ソシャゲの世界に転移したモブの俺は、推しの低レア魔法少女と共に世界を救う
日比野くろ
第0話 ソシャゲの俺の嫁にアップデートが来ない
茶色に錆びた鉄の扉が開き、薄暗い部屋に光が差し込んだ。
部屋の主は、力果てたように通勤鞄を放り捨て、靴をばらばらに脱ぎ捨てる。溜まった埃が舞い上がったが、振り返ることなく家にあがった。
「……ただいま」
小声で呟いた声が、しんと静まりかえった部屋に響く。
この、賃貸の六畳間の主である鳥居大和を迎える家族は、誰もいない。
横に視線を逸らすと、玄関口の棚に、大学時代に集めたわずかなアニメグッズと、いつかの頃にゲームセンターで取った、日に焼けた美少女フィギュアが飾られていた。
真っ直ぐに奥に進んで、壁のスイッチを入れて、部屋の電気をつけた。
小さな空間の天井がちかちかと明滅する。
敷かれたままの煎餅布団に、腰を落ち着けた。
衣装ケースの上には、灰色に日焼けした家族写真と、位牌が置かれているが、どれも埃をかぶっていて、一年以上触れた様子はない。
ひたすらに、ちゃぶ台に置かれたPCに向かい合った。
カチカチと、マウスのクリック音が鳴る。
「まだか、まだ情報が来ないのか」
大和はスマホと、ディスプレイを何度も照らし合わせてチェックした。
表示されているサイトはSNS、wikiなどの攻略サイトだ。
一方で、スマホの画面が映し出すのは、ソーシャルゲームのスタート画面。
タイトルには『アルカディア・プロジェクト』と記されていた。
SNSの呟きを、何度も、狂ったように更新し続ける。
やがて、大和は身を乗り出した。
ついに、待ち望んでいた瞬間が訪れたのだ。
「きたっ!」
流れてきたURLをクリックして、内容を確かめた。
公式アカウントのお知らせページに、プレイしているゲームの、超大型アップデートの更新内容を記している。
大学受験の合格発表を見るような気持ちで、慎重に流し見ていく。
表示されっぱなしのSNSでは、大和と同じように、アップデートを待ち望んでいたユーザーたちの書き込みが、持ち上げた石を落とすのと同じくらいの、凄まじい速度で流れていった。
ソーシャルゲーム界屈指の人気は伊達ではなく、次々に運営が公表した情報のまとめや、好意的なもの、興奮した文章がどんどん流れる。
「嘘だろ」
意気込んでいた大和の顔色は、少しづつ悪くなった。
僅かな期待は、焦燥に変わる。
焦燥は、スクロールが一番下にくると、呆然に変わった。
何卒、よろしくお願いします。
そのメッセージと共に運営の告知は終わっていた。
「…………」
ひょっとすると、見逃したのかもしれない。
大和は信じきれずに、サイトの検索機能を呼び出した。
キーボードを打って『八咫純連』と入力する。
唾を飲んだ。
吐息を吐いてから、Enterキーを押す。
「あ……」
検索欄の横には『見つかりません』のメッセージが表示される。
Webページには、大量の名前が羅列されている。その中に求めたものはない。
力が、魂が爪先から抜けていく。
唖然としたまま、マウスを握りしめる大和は、視線を横にやった。
フォローしているSNSアカウントは、どれも喜色に染まった、お祭り騒ぎだ。
『神運営きたあああああああああ』
『今まで溜めた石吹っ飛ぶんだがwww』
『新ストーリーにキャラに、既存キャラ強化とかマジで神すぎる』
体から力が抜けていく。視線を持ち上げて、どさりと布団にダイブする。
この部屋にいるのは大和一人で、つけっぱなしのスマートフォンからは、ソーシャルゲーム『アルカディア・プロジェクト』のタイトル画面の曲が流れている。
何百回と聞いた、楽しげで軽快な曲。
それが、ぽっかりと穴が空いたような大和の心を吹き抜けた。
「なんで、また無視されてるんだよ……」
ぽつりと呟いて、それから、憎しみに表情が歪んだ。
「くそっ!!」
拳で、床を思い切り叩きつけた。
鈍く重い音が響き渡る。
床が凹んだかと思うほどの衝撃だ。
大和は顔面を抑えて、涙声を溢した。
「やっぱり運営に見捨てられたのか、くそっ……」
大和は怒りと無力感に支配される。
何もかもどうでもよくなって、体を放り出して脱力した。
本格派スマホRPG、アルカディア・プロジェクト。
魔法少女が、現代日本で魔物と戦うというコンセプトの、ありふれた内容のソーシャルゲーム作品。
膨大な広告宣伝と、映画と見紛うほどに拘られた演出や、素晴らしいストーリーから話題が広まり、現在は業界No.1のシェア。歴史的な大ヒットを打ち出した作品だ。
一ユーザーである大和は、そのゲームに、特別な思い入れを抱いていた。
鳥居大和は、ブラックIT企業の土方社員であった。
五年前に大学を卒業し、首にネクタイを締めるようになった。天国のように緩かった大学生活も終わりを告げるのかと、落ち込みながら、社会の第一歩を踏み出した。
大和を待っていたのは、地獄だった。
会社の人形として使われるだけの日々は、心を蝕んで、精神を腐らせていった。
『鳥居、この程度の仕事もまともにこなせないのか!! 終わらせないと、どうなるか分かってるんだろうな!?』
『……あーあ。またバカなことやらかしたのか?』
『うわ。鳥居さんまた怒鳴られてる。かわいそー』
上司には毎日のように怒鳴られた。
同僚からは見下されていた。
プライドなんて、もう残っていない。
残業代ももらえないままに働き続けても、褒めてくれる仲間はいなかった。
ただの都合のいい歯車として使われ続けたせいで、大学の頃に抱いた「ホワイト企業に就職したい」という考えは、もう失われていた。
最初の二年間は耐えた。
だが、いつしか心を病んで、自分が壊れかけていたことにも気づかなかった。
命を絶つことも頭をよぎったことがある。
だから――もしも。
あの日のことがなければ、自分はこの世にいなかったかもしれない。
人生が変わったきっかけは、今にして思えば、ほんの些細なことだった。
『……あっ』
地下鉄の駅でたまたま、電光掲示板の広告を見かけたのだ。
うつされていたのは、リリース直前であることを知らせる"アルプロ"宣伝広告だ。
そこに一瞬だけうつった、可愛らしいキャラクターを見た途端に、失われていた正気が戻ったような気がしたのだ。
『あなたのことを、全力で、お守りしますっ!』
多数いるキャラクターの中の一人。
与えられた台詞も、たったの一言だ。
しかし、たったその一瞬が、病んでいた大和の頭に鮮烈に焼きついた。
あの時はどうにかしていたのだろう。
愚かしくも、この
家に帰った大和は、脇目もふらずに"アルプロ"をインストールして、リリース後も徹底的にやりこんだ。
今に思い返しても、あれは狂った一目惚れだったと思う。
だが幸か不幸か、そのキャラクターのレア度は低かったために、ガチャで引き当てるのは簡単なことで、あっさりと手に入れた。
家族のいない大和を支えた架空の少女は、ひたすらに大和の心を、支え続けた。
大和は、彼女をもっと欲した。
ストーリーを全クリアするのは当たり前。無課金で貰えるガチャ石は1000連分を超えて用意したし、アンケートや人気投票には必ず回答した。
――だが期待は、裏切られた。
最悪な気分で、大和は、目元に置いていた腕をずらす。
「現実も、ゲームも、最悪だ」
大和の思いに反して、生みの親であるはずの運営は、そのキャラクターを愛してはいなかった。
サービス開始から三年間。
他のキャラクターは、すべからくアップデートが行われた。
進化や、専用武器の実装。水着やクリスマスなどの期間限定版の実装が行われた。新キャラクターも増え続けて、今は百人を超えている。
しかし――。
大和が一目惚れしたキャラクターは、一度もアップデートが行われなかった。
今までに類を見ないほどの大規模アップデートが行われた今回でさえ、そのキャラクターは無視されたのなら、もはや希望はない。
大の字に腕を広げて落とし、つぶやいた。
「もう、このゲームやめようか」
それが、最善のような気がした。
考えてみれば、アップデートが来ないことは当然なのだ。
何せ人気投票で下位のキャラクターだ。費用をかけるだけ無駄だと判断されているに違いなかった。
もしアップデートが来たら、大和は貯金を使い果たしてでもガチャを引く覚悟だ。
だが、もしそのことを運営が知っていたとしても、大和一人の力では、さざ波も立たないだろう。
「…………」
スマホを持ち直した大和は、起動した後に、アプリのアイコンを長押しした。
アイコンが小刻みに揺れ始める。
右上に出てくる×印をタップするだけだ。
だが、しばらく睨み合ったあと、操作を取りやめて、古臭い電灯を見つめた。
「消すなんて、できるはずないだろ」
いまさら、辞められるはずがない。
このアカウントの中には、ずっと育て続けてきた大好きなキャラクターがいるのだ。
データだと笑ってしまえばそれまでだろう。
しかし、今まで辛い時間を、そのキャラクターに救われてきたのだ。
見捨てることはできなかった。
夜は、あっという間に更けていった。
アップデートの終了時刻に、ちゃんとメンテナンスは終了した。
「サプライズで、新規追加とか、されてないかな」
未練がましく、そんなことを言ってみた。
あり得るわけがない。万に一つもない。
それでも大和はスマートフォンを手に持ってしまう。もはや病気の域だ。
だがアプリを起動した大和は、ぱちぱちと目を瞬かせた。
「え……フリーズした?」
普段ならば、ロードの後は声優の声をともに、企業のロゴが表示される。
しかし、画面は真っ白なままだ。
タップ操作を一切受け付けない。
まさか事前ダウンロードに失敗したのだろうか。
「ダウンロードし直しか……長いんだよな、これ」
大きくため息を吐いて、いったんアプリを終了しようとした。
「え、なんだ。閉じないぞ」
……だが、本体の操作そのものを受け付けない。
カチ、カチと。
一旦電源を切って強制終了しようとするが、スマホは何の反応も示さない。
「お、おい。まさか故障したのか!? 勘弁してくれよ!?」
最悪な展開を予想して、大和もやっと焦り始めた。
このスマホには、仕事の情報だって入っているのに、故障されたら最悪だ。
部屋の電気が、ちかちかと明滅する。
かすかに地面が震えた。
『――ふふっ。あなた、いいわね』
しかし、必死に電源を切ろうとする大和は、手を止めた。
「え? 今、何か声が……」
聞き間違いだろうか。耳を済ませてみるが、二度は聞こえない。
そうして視線を戻す。
真っ白だった画面に、何かが映っていた。
注目すると、何かの映像のようだった。
真っ白だったスマホ画面を切り裂くように、一筋の黒い線が走った。
隙間は徐々に開き始めて、裂け目に変わる。
スマートフォンの『枠』を超えて、現実までも裂きはじめた。
「っ!? どうなって――」
何か、とても危険な予感がした。
ウィルスに感染したのか。いや、違う。
何かとても嫌な予感がする。
だが、大和がスマホを放り捨てる前に、視界が歪んだ。
「――ぁ、ッ」
間も無く、力がふと抜けて、前のめりに倒れた。
その時、音が聞こえた。
何かを歪めたような醜い音だった。
プツンと、大和の意識は闇の中に消えた。
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