映画、漫画、アニメ等を鑑賞した感想です
Strong Forest
『本 エイリアンインタビュー ローレンス・R・スペンサー』
この本に書かれていることは本当だと思う。
まず地球が刑務所であること。
肉体が自由な精神である魂を拘束するために造られたものであること。
性というものがより肉体に依存させるための装置として肉体に植え付けられたものであること。
『どのような人間も、自分自身が-個人的にも集合的にも-神である、という事実に関して個人的な責任を引き受けることはない。この事実のみがあらゆる魂が罠にかかる原因である』
と、この本に書かれてあるのですが、全くその通りだなあと思いました。
人間は元々神だった。それはどれくらい昔かはわからない。人によって個人差があると思う。200、300兆年前の人もいれば、数万年前の人もいれば1000年前の人もいるかもしれない。
とにかく昔、人間は神だった。
神だったころに、この宇宙そのものを創り、地球を含む沢山の恒星、惑星を造った。そして色々あって、自分以外の神を攻撃したり、罠を掛けたり、逆に攻撃されたり、罠にかけられたりしながら、弱体化し衰弱し、記憶を喪失したり、記憶力が弱まったりして、全知と言えるほどの膨大な知識と記憶、英知を保持していた状態から、人間程度の記憶や知識しか維持できない状態にまで落ちぶれ堕落してしまった。
もともとこの宇宙もこの世界も、地球も地球上の様々な国々も自分自身が造ったのなら、それらの世界で起きていることに責任を持ち、自分が神として果たすべき責任を果たすべきだと思った。
今の自分に置き換えてみれば、人として当たり前に感じる良心や誠実さ、正義感というものに対して、忠実に正直であるということが身の丈に合った言葉であるように感じる。
地球上で過ごす人間が抱く神という概念には重大な弱点があると思う。
それは、自分が神であるという事実から目を逸らされるということだ。
それはある種の自己卑下であるようにも感じる。
神に祈ったり神に懺悔しているとき人間は、自分にはそんな力はないとこの物質宇宙に敗北を認めている。
自分の中に造った神という概念、あるいは自分を取り巻く宗教的環境から押し付けられた神という概念に自分の罪や責任を擦り付けている。
利己的な祈りや懺悔にはそう言った側面があるように感じる。
マッドサイエンティスト的、独裁者的な「私は神だ」、という感覚ではなく、もっと素直に純粋な気持ちで
『どのような人間も、自分自身が-個人的にも集合的にも-神である、という事実に関して個人的な責任を引き受けることはない。この事実のみがあらゆる魂が罠にかかる原因である』
という言葉を理解出来たら、人はもっと幸せになれるんじゃないだろうか。
そして、周りにいる人たちを幸せにする力を取り戻すこともできるのかもしれない。
『エイリアン インタビュー』
著:Lawrence R Spencer
https://amzn.asia/d/59X7wCV
『エイリアンインタビュー解説動画』
https://youtu.be/BUYYYaavrjI
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます