第9話
「大学の教授室に寄っていこうよ。あの部屋を見る最後の機会かもしれない」
駅に向かいながら麗子にそう言うと彼女はこくり、と頷きました。私と口論した次の日、髪を下ろした麗子は前より幼く見えました。
大学の灯は落ちていました。警備室に行き、鍵を見せて教授室の整理をしにきたと伝えると、余り遅くまではだめですよ、と念を押されましたが、通してもらえました。校内の薄暗い廊下は昼間の見慣れた風景とは異なり、しんとして不気味なものでした。麗子がそっと手を差し伸べてきて、私の手を掴みました。私は黙って、その手を取りました。
「大丈夫だよ。小学校にお化けが出たという話は山ほどあるけれど、大学にお化けが出るという話はあまり聞かない」
冗談めかして、私は麗子に言いましたが、麗子は俯いたまま私に付いていてくるだけでした。
教授の部屋の鍵をかちりと開け、灯りをつけると、麗子はほっとしたように私から手を放しました。
「この部屋とも今日でさよならだね」
麗子はそう言いながら、名残惜しそうに部屋の中を見回しました。
「橘君とももうすぐお別れなんだね。卒業しちゃうものね」
「松尾さんはどうするの?」
「教職を取っているし、地元で先生かなあ。親にもずいぶん長く迷惑をかけたから」
そうなんだ、私が答えると、私、橘君のことずっと好きだったんだよね、実を言うと、と麗子は何気ない調子で言いました。でも、橘君には彼女が出来ちゃったみたいだし、私あの頃どうかしていたのかな。
「今の松尾さんはとっても素敵だよ」
私は本心から言いました。
「そうかな」
麗子は、残念だな、前はそんなこと言ってもらえなかった、そう言って暫く黙り意を決したように、ねぇ、最後にキスをしてくれる?と言いました。私は暫く黙って立っていました。
ねぇ、もう帰ろうか。暫くして、静かにそう言った麗子を私は抱きしめました。そしてキスをしました。それは静かなキスでした。有難う、そう言って体を離そうとした麗子の服の釦を私は外し始めました。麗子は抗いもせず、その様子を見ていました。白いブラジャーのホックを外します。麗子の乳房の裏はひんやりとして持ち重りがしました。麗子は微かにため息をつきました。私は麗子の乳頭を唇でつつきました。舌で舐ると、麗子は顔をのけぞらせました。そこは十円硬貨と一円硬貨を舌に挟んだ時に流れる微かな電流のような味がします。
春子のときはそんな味がしなかったことを私は思い出します。これが、人間の女なのだ、と私は感じました。麗子の服をすべて剥がし、麗子を立たせました。
「寒いよ」
麗子は小さな声でいいました。私は自分の服を黙々と脱ぎ、麗子の体を抱きました。麗子の重さと白い肌がせつなく愛しく感じました。
「橘君、お酒臭い。でも暖かい」
私は何も言わずに、麗子の下をまさぐりました。そこは温かく、私の指は濡れました。
「ちょっと待って」
そう言うと、麗子は裸のまま、扉に近寄り、覗き穴から外を見ました。
「ああ」
私は部屋を見回し、紙とセロハンテープを取って穴を塞ぎました。ふふふ、と麗子は悪戯っぽく笑いました。
「これで誰も覗けないね」
麗子がそんな風に笑ったのを私は初めて見ました。
「橘君、私の事を重い女だと思っているでしょう?そんなことないよ、こんなことしても橘君にしがみつくつもりはないもの」
「そんなこと言うなよ」
「でも・・・橘君には責任があるかもね。私がせんせいとセックスをしたって疑っていたものね」
そう言うと、麗子はバッグの中から椅子の上に白いハンカチを引いて私を座らせました。
「橘君・・・」
そういうと髪を掻き揚げ、麗子はあの時と同じように椅子の上に跨りました。彼女の重みが椅子をぎしりと軋ませ、ざらざらとした麗子の恥毛と私のそれが絡まり、熱い麗子の中にゆっくりと私のペニスが沈んで行きました。それは確かな人間の女の重みでした。麗子は眉を顰め、首を反らせました。その顔を掻き寄せると私は彼女の唇を吸いました。麗子は最初戸惑ったようで互いの息遣いが頤の中で交差しました。一度、扉が開くと麗子は私の舌に深く自分の舌を絡ませました。静かに動かしていたペニスが快感を止められないことを私に告げ、やげて頂点に達し私は麗子の中に精を解き放ちました。彼女は私の体を力いっぱい抱きしめ体の中へ放たれたものを反芻するように緩やかに揺すりました。
その時、背中の扉の向こうで誰かが私たちの行為を見ているような視線をふと感じ、私は振り向こうとしましたが、麗子は強く私を抱きしめたまま離そうとしませんでした。
「どうしたの?」
麗子は熱い息を私の耳に吹きかけました。
「誰かに見られている気がして・・・」
「そんなことはない・・・穴は塞いだもの」
「そうだけど・・・」
ですが、確かにその時扉の向こう側に私は存在を感じたのです。それは・・・あの花梗を拾い上げた時の、音もなく近づいてきた春子のような淡い存在感でした。ですが、麗子が私から腕を離した時、既にその気配は消えていました。煌々とした蛍光灯の下で麗子は髪を直すと、もう一度確かめるように体を揺すらせ、そしてにっこりと笑うとバッグからティッシュと畳んだプラスティックの袋を取り出しました。
「いつもそんなものを持っているの?」
「うん、便利だよ。こんなことに使うのは初めてだけど」
そういうと、麗子はゆっくりと体を持ち上げました。
「拭いてあげるね」
傷ついて項垂れたようになっている私のペニスを丁寧に拭くと、彼女自身も浄めて麗子は僕が放り投げた小さな下着を拾い上げました。
「何を見ているの?」
私は椅子の上に敷いてあったハンカチをじっと見ていたのです。そこには彼女の体から流れ出た血と私の放った精が交わって桜の花の色のような染みを作っていました。
「これはバッグに入れる」
そういうと彼女は畳んであったプラスチックバッグを広げ、布を指でつまんで片づけました。
「初めてだったの?」
僕が尋ねると、麗子はちょっと頬を染めて、
「そう、だからせんせいとは本当になにもなかったの」
と答えました。
「それを橘君に知って貰いたくて、私・・・」
呟いた麗子の背中から私は腕を回して彼女の体を抱き寄せました。
「ほら・・・もう行かなくちゃ。警備員さんに叱られる。見回りに来るかもしれないし」
そう言った麗子の体をほんの少し抱きしめた後、僕らは服を着ました。
「どうするの、それ?」
プラスチックバッグを手にした麗子は、首をちょっと傾げると、
「とっておこうかな、私の破瓜の記念に、橘君との」
と呟きました。
「それは・・・趣味が悪いよ」
「なんで破瓜っていうんだろう?」
私の言葉を無視して麗子は首を傾げました。
「瓜って・・・お尻が瓜みたいだからかな?」
童女に戻ったような顔をして独り言を言った麗子に思わず私は笑いだしてしまいました。
「それはたぶん違うだろうな」
「・・・こんな風だから、私彼氏ができなかったんだと思うよ」
麗子は笑った私に真面目な顔をして言いました。
「こんな風って?」
手にしたバッグを見つめると麗子は
「こういうのを取っておこうかって言ったり、なんで破瓜っていうんだろう、なんて思ったり・・・」
「そうだね」
「橘君もそう思うんだ」
拗ねた顔をした麗子の手を、私は取りました。
「みんながそう思えば君に寄ってくる男はいなくなる。だろう?」
手にした麗子の指と私の指は絡んだまま、薄暗い階段を下りて行きました。そしてそのまま、時折相手を確かめるように抓ったり、爪を立てたりの悪戯をしながら私たちは寒くなった夜の街を歩いていきました。
それから季節は過ぎ再び、春が来ました。私は大学に残ることにし、麗子は小さな出版社で働くことになりました。教授は余命宣告の期限を過ぎても元気にしておられ、時折私たちのもとへ絵葉書が届きました。
あの事があった翌日、麗子と待ち合わせた喫茶店で麗子は秘密を打ち明けるように、
「瓜って、字を分けると八と八になって、それを足すと十六だから、十六の女の子を破瓜っていうんですって」
と私に囁きかけました。
「その頃、女の子が初体験するから破瓜っていうんですって。昔はみんな早かったのね。七年も遅れを取ってしまったわ」
麗子は童女と成熟した女が交わっているような女でした。それに気づかずに一緒に学んでいた自分の迂闊さに私は微笑んでいました。その微笑みをなんと取ったのか、
「でも男の人は六十四で破瓜というらしいの。八と八を掛け算してね。どうして男は掛け算で女は足し算なんだろうね?」
と麗子は私に問い掛けました。私は微笑んだまま、分からないと答え、それを見たうーんと麗子はじれったげに眉を寄せました。ですが、
「君はどちらも経験した。だから今度は僕がそうなるまで、見ているといいよ」
そう言うと、麗子は嬉し気に、ほんと?そうだよね・・・と頷きました。
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