第四話 心残り


 身を清めた後は昼食である。

 もちろん身を清める前にリーザがレオンと一緒に入るとか言い出してドタバタしたのは言うまでもない。


 ランベルトのいない食堂に、もはや誰も言及しないまま、相変わらずリーザはレオンのお世話に一生懸命だ。



「えっ、午後の予定は決まっていないのですか?」


「うん。午後は武官も文官も忙しいから早めに希望の講義とかを予定に入れて調整するんだけど、お義姉ちゃんが来ることが決まってたから父上が自由時間にしたんだって。お義姉ちゃんは何か希望はある?」


「そうですね、レオンと城下を歩くのも素敵ですけれど......そうだ! フリーデリーケ、ゲオルクの具合はどうですか?一度お見舞いに行きたいと思っていましたの」


「大分良くなっているようです。そろそろ復帰しなければと庭先で剣を振っていましたから」


「ではゲオルクのお見舞いに行きましょう! レオンも一緒に来てもらって構いませんか?」


「うん、ゲオルク将軍って父上を助けてくれた人でしょ? お礼を言いたいし一緒に行こう」


「レオンありがとう存じます!」



 がばっとレオンに抱き着いて頭をなでるリーザ。

 もうにっこにこである。

 レオンも幸せそうに笑っている。



「お見舞いの品で何かなかったかな? お義姉ちゃん、ゲオルク将軍ってお酒は好きかな?」


「ええ、それはもう大好物のようですよ、ローゼ公国では色々な逸話がありましたもの。ねぇフリーデリーケ」


「はい、姫様。大変お恥ずかしいのですが」


「なら......そうだ、クララ、あれを持って行こう」



 ちょっと意地の悪そうな顔をしてレオンはクララに指示をする。



「かしこまりました。すぐにご用意いたします」



 クララが顔を少し横に向けると、控えていた侍女が一瞬で姿を消す。

 もちろんレオンもリーザも慣れたものだ。

 見なかったことにした。



「ねぇレオン。前から気になっていたのですけれど、クララとはあれとかそれでちゃんと伝わるのですか?」



 抱きしめあったまま喋ってるのでレオンにはリーザのちょっとだけ揺れてる感情が感じ取れる。



「んー、大体は伝わってるかな。お義姉ちゃんもフリーデリーケとはそんな感じでしょ?」


「フリーデリーケはこちらが頼む前にすでに用意してる感じですのでちょっと違いますね」


「でもほらお義姉ちゃん、二人だけの秘密の方法があるでしょ?」



 そういうとレオンは抱きしめたままリーザの背中をトントンする。



「っ! もう!! お義姉ちゃんをからかうのは禁止です! 禁止!」



 一瞬で顔を真っ赤にしたリーザが、レオンの顔を見られずにぷいっとそっぽを向きながら抗議をする。



「お義姉ちゃん可愛い!」


「口に出すのも禁止ーーーーーーーーーーー!!」



 リーザの絶叫が食堂に木霊した。 





 レオン達はゲオルクの屋敷に向かうため、レオンの専用馬車に乗って移動していた。

 客車内では、レオンと手をつないだままのリーザが真っ赤な顔でぷりぷり怒っている。


 もちろん今回もすでにフリーデリーケが、実家であるゲオルクの屋敷に非公式でリーザがレオンを連れてお見舞いに行くことは通達済みである。

 リーザの突発的で恐ろしいほどの行動力を考えるとフリーデリーケでなければ専属は務まらない。



「お義姉ちゃんごめんね」


「お義姉ちゃんをからかう義弟なんて知りません。ぷいっ」



 今回はずいぶんリーザのご機嫌斜めが長く続いている。

 でも手はしっかりつないでいるし、とっくにレオンの事は許してる、というかそもそも最初から怒ってないし、可愛いと二度も言われて実は喜んでるのはちゃんとレオンにも伝わってる。

 それでもリーザは、ドキドキが収まるまでは恥ずかしくてレオンの顔が見られないのだ。


 レオンが十五回目の謝罪をして、リーザが十五回目の<ぷいっ>をしたと同時にゲオルクの屋敷前に到着する。

 馬車のままポーチを進み、ゲオルク以下家族と使用人が跪いて並んでいる玄関前に馬車が停止した。


 リーザの正面に座っていたフリーデリーケが外から馬車の扉を開ける。

 同じくフリーデリーケの横、レオンの正面に座ってたクララは既にいない。


 レオンは先に馬車を降りるとリーザをエスコートする。



「レオン、ありがとう存じます」



 レオンはにこやかな顔で小さく頷く。

 せっかく顔の赤みが引いて来たのにまたリーザの顔が赤く染まる。



「王太子殿下、姫殿下こちらでございます」



 クララが恭しく二人を促して、跪くゲオルク達の前まで先導する。


 リーザが名残惜しそうにレオンの手を放す。

 お義姉ちゃん一時中止の合図だ。

 今回はいくら非公式とは言え、王太子と王女の行啓ぎょうけいである。

 ランベルトの直臣になる事と男爵から子爵へ陞爵しょうしゃくする事は既に内示が出ているが、ゲオルクの論功行賞がゲオルク自身の戦傷により行われていない為、公的にはまだ男爵でローゼ公配下の扱いなのだ。



 ちなみに今この場でレオンとリーザを除いて一番階級が高いのはクララだ。

 クララは子爵で従四品下 典侍ないしのすけ

 王直属の内侍省ないじのしょうの長官たる尚侍ないしのかみの副官でかなりの高官なのだ。

 フリーデリーケはリーザが養子になったと同時に直臣として取り立てられ、准男爵で従五品上 掌侍ないしのじょうに任じられている。

 ゲオルクが子爵へ陞爵しょうしゃくすれば、フリーデリーケが男爵を継ぐ予定だ。


 クララがレオンにゲオルクの紹介をする。



「王太子殿下、こちらがローゼ公爵が家臣、ゲオルク・バイルシュミット男爵でございます」


「王太子殿下、お初にお目にかかります。ゲオルク・バイルシュミットでございます。以後、お見知り置きを」


「バイルシュミット卿、レオン・ライフアイゼンです、よろしくお願いします」


「はい! これで一応お堅いご挨拶は終わりですね! ゲオルクお久しぶりです、お怪我の方はいかがですか?」



 リーザはぱちんと両手を叩いてここからは非公式だと宣言する。



「姫殿下におかれましては私の力が及ばず、ご家族をお守りできなかった事、大変申し訳なく思っております」



 だがゲオルクは跪いたまま深く頭を下げ、先の大戦でリーザの家族を助けられなかったことを詫びる。



「よいのですゲオルク。話は聞いております。お父様とお兄様があの場で多くの敵軍の足止めに成功し、ゲオルクが陛下をお守りしてお導きしたからこそ、陛下をはじめ多くの将兵が帰国することが出来たのです。ゲオルクは父上の最後の命令を見事に遂行したではありませんか。シェレンブルクの事は残念でしたが、小勢で数日もの間敵軍の足を止めたと陛下からお聞きしております。皆様のご活躍が無ければここライフアイゼン王国も他国の兵に蹂躙されていたでしょう。両親もお兄様もゲオルクにきっと感謝しておりますし、わたくしも同じ気持ちなのですよ」


「うっ......うっ......」



 ゲオルクは泣き伏したまま動かない。

 レオンはそっとリーザの手を握るのだった。





 落ち着いたゲオルクは立ち上がると



「姫殿下にローゼ公からお渡しするよう託されたものがあります」


「まぁなんでしょう?」


「我が家の裏手に御座います。大変恐縮ですが御足労いただけますでしょうか?」


「わかりました。レオン参りましょう」


「ええ、わかりました」



 裏手へ回ると厩があり、そこには巨大な白馬が繋がれていた。



「これは、お父様のブリュンヒルト......」


「左様で御座います。決戦前夜、陛下をお守りするようにと閣下よりお預かりいたしました」


「でもこれは......」


「私は昨年の褒賞ですでに閣下より名馬ザイドリッツを賜っておりますれば、閣下が私にブリュンヒルトを託されたのは姫殿下にお渡しする為と愚考致します」



 隣の厩舎にはブリュンヒルトには及ばないものの、立派な体躯をした鹿毛の馬が繋がれていた。



「......わかりました。ゲオルクの御厚意に甘えさせていただきます」


「レオン、よろしいでしょうか?」



 レオンはクララが小さく頷いたのを確認すると



「ええ、大丈夫です。厩舎には空きもありますし、既に父上の内諾は得ているようです。さて、バイルシュミット卿、ここからは堅苦しい話は無しにしましょう」


「かしこまりました。では屋敷の方にご案内いたします」



 リーザがレオンの手をぎゅっと握ってくると手の甲をトントンして<ありがとう>と伝えてきた。





「では改めて、先の大戦では父上の命を救っていただきありがとうございました」



 レオンは座ったままだが、深く頭を下げる。

 思わずゲオルク以下家人全てが床に這いつくばり



「殿下! 恐れ多うございます!」



 と言い出す。んーこまったなとレオンがリーザを見ると、にっこりと笑う。



「ゲオルク、実家の時と同じように接してください。これはあくまでも非公式ですし、わたくしたちもそのように畏まられたら困ってしまいますから」


「は、はい姫様ありがとうございます」


「では、こちらを。お見舞いの品を持ってきました。クララ」



 側に控えていたクララはやっと立ち上がったゲオルクの前に酒瓶の入った箱を合計五箱並べた。

 何処に持ってたの? なんて聞くのは野暮だ。

 正しくは誰がどこでいつ渡したの? だからだ。



「ゲオルク将軍は酒精が好きだとリーザお義姉様から聞きしました。是非お納めください」


「はっ、有難く頂戴いたします」


「それでゲオルク、お怪我の方はどうなのですか?」


「はい姫様。もう剣も振れますし痛みもさほどありません。今は出仕の許可願いを申請しているところです」


「本当に良かったです。申し訳ありませんでした、もっと早くお見舞いにお伺いできればよろしかったのですけれど」


「姫様、そのお言葉だけでこのゲオルク十分でございます」


「あとわたくしもお見舞いの品をお持ちしました、フリーデリーケ」


「はい姫様」



 フリーデリーケはゲオルクの前に箱を置く



「アプフェルシュトゥルーデルです。フリーデリーケが作ったものですのでお見舞いになるかわかりませんけれども、ゲオルクとご家族の皆様に食べていただきたくて、わたくしのとっておきをお持ちしました」


「おぉ姫様のアプフェルシュトゥルーデル、ありがたく頂戴します! フリーデリーケはたまに家に帰って来ても全く菓子作りをしないので、昨年に姫様から頂戴した時以来切望しておりました」


「ふふふっ、フリーデリーケの作るお菓子は大陸一ですからね」



 フリーデリーケがこっそり「姫様そろそろ......」とリーゼに囁くと



「ではゲオルク、わたくしたちは城へ戻ります。急に押しかけて申し訳ありませんでした」


「いえ、本日は本当にありがとうございました」


「なにかありましたらフリーデリーケかわたくしに直接お知らせください。出来る限りの事はいたしますので」


「勿体ないお言葉、恐悦至極にございます」





 客車の中でリーゼはご機嫌だった。

 ゲオルクの怪我も気になってはいたが、本当はリーザの家族の事で責任を感じてるだろうと気にしていたのだ。



「お義姉ちゃんのとっておき喜んでくれるかな?」


「フリーデリーケの作るお菓子は大陸一ですもの、大丈夫ですよ」



 何故あの見舞いに行こうと決めた僅かな時間でアプフェルシュトゥルーデルが準備できたかは追求しない。

 レオンは賢い子なのだ。



「林檎、随分使っちゃったんじゃない?」


「そうですね、でもゲオルクに喜んでもらえればわたくしは嬉しいですし、他国産の林檎なら城下で手に入るかもしれませんしね」


「冬まで我慢かぁ」


「レオン、そういえばあのお酒は何でしたの?」


「あれは父上の秘蔵のお酒でね、以前お義姉ちゃんのお父さんから贈られたローゼ領で作られたお酒なんだよ。その中からクララが選んで持ってきたものだよ。故郷の味の方が喜ぶかなって思って」


「<あれ>だけでそこまで細かく指示できるなんて......」


「三本位で良いかなって思ったけどクララは五本も持ってきちゃったんだよ。父上に何を言われるか」


「でも......」



 またちょっと嫉妬してるなと感じたレオンはリーザと手をつないでいない方の手をリーザの肩に乗せる。



「あっ! トントン禁止です! 禁止って言ったら禁止です!」



 ぴーぴー暴れるリーザの背中に手をまわして抱きしめるようにトントンする



「っっ!!!」


「お義姉ちゃん……」


「わー! わー! わー! わー! わー!」


「口に出すの禁止です!! 禁止!!」



――大事なとっておきを大切な人のために使ってほとんど無くしちゃったお義姉ちゃん

――<お義姉ちゃん><大好き>



 はあはあはあと真っ赤な顔で呼吸困難に陥りながらも手を放さずにレオンと逆の方に<ぷいっ>としたまま、身もだえている義姉を放置しているとレオンは気になったことがあった。



「あれ? そういえばブリュンヒルトは?」



 レオンが気になって聞くと、フリーデリーケが「既に城の厩舎に繋いであります」と答えた。

 なるほど、わからん。

 まぁお義姉ちゃんの気になってたことが一つ解消されたしいいかとレオンは深く追求することはしなかった。


 城に到着するまでずっとはあはあしてた真っ赤な林檎みたいな物体についても考えないことにした。





 城に到着すると、なんとか呼吸も落ち着いたリーザをエスコートして馬車から降ろす。



「レオン様、リーザ様、入浴の支度が整っております」


「その前にちょっとブリュンヒルトを見たいんだけど大丈夫かな?」


「かしこまりました、厩舎の方へどうぞ」



 手はずっとつないだままだが、馬車を降りてからはリーザは一言もしゃべらない。

 チラチラとレオンを伺っているが、レオンがリーザの方を見るとぷいっとそっぽを向いてしまうのだ。

 

 やがて厩舎に到着すると、ブリュンヒルトが大人しく繋がれていた。



「お義姉ちゃん、綺麗な馬だね」


「......そうですね、父上の大事にしていた愛馬でした。わたくしと同じ年齢なのですよ」


「今度、午後の講義に騎乗訓練の予定を入れてくれるように父上にお願いしておこうか」


「レオン、ありがとう存じます」


「お義姉ちゃんは切紙だっけ?」


「ええ、そうですよレオン。もし講師の方がいらっしゃらなくてもお義姉ちゃんが教えて差し上げますからね」



 ブリュンヒルトの話をした時には機嫌が直ったはずなのに、入浴するために二人が浴場に向かっていると、何やらまたリーザが挙動不審な動きを始める。

 やがて浴場が近づいてきて二人の手が離れる時がやってくる。

 遂に意を決したリーザがレオンの手の甲にトントンした。


<大好き>


 ぱっと手を離すとリーザはそのまま女性用の浴場に駆けて行ってしまった。

 その不意打ちに、レオンの顔も林檎のように真っ赤に染まるのだった。

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