせた無限の意味を持ち、しかしこれを妙な意味で取りざたされてしまってはもう仕様がない。私は何かを発言する事を恐れている。何かを明文化する事を恐れている。それは、私の真意とは別のことをまるで真意のように取りざたされてしまうからだ。それが嫌いだ。わざと破綻的に書いている。理解されなくていいのだ。ではなぜ文章を? 自己満足だ。だから孤独なのだ。そして私たちはその例に漏れたことはない。私たちは皆孤独で、誰かに真の意味で手を差し伸べられることなどないのだ。

 真意は伝えられず、真意は伝わらない。悪夢のようだ。

 体裁を整えられた気持ちの悪い夢だ。

 私は昼夜休みなく考えているのだが、どうして私たちは言語の応酬で真意を伝えられたような顔をしあっているのだろうか、それが分からない。あれが気持ち悪い。実のところ、なにも理解できていないだろうに会話が論理とかいうよく分からないレールに乗っけられて勝手に走る、あの様が不快で仕方がない。ガラガラという音が聞こえる。鬱陶しい。

 このような論は勿論、言ったってどうしようもないことである。この議論を行うことは無意味である、と。それはそうだろう。私は今誰かの生活の向上を願いながらこんな文章を書いているわけではない。言うなれば、排泄物である。もっとソフトな表現にしようか。自分が満足するように、自分が楽しいように、全てを吐き出すように歌っている。それだけだ。残念ながらこれを止める権利はないし、文字という媒体なら猶更である。簡単に閉じることの出来る、目を逸らし、遠ざけることのできる媒体なのだから。ここまで読んどいてそれはないだろう。

 さて、まあつまり私たちは完全に分かり合えない。私はいつもこの論に戻ってくるのだが、今回も同様である。そしてこれは発話する側が真意を伝えられないから、というだけではない。受け取る側もまた、真意をありのまま受け取ることなどないのだ。自分の都合のよいように歪めて、そいつを受け取る。それが果たしてその人を幸福にするかは置いといて、とにかく都合のいいように変えてしまう。この二重の関門があり、私たちはコミュニケーションをなにかよく分からない基準に従って行っているわけだ。

 気持ち悪くないか? 私は気持ち悪い。

 気持ち悪いから、この世界など、悪夢だと思っているんだよ。

 こんな思考は若気の至りであるのかもしれない。そう考える時だってある。しかし、若気の至りであろうと何であろうと、この不快感は正に今私の脳が起こしている原初的な感情だ。それを否定するなど、意味が分からないだろう。ふつふつとした怒りに身を任せるように――しかし、私は、だからと言って言論に弾圧など加えようなどとは思わない。ただ、悪夢だ、とだけ言っているのだ。この人生が幾ら酷いからと言って、他の人間を殺すなんてこと、僕はやろうとは思えない。

 思うに、孤独に気づいているのは僕だけのような気がする。

 思い違いかもしれないな。真意は伝わらないし、読み取れないんだ。当然だ。ただ、他人の真意が分からないとあっては私にはどうしようもない。それを肯定も否定もできない――前提条件がそも揃っていないから。

 それも含め、真に孤独であるのだ。この孤独に解消の出口はない。

 ただ、この悪夢から脱するための、ちょっとだけいい夢にする方法を、私は知っている。出口は常に自分の中にあるのだ。悪夢が深まってきたとき、いつだって、私の中に。だが、その出口が深淵であることもまた知っている。知っているか? 出口を求めた結果、この世を去った人たちを。呑まれたのだ、深淵に。そして、私はそれを非常に正しい賭けだと思っている。

 この世界が真に孤独と分かったのならば、だ。この世界に真に希望がないこともまた理解できる。全ては贋作である。我々の認知の上では何もかもが、偽物であるのだ。その認知を本物であると錯覚し続けることが出来るのならば話は別だが、真の孤独に気づく人間はそうも言ってられないだろう。だって、ギャップがある。コミュニケーションの気持ちが悪くぴったりと秘匿されたズレ。あれが、あれこそが悪夢の元凶であるのだが、それに気づかないわけにはいかないのだ。

 全てが偽物であるなら、真なる世界を欲してもおかしくはないだろう。――ああ、イデア論なんて持ち出すつもりはないよ、安心してくれ。怪しい宗教でもない。

 私はあれを賭けと呼んでいるんだぞ。

 自死のことを。

 死後の世界を知っているかい? 当然知らないだろう。死んだあとどうなるか。私たちの意識は霧散してこの世界から消えるのか、または魂が残留し、霊としてこの世に残るのか、はたまたその先の天国や地獄に行けるのか、やもすれば生まれ変わるのか。それとも別の世界へと行けるのか。全て確率としてはあり得る話なのだ。

 もし、その先に、悪夢ではない世界があれば?

 正当な賭けだろう。悪夢から目覚めようという試みは自然だ。

 自死を責めることなど僕にはできない。


 私はまだその選択肢を選んではいないが、この悪夢がいよいよ酷くなってしまった時には、もう醒めようかとも考えている。その先が潰れた蛙でも一向に構わない。しかし、私がそうしていないのは単に出口に呑まれづらいというだけのことである。もっと言えば、この悪夢をまだ楽しめる、そんな考えのぬるい人間である、ということだ。出口は内にある。出口は何重にもなっていて、そのミルフィーユのようなドアの横には、一転してアスファルトへと続く大穴が開いている。私はいつでもそちらへ行けるが、それで行ったら間違いなく死んでしまうことを知っている。私は他人に期待などせぬ。扉はいつだって自分の中にあり、悪夢を幾度も潜る。私の内臓の中で。幾度と繰り返す。人生とは悪夢から醒めては呑まれての繰り返しだ。

 馬鹿らしいな。

 しかし、私は賭け事がどうにも苦手である。苦手であるし、この世界が真であると思っている友人を何人か持っている。故に、ずうっとこの悪夢を一階層毎にちまちまと降り続けているのだ。これもまた孤独なことだ。私しかここにはいない。私だけがこの悪夢を抜ける術を知っている。私だけが。外界からの刺激でどうにかなるのなら、それはきっと君が孤独じゃないからなんだな。気づいてないからなんだな。

 私のような生真面目馬鹿はこのような愚鈍な手段を取り続ける他ないのだ。

 一歩、一歩。

 今も悪夢から抜け出すことを考えている。

 真意どころか言葉も受け取らない人間の存在に辟易している。

 酷いものが見える時代になってしまったなあ。

 臭いものに蓋が。蓋が壊れたんだ。

 一歩、一歩。

 ああ、私がそれを直そうとは思わない。

 多様性が、生存には必要なんだろう。

 従いましょう、それは業なので。

 一歩、一歩。

 出口は中にある。いつも私の中だ。

 外に探してはいけない。

 私だ。

 出口は。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

孤独な出口 時雨逅太郎 @sigurejikusi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る