二人はクサい仲

nekojy

第1話 雨あがりの、あの匂い

「ぅわぁ……雨上がりの匂いだ」


 奈緒なおは思わず声をあげてしまった。何かすごいものでも発見したかのように。


 スゥーッと深呼吸をしてみる。思い切り突出る、育ち盛りの胸。ブラウスの第二ボタンが悲鳴を上げていた。


 並木道は、すっかり葉桜となっている。生暖かく、むせかえる空気。

 その湿った匂いは、部活帰りの汗ばんだ制服の匂いにも似ていた。


 もっともっと、嗅いでいたいこの匂い。奈緒はなぜか、この匂いが好きだった。それは彼女が捉えた、初めての官能だったのだろうか……


「なに訳の分からないこと言ってんの、オナラのくせに!」


 クラスメイトが奈緒をからかった。


 奈緒のフルネームは佐倉奈緒さくらなおである。明るくて良い名前だ。

 ただ、逆から読むと、


 おなら くさ……


 この名前のせいで、幼稚園のころからずっと、奈緒のアダ名はオナラだった。もちろんそれは、嫌で嫌で仕方ない。


「乙女ゴコロとしてさぁ、このアダ名はちょっと有り得なくない? ったく……」

 ずっと、そう思っていた。


 だが、中学生となった今、どんなにオナラ~ オナラ~とからかわれても、すでに屁のカッパに成長していた。



 葉っぱばかりとなった、桜並木の通学路。部活の友達と校門で別れ、奈緒は一人で歩いていた。


「みんな分かんないのかなぁ、この匂い…… 」


 やわらかだった若葉の色も、日増しに色濃くなってきた。ドンヨリとした曇り空が、その葉末から覗いている。

 風がときおり、木の葉を揺らした。


「いい匂いなのに……なぁ…… 」


「だよな…… 」


 背後から男子の声……

──え! だっ、誰?

 奈緒が振り向く。

──あ……

 同じクラスの男子生徒だった。


 奈緒が以前から、少し気にしていた異性。その彼が、すぐ後ろを歩いていた。


「オレも好きだよ、この匂い。なんか知らんけど……」


 彼がいたことに気付かず、独り言をつぶやき歩いていた気恥ずかしさ。好きな異性がいきなり現れた驚き。その両方が、奈緒の顔を真っ赤に染めた。


 さいわい日に日に濃さを増した緑陰に隠れ、その頬の紅潮は、彼にバレていなかったと思うが。


「青春してる、っていう匂い……だよな」

 彼が言った。


「うん!」


 風が言葉を運んでくれた。

 奈緒が嬉しそうに微笑んだとき、彼と視線がピタリと合った。

 それはほんの一瞬。そのとき奈緒は、これから始まる日々のストーリーを見たような気がした。


 間もなく訪れる梅雨の季節。今日の天気は、その空模様を連想させていた。

 けれども奈緒の心には、青く清々しい、春の空が広がっている。その空の下で、そっとつぶやいてみた。


「ベタな青春ドラマのヒロインみたい……」


 甘くてちょっと酸っぱい、雨上がりの匂い。奈緒はひとり、それを味わっていた。

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