赤ずきんおじさん

「どうして、おばあの手はそんなに大きいんだい」

 薄暗い部屋の中、ベッド脇に立った人間が尋ねてくる。

「あなたを優しく抱きしめるためだよ」

「じゃあどうして……おばあの口はそんなに大きいんだい」

 待ってました、と俺は布団をはねのけて立ち上がる。

「ハハハ、それはお前を食べるためだよォー!!」

 襲いかかろうとしたが、目の前の人影はぴくりとも動かない。

「……」

 あんまり抵抗されるのも面倒だが、悲鳴の一つも上げてもらわなきゃ張り合いがないじゃないか。

「なぜだ、なぜお前は驚かない」

 拍子抜けしたオレは思わずそう口にしていた。しかし尚も返事はなく、ぼうっと立ち尽くす人影だけが見える。

 一体何が起きている?

 俺が傍のカーテンを開けると、薄汚い赤色のパーカーを着た中年男が立っているのが見えた。

 禿上がった頭。

 深いシワの刻まれた目元。

 全体的に生気がなく、頬は痩せこけて肌色も悪い。

「どした、俺を喰わねんか」

 男が表情も変えずに言う。

「……いつから俺がばあさんじゃないと気づいてた?」

「ははは」

 力なく男は笑う。

「家に入った時から気づいとったよ。戸締りもしてねえし、獣臭だってひでえ。何より、俺が長年世話してきたおばあを見間違う訳ねえよ」

「なら、なぜ食われると分かってオレに近づいた」

「もう、疲れてたんだよ」

「疲れた?」

「おばあは、今年で89だ。認知症で意思の疎通も取れねえし、世話する人間も、もう俺しかいねえ。毎日毎日……」

 男は少しうつむいて、息を吸う。

「毎日毎日!!」

 突然の耳が痺れるような大声に、思わず体がすくんだ。馬鹿な、この俺が?

「こんな森の奥まで来てオムツ替えて飯作ってよ……はは、俺も気づいたら独り身のままもうすぐ還暦だ。俺の人生は全部おばあに吸い取られちまったんだなぁ……」

 そして男は、勢いよくオレの肩を掴んだ。

「なあ狼さん!!」

 深いクマに血走った目。口角には泡が溜まっている。

「喰ってくれ、早く俺を喰ってくれよ! 俺ぁ、おばあが死んで、クソ、クソ! う、う嬉しいと思っちまったんだ。それ以外の感情が、出てこねぇんだ! 唯一の肉親なのによぉ、散々世話になったのによぉ……」

 男は涙を流して叫ぶ。

 どうやら、俺はとんでもない家に潜り込んでしまったらしい。

 すっかり食欲も失せたと、男を乱暴に突き放して、オレは窓から外へ飛び出した。

「待ってくれ……殺して、殺してくれよぉ……俺の存在ごと、この世に無かったことにしてくれよぉ……」

 すがりつくような声。こいつは本当に絶望しているのだ。

 あの不味いババアが死んだことを、喜んでしまった自分自身に。そしてきっと、言い訳も出来なくなったこれからの余生に、暗い未来に。

 二歩、三歩、足を進めてからオレはあることを思いついた。

 窓に向かって振り返ると、男は顔をぐしゃぐしゃにして項垂れていた。

「来るか?」

 顔を上げた男は初めはぽかんとしていたが、すぐに見たこともない表情で嗤った。


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