第19章 内界の檻
第98話 微睡みの巫女
ビルのエレベーターを出てオフィスのフロアを横切り、
上司に続いて部屋の奥にある部長の席を目指していた。
凱斗の視界に、三人の女性がこちらを見ているのが入った。何か言いたげに視線が凱斗を追っている。
(……?)
自分は彼女たちに何かしただろうか、と考えながら、にこやかに笑う部長の前に立った。
「お疲れさまです。うまく交渉できたようですね」
年齢を感じさせない眼の前のスリムな男性は笑顔で凱斗と上司を労った。
「
「そうですか、それは先が楽しみですね。あの会社との契約はかなり難航しそうだと思っていましたが、よく頑張ってくれました」
「はい。伺った時は社長の体調が思わしくなかったらしく、大変不機嫌な様子でした。初対面の上代さんが緊張しないか心配でしたが、さすが、緊張したところを誰も見た事がないという噂通りでしたね」
「ほぉ、上代さんは緊張しないタイプなんですか?」
二人の視線が集中し、凱斗は思わず顔の前で手を振りそうになり、浮かせかけた手を下ろす。
「いえ、緊張はします。あがって上手く話せなかったり、声が上擦ったり、発汗量が増加したりはしませんが、今も緊張しています」
平然と自然な笑顔を見せる凱斗に、眼の前の二人は満足そうに微笑んだ。
「入社後の研修での彼のプレゼンは見事でした。内容も発表の態度も、新入社員の中では群を抜いていました」
「噂には聞いていましたが、大したものですね。ところで、先方の社長が不機嫌な様子だったというのは?」
「酷く身体が重いと仰っていましたね。訪問した際は顔色も優れないようでしたが、お茶が運ばれてくる頃には復調されたようでした」
隣で話す声を聞きながら、凱斗は少し視線を逸らす。
取引先の社長室は、扉を開ける前から膨れ上がった念の気配がしていた。
ここに入るのか、と嫌な気分になりつつ、上司の後に続いて凱斗は部屋に入った。その途端に逃げ出した念に、思わず苦笑した。
自分が邪気に避けられるのは知っていたが、気配を消していたにも関わらず、ほとんどの念は凱斗が部屋に入ると同時に逃げ出した。
はっきりと『何の』念で『誰が』送っているのかは分からないし、弟のようにはっきりと目に見える訳ではなかったが、訓練のおかげか気配は探れるようになっている。
大量の念の標的となっていたであろう社長は、凱斗の気配にも怯まない強力な悪意を持った『何か』を背負っていた。
当然、向かいに座る凱斗にもその巻き散らす悪意は感じられて、不快に思った凱斗は笑顔で挨拶しながら、明確な意思でその『何か』に一瞬だけ視線を向けた。
《――
社長に堅固に張り付いていた『何か』は、凱斗の直接的な力を受け、何処かに弾き飛ばされた。
部長への報告を終えて自席に戻ると、凱斗の傍に軽やかな靴音を立てて二人の女性がやってきた。
凱斗はさっき自分を視線で追って来た三人のうちの二人だと気付く。
これまで挨拶程度の会話しかなかったと記憶していたが、自分に向けられた視線に少し不快感を覚えた。
その気配は『好奇心』。あまりいい感覚ではない。
「凱斗さん、ちょっと聞きたい事があるんですけど、いいですか?」
少し丸顔の女性が胸元で手を組んで話しかけてくる。
名前を思い出そうとしながら凱斗が頷くと、嬉しそうに身を乗り出した。
「凱斗さんのお宅って、最寄り駅はどこですか?」
「うち? カムド駅だけど」
「やっぱり!」
「……は? 何?」
「駅から大きな公園に向かった先ですよね!」
「そうだけど。……なんで?」
満面の笑顔で話し出そうとする丸顔の女性を、もう一人の少し釣り目の女性が窘めるように腕を前に出して言った。
「いえ、ここでは何ですから、凱斗さん、今日のお昼をご一緒させていただけませんか?」
「昼? まあ、いいけど」
頭を下げて去って行った姦しい雰囲気に、凱斗が心当たりを探して首を傾げる。
何事だ? と目線を送ってくる同僚や先輩に曖昧な笑顔を返して凱斗は再び首を傾げた。
「凱斗さん
会社の入ったオフィスビルの地下にあるイタリアンのカフェに連れて来られた凱斗は、唐突な台詞にほんの少し眉が動いた。
そんな凱斗の様子に気付かないように、丸顔の女性は凱斗に顔を近付けて眼を輝かせている。
いきなり不躾な質問をされたが、凱斗は営業用の笑顔で答える。
「……俺か? いや、視えないけど」
あっさり否定すると、丸顔の頬が不満そうに膨れる。
さっき丸顔の勇み足を止めた釣り目の女性が訝しそうに向かいから見つめて来た。
「あれ? 凱斗さん、カムドの上代家の方ですよね? 地元では有名なお宅だって聞いてますけど」
「有名? うちが?」
「はい。霊感少年って、凱斗さんの事ですよね?」
「あー……」
なるほどその事か、と腑に落ち、凱斗は小さく首を振る。
「――それは、俺の従兄弟」
「「「……え?」」」
同時に声を上げた三人をゆっくりと見回し、凱斗は三人目の女性に目を止める。
彼女は、目に見えて分かる程に落胆の表情を浮かべていた。
* * * * * *
《
耳が捉えた待ち望んでいた声に、采希は思わず声を上げそうになった。
慌てて周りを確認するが、真っ白な視界に巫女の姿は確認できない。
異界の邪気を消滅させ、朔の本部に戻る前に意識を失ったのは覚えている。
「あきら、俺はまだ眠っているのか?」
《そうだな、今回の相手はちょっと大変だったらしいな。
「……あいつらも倒れたのか」
《黎さんの所を手伝っている――何て言ったか――その女性は大変だったみたいだぞ。意識を失った那岐たちと身動き出来ない凱斗を車から降ろすことも出来ず、慌ててカイさんたちが運んだらしい》
かなり遠くにぼんやりと巫女の姿が見えて、采希の意識は巫女の隣を目指してふわりと移動する。
巫女はゆっくりと明滅する身の丈ほどの光の球体に手を翳していた。
帯状になった鮮やかな光が球体の表面をなぞるように回っている。
「何、してんの?」
《うーん……まあ、仕事、かな?》
「……そうやってお前の力を供給しているのか?」
小さく紡がれた采希の声に、巫女は強張った顔を向ける。
確かに、今、巫女がしている作業は、大地と空に大きく気を巡らせるための準備だった。
采希が知っているはずは無かった。
巫女として生まれた自分に与えられた力。それは人々に先見の予言を伝える事ではない。
今はいない、曾祖母の言葉が巫女の頭に浮かんだ。
『先見の巫女は大神さまにお仕えする。この地の気脈が弱まったタイミングで生まれる事がほとんどなんだよ。それがどういう意味か、分かるかい、あきら?』
『……わからない』
『弱まった気脈を元に戻すため。――そう伝えられている。巫女となった者には大神さまの声が聞こえるから、あきらにもいつか届くだろうね。当主には、代々の巫女について行動を束縛しないように、とだけ伝えられている。だから私にも詳しい事はわからない。ただ――』
言葉を途切れさせ、先代当主はまだ幼い曾孫の頭にそっと手を乗せた。
歴代の巫女は、短命だったと伝えられている。
それがどんな事情のためか、当主には口伝されていなかった。
『――気脈を復活させるために捧げられるのは……』
先代当主の言葉通り、巫女には大神さまと呼ばれる主神の声が届いた。
大神さまの手伝いが出来る事は幼い巫女にも光栄に思え、とても嬉しかった。
自分が仕出かしたある事件を境に、声は届かなくなった。
心細く思いながらも、自分に対する罰と受け止めて、巫女は自分に課された邪霊や念の処理に励んだ。
再び大神さまの声が届くこととなった日、これで自分の役目が果たせると安堵した。
それなのに、ある日、気付くと自分の身体は呪で覆われていた。
大神さまに保護され、そこで初めて自分が存在している理由を知った。
誰にも相談できず、彼女は一人で泣いた。
自分がこの地の気脈を補完するためだけに、さまざまな存在の加護を受けていると知って泣いた。
神や聖獣と呼ばれる存在の誰も、自分の生を祝福してくれる意図で加護を授けた訳ではないと知って泣いた。
自分が生まれた意味を簡単に受け入れられるほど、達観できなかった。
今でも、自分の力が人身御供であるかのように、この地のために存在していると思うと絶望したくなる。
ごく普通の暮らしも、人並みの幸せも望めず、自分の身がこの世界のために捧げられる。
それを誇りと思うほど、巫女は主神と繋がっていた訳ではなかった。
奇しくも、禁忌である反魂を行った咎で巫女としての能力を封じられ、永く主神の声が聞こえなかったために。
巫女に求められた力の行使は、気の循環。
大地と空に停滞する事なく気を巡らせる。
今代の巫女は、本来であればその生涯を終えるまでの時間を要さずに任務を全う出来るだけの
14年の空白は、この地の気を充分に巡らせるには痛い枷となった。例え巫女が除霊により、意図せず気の循環をさせても、主神の意思が伝わらなければ効率は酷く悪かった。
その空白を、どうにか埋めなくてはならない。
「そうやってここで、力を使い果たして倒れるまで気の供給をしていたんだろ? だから、あきらはいつも微睡んでいたんだって気付いた」
呆然と見つめる巫女の眼を見返して、采希は笑みを浮かべる。
「神霊とヒトの呪。確かに、お前が囚われた時には呪が施されていた。でも今は、そうじゃない」
采希の眼には視えていた。
その代わりに采希が眼にしたのは、神霊と人の『願い』と『祈り』という名の呪縛だった。
「ヒトが存在する限り、様々な念によって気は乱れて穢れる。その気を浄化して循環させ、元に戻すのが巫女の役目だったんだな」
静かに話す采希にはもう分かっているのだろう、と巫女は唇を噛んで俯いた。
この地の気は既に、巫女が自分の生活や命を惜しんでいる場合ではない程に枯渇し、澱んでいる。
それが自分の迂闊な行動の結果であると理解できてしまった。だからこそ巫女は、呪が消えてもこの地に留まる事を決めた。
ここで力を使い続ければ、二度と現世には戻れないと分かっていても。
《采希……、私は――》
「俺が、代わる。俺がお前の役目を引き受ける」
自分が本当の事を告げなかったことを責められる覚悟でいた巫女は、采希の言葉に戸惑う。
采希の言った言葉の意味が巫女の思考の表面をするりと滑って行くようで、巫女の中で理解が追い付かない。
代わるとは、どういう事だろう、と思った。
「俺の身体は多分、もうそんなに長くはないだろうから」
巫女の頭の中が真っ白になった。
* * * * * *
姪である先見の巫女が唐突に現れて、ただ一言を残してその姿を消した。
何が起こったのか理解できない黎は、姪の姿が消えた空間をただ見つめていた。
「黎さん、今のってあきらちゃんだよね? 何だかいつもと気配が違っていたけど」
「黎、どう言う意味なんだ? 『采希を止めろ』って……采希はまだ意識が戻っていないんだろう?」
凱斗とカイに詰め寄られ、黎は大きく息を吐く。
「……分からん。まだシュウから意識が戻ったとは言われていないしな」
溜息まじりに吐き出した言葉に、凱斗が首を傾げる。
「シュウさん? 来ているのか?」
「それがあいつの役目だからな」
「役目? どんな?」
「…………あ! 黎、もしかしてシュウは自分の事をちゃんと説明していないのか?」
凱斗を訝し気に見たカイが、得心したように声を上げた。
「何のこと?」
「……確かに、自分の仕事のことは一度も説明していなかったな」
「あ~~……だったら凱斗たちはシュウを怪しい人物だって認定してるんじゃないのか?」
「まあ、そうだろうな」
「……どういう事? ねえカイさん――」
不審そうに眉を寄せる凱斗の肩に手を乗せ、カイはにっこりと笑った。
「凱斗、シュウの発言は柊耶とは別の意味でおかしいと思わなかったか?」
「……まぁ」
「頭が悪そうな印象を持っただろうと、俺にも分かるぞ。でも安心しろ、あいつは頭が悪い訳じゃない。
カイの説明に、凱斗は益々眉間の皺が深くなる。
「ま、仕事中のあいつを見てもらった方が早いな。――行くぞ」
カイに連れられ、凱斗は采希が眠っている部屋に入る。
そこには、眠ったままの采希を覗き込んで聴診器を当てている白衣の男が居た。
「シュウ、どうだ、采希の様子は」
「相変わらず、と言いたかったが……ちょっと不穏な会話が聞こえたぞ」
「――!」
聴診器を耳から外しながらこちらを振り向いたのは、シュウだった。
凱斗が驚きに眼を見開いていると、シュウが笑顔で凱斗に近付いて来る。
「久し振りだな、凱斗。――ん? 俺は医師だと、言っていなかったか?」
凱斗が驚いている理由をその能力で読み取ったシュウが、困惑した表情になる。
「…………言われて、ないっすねぇ」
「そうか、悪かったな。別に隠すつもりではなかったんだが、言いそびれてしまったんだ」
「……本当に、お医者さんなんですか?」
「ああ。だから采希の看病は心配いらないぞ」
例え医師であるシュウが居なかったとしても、ここは朔の一族の本部だ。凱斗に采希を心配する要素はなかった。
「それよりシュウ、不穏な会話ってのは、何だ?」
黎が不機嫌そうな表情を隠そうともせずに尋ねる。
先程唐突に現れて消えた巫女の様子と関連があるのは間違いないだろうと思っていた。
「――采希が誰かと話しているような思考が感じられた。一瞬だったから、その前後の会話も、誰と話しているのかも不明だが」
そこで凱斗は、はたと思い当たる。
シュウの能力は『
「もしかして、相手はあきらちゃん?」
「だろうな。状況からして間違いないだろう。――で? 何て言ってたんだ?」
凱斗の言葉に同意しながら、黎はシュウを睨むように問い質す。
「『俺がお前の役目を引き受ける。俺の身体は多分、もうそんなに長くはないだろうから』と。――黎、采希の身体の精密検査を提案する」
隣でひゅっと息を吸い込む凱斗を安心させるようにそっと肩に手を乗せ、カイが指示を出す。
「すぐに手配する。黎、
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