7.あいたい翡翠のエンヴレイム


 炎剣に命を貫かれた化け物は見たこともない不思議な黒い粒子となり、雪のようにふわふわと、けれどそれは地ではなく天に昇り消えていく。

 生物の肉を蒸発させるほどの熱を間近で見ていたのにも関わらず、肉体への影響が火照っているな程度の、暑かったという風にしか感じなかったのは、恐らく少女がそのように調整をして、加護を施したからだろうか……なんてぼやけた頭で考えていると。

「……ちょっと、もしもーし。いつまでぼけーっとしてるわけ?」

 彼女は困ったような表情でこちらの様子を窺っている。いつの間にか刀身を模っていた炎は消え、木々を焼いていた炎も綺麗さっぱり鎮火されていた。


「いや、なんというか。流石にこんな夢みたいなものを見せられたら……。ぶっちゃけ今でも夢かなって思ってるよ……はは」と、乾いた笑いで翠は言う。

「あら、そう。なら夢じゃない証拠にいっかい引っぱたいてあげてもいいのよ?」

 天使のような微笑みで悪魔のようなことを言い放つ彼女。

「えっ遠慮致します……いや~背中痛いな~いてて」

 鬼と同等かそれ以上の怪力を持つ少女に引っぱたかれたら夢が覚めるどころか永遠に夢を見てしまうんじゃないか? ……ま、最期としては悪い部類ではない、かもしれない、多分。まったく、こんな華奢な女の子のどこにそんな力があるのだろうか。


「て、ていうか。初対面のやつ相手に随分と好き勝手に言ってくれるなあ……!」

「ん、ストーカーにはこれぐらいの態度が適切かと思ったのだけれど?」

「ぎくっ、いや~え~っとですね。あとを追い駆けたのは君が襲われてるんじゃないかって……」

「助けようとしてた相手に助けられて、世話無いわね」

「うぐっ。か、返す言葉もございません……」

「んじゃっ、行くわよ」

 踵を返して、彼女は焼け焦げた元・森林地帯を軽やかな足取りでずんずんと進んで行く。その切り替えの早さに着いていけない俺は、呼び止めるように問いかけた。


「行くって、何処に――はッ」


 まさか、森を焼いた罪を擦り付けられ少年院行き? まさか、私の正体を見た者はすべからくあの世行き展開? まさかまさかのバッドエンド!?

 鬼みたいな彼女のことだから、どんなことでもやりかねない。などとビクビクと怯えていたら、予想を遥かに超える返答が彼女から返ってきた。

「そんなの決まってるじゃない。よ」

「……え゙ぇ?」

 どうしてそうなった! なんてツッコミを入れようとしたら。

 俺でもなく彼女でもない別の誰かの声がこの森林に響いた。



 アケミ、恐らくは紅髪の少女の名前だろうか。哀愁、悲壮、絶望、僅かな希望、それらが入り交じった声が彼女の名を呼ぶ。

 声の主へ目をやると、そこには学生服に身を包んだ一人の青年が立っていた。

 歳は俺と同じか、少し年上か。顔立ちは年相応だというのに、まとう雰囲気は高校生の青年からは逸脱した、数多の経験を積み重ねてきた男の渋みのようなものが感じられる。瞳は虚ろで光が無く、しかし確かな熱を帯びている、たった一つの事象を完遂する、それだけのための熱を。

 果たして、何者か? 疑問視するより先に、その解は青年によって与えられた。

 アケミに見えるように左手の甲を掲げると、そこには彼女と同じ神秘的な紋章が刻まれていた。


適正者ホルダー……?」

 ぼそりと呟き、アケミは彼が自分と同じ同類なのだと悟った。

(あれは紛れもなく、聖魂紋章エンヴレイム。神から人の子に与えられた、悪意に抗う術であり世界の孔よりきたる塗りつぶす闇を払う、コスモスの輝き……つまり)


「記録には無い適正者……。あなた、私の力に誘われてここまで来たって訳? それは探す手間が――「いいや、違う」

 アケミが喋り終る前に、青年は言った。

「……」

 自身の言葉を遮られたことに若干の苛立ちが彼女の中で芽生えたのか、眉間に小さなしわがよっていた。けれどアケミは黙って、青年が次に語る解を待った。

「僕が君を探す手間が省けたんだ」

「――は?」

 意味がわからない、とアケミは指先で口元に触れて思考を巡らせる。


 完全に蚊帳の外状態の俺は突然あらわれた青年に根拠のない違和感を覚えた。この青年はアケミの様子からして敵ではないのだろう。しかし彼はそうは思っていないような。そんな相違による違和感。

「いつもとは違う状況で、ほんの少し戸惑ったけど……いつもみたいに暴れ散らしてくれたおかげでこうして会うことができた」

 青年の左手の甲が光を帯び、語る。その視線はこちらを向いており、その瞳には嫌悪の色が宿っていた。

 左手の紋章が放つ輝きはアケミの薄紅とは違う、翡翠色の綺麗な宝石のようであった。アケミはそれを見て、驚いたように目を見開き、声を荒げた。

「な、それって……っ。ファルヴェ聖魂紋章エンヴレイム!?」

「あぁ、そうだ。緑の光、僕が手にした力」

(やった――! 思わぬ収穫ね、これで……っ)

 アケミにとって、翡翠色に光る聖魂紋章は特別なモノらしく、表情には希望の色が見えていた。だが、相対する青年がその表情に浮かべたのは絶望の色、ただ一色。

 その瞳には明確なる殺意――。


「危ない――ッ!!」

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