0831

山森ねこ

2020/0831

 8月が終わるというのに、連日昼間の気温は30度代から下がる気配がない。

 今日もこの国のどこかで夏っぽいことを満喫してる奴らがいるだろうが、俺は今日も自室で何の目的もなく、床に転がったままTwitterのタイムラインを眺めている。

 平日の昼間ということもあり、タイムラインの流れは遅い。三度リロードしてもなにも変化のない画面に飽きて、電源ボタンを軽く押して画面をオフにした。

 だらりと床に腕を落とす。この暑さの中でもセミの声とアパートの前の道路を走る車の音だけは響いてくる。

 何もする気が起きず、昼食に食べた冷やし中華のゴミがまだ机の上に転がっている。とりあえずテレビを付けていたが、こちらも煩いニュース番組が始まった。のろのろとリモコンに腕を伸ばしてテレビの電源を切った。

 騒々しい8月の終わりに、うめくように呟いた。

「暑い……」

『ほんとにね。毎日こんなのとか、流石に滅入るよね』

「ホント、ふざけんな……」

 ここで、暑さに溶けていた頭が異常に気がついた。

「…………」

『昔はさ、もっと涼しかったんだよ。暑いのに変わりはないけどもっといい感じの暑さだった。うん』

 幻聴かと最初は思った。暑さか夏風邪で頭がおかしくなったんだと。

「…………」

『だからこそわざわざ遠出してかき氷をいただこうと思ったし、山の中を駆け回ったりしたんだけどなぁ。この暑さじゃあそんな気も失せるよね』

 しかしずっと一人でしゃべり続けているおかげでそのの可能性は潰れた。ここでやっと危機感が来る。

「誰だ!」

 左右に見て、起き上がって周りを見る。見慣れた自室は何も変わっていない。それでも。

『やっと気がついた! よかった~。気のせいだと思われるんじゃないかとちょっと心配だったよ』

 頭に声が響いている。後ろを振り向いても誰もいない。暑さによるものじゃない、冷や汗が背中を伝っていく。半ば恐怖に駆られるように、部屋のあらゆるところを――クローゼットを、トイレを、バスルームを、ベランダを、玄関の外を見る。それでもこの部屋には自分以外の誰もいない。

『焦らないで。大丈夫、犯罪者なんていない。この部屋にいる人間は君しかしないからさ、安心してよ』

 頭に声が響いている。思わず耳を塞いだ。これでなんとかなるんじゃないかと塞いだ時に思った。

 思っただけだった。

『そんなにびっくりする? ちょっと傷つくかなぁ』

 頭に声は響いていた。



『びっくりさせないようにって配慮したつもりなんだよ! ほら、「わぁ!」 って言わなかったでしょ!』

「そういう問題じゃない」

 コップの麦茶を一気に飲み干し、俺は大きく息を吐きだした。

 頭の中でコイツはずっとしゃべり続けている。先ほどまでビビっていた自分がバカに思えるくらいにべらべらとしゃべる。おかげで冷やし中華のゴミを捨てる気になったことだけは感謝するが、未知への恐怖がなくなった代わりに、呆れてきた。

「それで、お前は一体なんなんだ」

 予想はつくが、それでも聞いておくべきだろう。素直に答えてもらえるかどうかはわからないが……。

『なにって、幽霊さ』

 杞憂だった。頭にいる奴はあっさり答えた。しかしなぜ幽霊がここに? いわくつき物件でもないし、ましてや俺に霊感というものは全くないのだが。

『そりゃあ、私が君に憑りついたのと、声だけ聞こえるようにしてあげてるからさ』

「お前に俺が考えてること筒抜けかよ……」

『憑りついてるんだからこれくらいできるよ、当たり前だろ?』

 幽霊にとっては当たり前らしい。聞いたこともないが。

「どうして俺に憑りついたんだ」

『暇そうだったから』

「…………」

 そんな理由で死人が生者に迷惑かけてくるのか。いや死人ならこれくらい身勝手なのかもしれない。

 俺があきれ果てて声をうしなっている間に、頭の奴はまたしゃべり始めた。

『いや~私さ~全ッ然成仏できないんだよ。毎年坊さんにお願いしても「アンタは無理だ」って言われちゃうし、盆の時期にこっそり他人の馬に乗ろうとしても蹴られるしで散々なんだよ! だからどーやったら成仏できるのかな~って私自身でちゃんと考えてみた結果、やっぱ何か未練があるんだろうって思ったわけだ。未練を解消するには楽しむのが一番だ。だからね、暇そうにしてる一般大学生に憑りつけば、パリパリパーリーハイテンションな感じで楽しめて成仏できるんじゃないかって考えたのさ! どうだ、頭いいだろ?』

「お前が騒音なことはよくわかった」

『ひどい!』

 ため息が止まらない。バイト帰りでもここまで出ない。これからバイトなのに既に疲労がたまった。

『そうか、君はアルバイトをしているのか』

 勘弁してほしい。こんなことにまで興味を持たないでくれないか。

『アルバイト……アルバイト! いいねぇ大学生っぽい!』

 肝心なところは聞き入れてくれない。それどころかまたひとりでしゃべりだした。いよいよ耐えられなくなって、机につっぷして「あ゛~~~~ッ」と嘆きなのか呻きなのかわからない声が出る。ヤケ酒でも飲んで忘れたい。コイツの存在そのものを忘れたい。だが、もう少ししたらバイトに行かなければならない。昼下がりの熱が残った道を自転車で走らなければならない。やけになって麦茶を何杯も飲んだ。2Lペットボトルが空になるまで飲んだ。

 最後の一杯を飲み終わって、ガンっとコップを机に置き、ひときわ大きく息を吐きだした。

「それで? お前の名前はなんていうんだよ」

『へ? ないというか忘れたけど』

 想定していなかったのか、きょとんとした声が返ってくる。……名前がないのか。ならちょうどいい。

「お前の名前は騒音だ。これからそう呼ぶからな」

『ひっどい!』

 抗議の声に耳を傾ける必要もない。俺はただ、スマートフォンを突っ込んだ鞄を肩にかけ、焼けるような8月終わりの外に出た。

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