第52話 醜悪な魔物と魔法少女
分断したチームの間から、急に魔物の気配が現れた。
純連以外の魔法少女は、誰も理解が追いつかず、何もわからないまま茫然と見上げた。
振りかえった時、そこには新たな怪物が蠢いていた。人型の黒色の泥の塊が徐々に体積を増して、不気味な唸り声をあげている。
「なによ、あれ……!?」
立ち竦んだのは魔法少女だけではない。
襲いかかってきた魔物も、"それ"に怯えるような有様だった。
空気が温くなって、生理的な嫌悪感が素肌に無遠慮に触れてくる。泥が放つ異臭だった。下水を直接に浴びているような不愉快な感覚に、胸がむかついた。
ある者は、思わず吐きそうになるほどの嫌悪感を味わった。
ある者は、重い風邪を引いたときのような悪寒に支配された。
「あ、ああ……っ」
膨れ上がった泥の巨人は、大鬼の背丈をゆうに追い越す。
黒い泥の一部が、大量に地面に滴り落ちた。その分身がコンクリートに触れた途端、高温の金属に水をかけたような、激しい煙を上げる。
全ての魔物たちは、怯えるように逃げ出した。烏の集団はまとめて逃げていった。
「構えて!」
本能的に、それが敵だと察知した魔法少女達は、迷いなく武器を向けた。
だが、周囲を警戒していた夜桜光が、こわばった声で叫んだ。
「待って。あの人は、どこ……!?」
そこにいたはずの仲間がいないことに気づいた。
青ざめて周囲を探すと、さらにもう一人、飛び出していこうとする魔法少女の姿を見つけた。
「だめだよ! 危ないっ! だめ!」
「離してください! 純連が助けないと、純連が……っ」
そばにいたコレットが、慌てて腕を掴んでいる。
純連は腕を伸ばして、巨人の方に向かおうとしているのだ。その気が狂ったような行為を、コレットが必死に止めている。もみあいが起こっていた。
「やめてっ、二人とも!!」
一体どうなっているのか。
光は悲鳴をあげながら、慌てて二人を止めに、間に入らなければならなかった。
戦うべき相手を失ったリーダー達も、突然現れた魔物に、信じがたい表情を浮かべていた。
「なんだ、この魔物は……!?」
「構えてください、緑」
だが、シリウスは一瞬で表情を切り替える。何はともあれ、目の前に現れたのは魔物だ。
ならば、倒さなければならない。
姿勢を低くして、剣を構える。
しかし、地面を蹴り飛ばす直前。
何もなかった地面から、見慣れた銅の壁が伸びてきて、動作を中断した。
「っ……純連っ!?」
咄嗟に動作をやめて、向こう側に視線をやった。
「『ブロンズ・シールド』、だめですっ、ことちゃん……あうっ!」
魔法を放った純連は、あとの二人に押さえつけられた。
主を失ったことで、金属の壁はもとの光に戻って、そのまま崩壊する。
しかしシリウスも、二度は攻撃しようとはしなかった。
その前に、緑が叫んだからだ。
「三人とも、そこを離れるんだ!」
「えっ――」
光とコレット、押さえつけられた純連は、見上げる。
十階建てのビルと同じ背丈になり、ようやく巨大化を止めた巨人。煙吐くドロドロの黒い液体を吐き出して地面を汚す。
這いずるように、ゆっくりと四つん這いで腕を動かして、三人の方に向かっていた。
「あいたっ……!」
慌てて逃げ出したが、勢い余って、コレットがつまづいて顔から地面にこけた。
「大丈夫……!?」
「うぅ……何、なんなの……!」
頭を押さえながら起き上がったコレット。
その横で、いちはやく体制を戻した純連は、茫然と巨人を見ていた。
巨人の魔物は、魔法少女には全く興味がないようだった。
敵であるはずの相手に一目もくれず、亀のような速度で、関係ない方向に去っていく。
「何なんだい、あれは。あんな魔物を見たのは初めてだ」
合流してきたシリウスと緑、そして光も、隣からその様子を眺めた。
「あれは魔物なの?」
「わからない。でも、歪んだ魔力を感じる。どうして急にあんなものが現れたんだ……?」
崩壊したビルや、電柱をなぎ倒して進んでいく巨人は、まったく魔法少女を見ていない。
魔物であることには違いないが、行動原理は理解不能だった。
しかしシリウスだけは、一人の様子が違っていることに気づいていた。
「まさか、あれは、彼なの?」
「…………」
唯一答えを持っていると思われる魔法少女に尋ねた。だが、純連は押し黙った。
「そうなの、純連ちゃん!?」
コレットが肩を掴んで、揺さぶる。
すると、それまで黙っていた純連はゆっくりと語り始めた。
「……分かりません」
「分からないって、どういうこと!?」
「落ちていた何かを拾っていて、そのあと、沸き出した泥に包まれて、あんな風に……」
「なら、やっぱりあの悍しい姿の魔物は、あの人なの……?」
仲間の一人が、魔物になってしまったかもしれないのだと知って、全員が動揺した。
緑は額を押さえながら、深く考え込む。
「……これは、非常にまずい状況だ」
「ええ。人間が、魔物に変わるなんて……」
これほどに恐ろしいことはない。
どう対処するべきか――それを考えている最中に、ふと光がつぶやいた。
「ねえ。あれは、どこに向かっているの」
「え?」
誰かが、疑問の声をこぼした。
巨人の背中は徐々に小さくなっていく。しかし他の魔物と違って、"雲の中心"から離れていくような行動だ。
シリウスでさえ手こずる大鬼でさえ逃げ出す魔物が、なぜ離れていくのだろう。
何かがおかしい。
「まさか、そんな……」
その道の先に何があるかを想像した魔法少女は、青ざめた。
巨人が向かっている雲の反対側。
このまま進んだ先に何があるのか。
自分たちの住む場所がある。
「わたしたちの街に向かっている、はずないよね?」
コレットがそう言ったが、否定できる要素はなかった。
あの先にあるのは、自分たちの帰るべき場所だ。まさか魔物になった状態で、拠点に帰ろうとしているのだろうか。
「止めないとっ!」
このまま進んでしまったらどうなるのか。最悪の未来を想像するのは、簡単なことだった。
「でも、どうやって!? あんなの、シリウスちゃんでも無理だよ!」
「あんなものが街に現れたら、魔法少女全員でも止められるかどうか……」
「ま、待ってください、みんな!」
純連が、悲痛な声で叫んだ。
「あの人が、あの巨人の中にいるんです、助けてください……!」
「……っ」
それを聞いた全員が、はっとした。
強大な魔物が街に向かっているという状況に、冷静さを失いかけていた。
「すまない。君の言う通り、仲間を助けることが最優先だ」
仲間が捕われているのなら、最優先で助けなければならない。
緑は、自分がみんなをまとめられなかったことを恥じたが、すぐに頷いた。
「でも、緑くん、どうするの?」
光の質問にすぐに答えられず、うつむいた。
「少し考える時間がほしい。まずは魔物の監視を続けつつ、対策を考えよう」
「……はい」
純連も、今は頷かざるを得なかった。
緑はリーダーとして指示を下すべく、真剣に、作戦を考え出しはじめた。
「純連……どうしたの?」
「守ると約束していたのに、また、守れませんでした」
気遣う様子のシリウスに対して、純連は、深く悔やんだようにうつむいていた。
「純連が、ちゃんと守っていれば……」
誰も、純連のせいだとは思っていない。
だが今は、その言葉は何の慰めにはならないと、シリウスは口を閉ざす。
しかし、かわりに現実的な答えを返した。
「このまま放っておいては、大変なことが起きます。作戦を考えましょう」
「……はい」
純連は泣きそうな表情で前を見た。
黒く染まった魔物の背中を見ていると、心が揺さぶられ、不思議と無性に悲しい感情が湧き上がってきた。
それを見て、純連が抱いた気持ちは、他の誰にも理解できない感情だった。
(どうして、そんな姿になってしまったのですか)
純連は、その巨人を魔物として見ていなかった。
醜悪な巨人から伝わる感情があった。
見ているだけで、悲しい気持ちが湧き上がってきた。
両親を失い、街で一人ぼっちで戦っていたときの“孤独”に似たものを、巨人から感じていた。
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