第94話 勇者志望
「私が
「……」
「『これだから頭の固い大人は……。今は使われていない古いトンネル、まさに異世界への入り口だ。門番までいたのなら、もう確定だ。勇者にしか通れない。だったら――』と言っていたと、隣の席の女子生徒が教えてくれました。その様子がとても不穏だったからと」
真顔で話す
「……担任ではなく、紗矢さんに?」
「はい。私がトンネルの事件の当事者だと、彼女にはバレていたようです。一応、口止めはしてありますが、その男子生徒にも気付かれていたようです」
「何か、言ってきたのか?」
「……『先生だけが無事だったのは、どうしてですか? 先生は勇者の仲間だったってことですか?』と」
「そう来たか」
「采希さん、彼が言ったのはどう言う意味なんですか? 勇者って、何なんですか?」
テーブルの端を指先が白くなるほど握って、紗矢子は采希に身を乗り出す。
「あー、あれだね、小説によくある異世界転移。それを夢見ている子なんだ」
「は? どう言う事? 勇者と異世界転移って、どう繋がるの?」
全く意味が分からない、と言うように紗矢子が亜妃の腕に手を掛ける。
「えっとね、この世界から異世界に転移すると、なぜか『勇者』扱いになって
「どうして?」
「知らない。でもそういう小説が多いとは聞いてる。もれなく魔法やらも強力なのがぶっ放せるらしいよ」
「……」
「で、転移した先はこの世界の中世みたいな文化レベルで、そこには魔力が溢れていて、魔物とかが出る。転移した勇者は現代の知識を持って無双しながらハーレムを築くわけだ」
「亜妃ちゃん、意味わかんない」
「でしょうね。私もよく分からないもの。でも、そういうのを読んでたんじゃないかな。その子、どんな生徒だった?」
亜妃の説明に首を傾げながら、紗矢子はその男子生徒の様子を思い出そうとした。
采希は面白そうに笑みを作りながら聞いている。
「うーん……あんまり目立つ子じゃなかったけど。真面目そうというか、大人しい――」
「紗矢さん、出来れば本音を教えてくれ」
采希に遮られ、紗矢子は少し戸惑う。
ここで率直な感想を言うのは憚られた。
「……」
「言いにくいよな、ごめん」
「……いいえ」
「紗矢さんは接触テレパスだったよな、力を使おうとは思わなかったのか?」
「無闇に使っていい力だとは思っていないので」
「いい答えだ。それで、彼の家族には会ったのか? 心配してたって言ってたけど」
采希の質問に、紗矢子は弾かれたように顔を上げた。
「あ、はい、担任の先生と一緒に訪問させて頂いたので」
「担任と?」
「はい、どうしてもついて来てくれと言われて……」
亜妃がすかさず割り込む。
「その担任の先生って、男の人?」
「そう。亜妃ちゃん、知ってるの?」
何事か言いたげな顔のまま、亜妃は黙って首を横に振る。
采希が亜妃に視線を移すと、小さく肩をすくめてみせた。
「ご家族は、どんな感じだった?」
「それが……」
☆ ☆ ☆
私たちがお邪魔した時は、お母様がいらしたんです。
そこで息子さんがいなくなった時の状況をお聞きしたんですが、特に家庭や学校に対して不満をもらしていた訳ではないそうです。
ただ、この社会に対しては嫌悪感を持っていたようだと仰っていました。
彼が最後に目撃されたのがあのトンネルの方へ向かう道だったそうで、背中に大きめのデイバッグを背負っていたとのことでした。
もう警察にも届けてあるとのことだったので、私たちはそのままお
そしたら、近所に住んでいるという叔母という人が現れました。どうやら、お父様の妹さんらしいです。
彼女は私を見るなり、『あなたが勇者の仲間なの? そんなはずないわよね? もしもそうなら、もうあなたも招かれているはずだもの』と言い放ちました。
お母様は驚いた風に『まだそんな事を言っているの? また怒られるわよ』と仰ったんですが。
「兄さんも義姉さんも、分かっていないのよ。あなた達は光の勢力じゃないから。あの子は分かっていた。だから勇者として異世界に招かれた」
「……そんな話はやめてって言ってるじゃない」
「やめないわ。本当の事だもの。この世界はね、闇の勢力に乗っ取られようとしているの。無駄に
そんな陰謀論があるというのは聞いた事があったのですが、眼の前で大声を上げるその女性の形相は、般若の面のようでした。
「ねえ、あなたでしょ? あの子が言っていた『トンネルの番人から唯一無事に逃げ切った人』って。だったら勇者の仲間じゃなくても、あなたも光の勢力の一員よね。これから先、一緒に闘っていきましょう!」
らんらんと眼を光らせるように詰め寄られ、本当に怖かったです。
連絡先を教えろと言われましたが、今日はスマホを学校に置いて来たと誤魔化しました。
☆ ☆ ☆
紗矢子の話を、亜妃は呆けたように口を開けたまま聞いていた。
その姿に思わず采希が亜妃の顎をそっと下から押さえ、閉じさせる。
慌てて口を閉じた亜妃は、口元をそっと手で押さえながら紗矢子の顔を覗き込んだ。
「その人、本気で言っているの?」
「私はそうだと思ったよ」
「……まだ、若い叔母さんなの?」
「もう40代に手が届くそうだけど」
「……叔母さんの影響でその男子生徒は勇者志望なのかな?」
「いや、本人の資質だろ」
采希は笑いを
「中学生くらいだと、そんな夢も見ると思うぞ。『ここに居る自分は本当の自分じゃない』とか、『ここではない何処かに自分の在るべき場所がある』とかな」
「ここではない何処か……」
「それも16歳になるまでに自分が真の力に目覚める、とか。俺の周りにもいたぞ、『俺には目覚めの時が来るはずだ』って本気で言っている同級生が」
「そうなんですか?」
「まあ、アニメとか小説の世界では高校生くらいまでの少年少女が活躍してたからな。そんな同級生も今ではスーツ着た立派な会社員だけど」
「その叔母さんって人は、大人になり切れなかったって事ですか?」
「どうだろうな。意外と大人になってから何かの切っ掛けで、自分は光の存在だとか、思ったんじゃないか?」
「それって、どんな切っ掛けですか?」
眉を顰めて尋ねる亜妃に同調して答えを求めるように、紗矢子も采希を見つめる。
采希はそれには答えずに、微笑んだまま伝票を手に立ち上がった。
「この依頼、正式に引き受ける。――その少年がどんな環境にいるか分からないから、急いだ方がいいかもな。一応、今の話は
そう言いながら采希がポケットから取り出した紙の形代は、小さな煙を上げて亜妃たちの前から消えていった。
* * * * * *
「神隠しと勇者ねぇ……」
ヘッドフォンを外しながらカイが大きく息を吐く。
采希が持っていたボイスレコーダーのデータを、采希は形代を通して送って来た。
情報部門から転送された音声の内容に訝し気に眉を寄せるカイに、シンは何でもない事のように返す。
「古来から神隠しの伝承は各地に残っている。まあ口減らしを神隠しだと言い張っていた例なんかもあるようだけど。全く別の遠い場所にあり得ない時差で出現したり、何年も経ってから帰って来たのにその間の事を覚えていない、なんてのも見つけたよ」
「この短時間でこの量を検索したのか」
シンがPCから拾って印刷した紙の束を手に、カイは感心したように言った。
「いや、そこにあるのは前に検索していない分だけだね。以前の分は棚のファイルに綴ってあるよ」
シンの指差す先には、先代以前から収集された大量の資料が収められたキャビネットが並んでいた。
そのほとんどはデータ化されて保存してあるが、シンも
「……神隠し事件ってのは、意外と多いんだな」
「うちでも結構扱ってるよ。カイくんの所に案件が回る頃には、ほとんどが誘拐とか失踪だって分かってからだからね」
「あー、そう言うことか。シンの所で調べた後だから」
「そう。関わった事件以外にも、僕と先代が国外の資料まで集めたからね、それを全て見直す時間はないかな。一応、采希くんには参考になりそうな分だけを厳選して見てもらうつもりだけど」
「……厳選したものに目を通したら、何時間かかるんだ?」
「丸一日くらい?」
「…………」
采希の苦労を
「それが可哀想だって思うなら、カイくん、先に目を通して絞り込む?」
「……おう、任せろ」
カイは腹を据えて、シンの隣にあるPCに向かった。
「それが、この資料ですか?」
采希が眼の間を指でぎゅっと押さえたカイに尋ねると、シンが代わりに応えた。
「そうだよ。カイくんが選んでくれたから、この量で済んだけど、どう? 参考になりそう?」
「……都市伝説的なものもありますね」
「うちの組織が直接関わっていない事件は特に調べないからね」
「うーん……空間が歪んだとしか考えられないような事例もあるのか。霊が絡んでそうなのも……」
「そうだね、僕の先代も霊なんかの仕業としか思えないような案件も集めてた。先代当主である黎くんの婆様は、そういう事態にも対応していたらしいね」
「
「僕もそう進言するつもりだったよ」
そう言いながらシンはカイに目薬を差し出した。
その様子を見て苦笑しながら采希はカイに頭を下げる。
「ありがとうございます、カイさん、シンさん。カイさんは、今朝空港に向かったんじゃなかったですか?」
「ああ、ちょっと知り合いの見送りに行っただけだ。お前に話があったんだけど、忙しそうだから後日でいい」
「そうですか。じゃあ、さっさと片付けて来ます」
「いや、急いではいない。あー……、ちょっと健診を受けて欲しくてな」
「健診?」
「お前、最近顔色良くないぞ。うちの部署の女性たちが揃って心配している」
ぽかんとした顔で聞いていた采希が、不思議そうに首を傾げる。
「俺、何ともないですよ」
「そうか? でも健診は受けてくれ。この件が終わったら黎に言って一日空けてもらうから」
「分かりました。では、行ってきます」
「ああ、待て。現場まで
「いや、大丈夫ですよ」
「いいから。たまには陽那も那岐の顔が見たいだろうしな」
カイの気遣いにようやく気付き、采希は素直に頷いた。
今頃は
* * * * * *
「そのトンネルに居たのは何だったんだ?」
陽那の運転するワゴン車に乗り込んだ
「元々はそこに留まっていた地縛霊だと思う。だけど少しずつ良くない念が集まって来て、気付いた時には巨大化してたような感じじゃないかな」
「どうして念が集まって来たんだ?」
「山沿いの街道があった場所だからね、昔は追剥とか多かったらしいよ。あのトンネルが出来た当時の技術だと、開通までにも事故とかあったんじゃないかな。それで『何かが出る』とかいう噂になって、そこを通る人たちが怯えた念を残す。ほんの僅かな気配にも大袈裟に騒ぎ立ててその場に恐怖心を残す人が、たくさんいたんだろうね」
「……そんな事で念は育つのか?」
「シンさんによると、そんな傾向にあるらしい。他にも色々と悪条件が重なったんだろうと思うけど」
そうやって心霊スポットと呼ばれるようになるのか、と凱斗は考えた。
他の悪条件とは何だろうと思っていると、采希が小さく声を上げ、舌打ちする。
「采希?」
「……何で、居るんだ」
困ったように眼を伏せる采希の視線の先には、見覚えのある車が止まっていた。
その車から
「あ? 陸玖くんと亜妃ちゃん? あの女の人は誰だ?」
采希がむっとした顔で榛冴を見ると、榛冴も驚いたように彼らを見ていた。
「……采希兄さんが呼んだ、んじゃないのか。どうして陸玖くんまでここに?」
陽那が陸玖の車の隣にワゴン車を停止させると、真っ先に榛冴が車から降りた。
「陸玖くん、どうしてここに居るの?」
「僕は来たくなかったんだけど。姫君たちのたっての願いでね、送って来た」
榛冴が声を張り上げそうになっていると、采希がすっと榛冴の前に立つ。
「じゃあ、彼女たちをうちまで送ってあげてくれ。ここに居るのは許可出来ない」
采希が静かな声で陸玖たちを見渡しながら言った。
困ったように振り返った陸玖の視線を受けて、紗矢子が采希の前に出る。
「私には依頼した責任があると思うので――」
「ないよ、そんな責任は」
紗矢子の言葉を遮り、采希は陸玖たちから目を逸らした。
その視線は通れないように入り口にバリケードが設置されたトンネルの方を見る。
「俺が、どうしてこいつらを全員連れて来たと思う? 何が起こるか分からないからだ。紗矢さんたちがここに居たら、俺には護り切れないかもしれない」
「……」
「依頼者を危ない目に遭わせる訳にはいかない。理解してもらえると嬉しいんだけど」
紗矢子が唇を噛んで俯き、亜妃はその肩にそっと手を乗せた。
「采希さん、お願いします。あのトンネルには絶対に近付かないって約束します。ここで待たせてもらえませんか?」
「亜妃、ここで待つ意味があるのか? 終わったらすぐに連絡する。それじゃ駄目なのか?」
口を開きかけた亜妃を見つめる采希の隣に、
その視線に気付いた紗矢子が小さく声を上げた。
「……やっぱり、君だったか。俺を覚えているだろうか?」
控えめな笑顔を作る琉斗に、采希は怪訝そうに眉を寄せた。
「琉斗、紗矢さんを知って……あ、お前も桜の伐採には同行したんだったな」
「ああ。でもその時だけじゃない、もう一度会ってる。――そうか、紗矢さんというのか」
「あの……すみません、お互い名乗っていませんでしたね。私は、紗矢子です」
「琉斗だ。榛冴の兄で、采希とは従兄弟にあたる。そこにいるのが俺の双子の兄、凱斗だ。榛冴と那岐から先日の話は聞いていて、ぜひもう一度会いたいと思っていたんだ」
俯きがちに話す琉斗の様子が普段と違うことに、采希はようやく気付いた。
こんなに緊張した琉斗は久しぶりに見た、と思わず苦笑する。
ワゴン車からなにやら機材を持ち出して来た陽那が、采希の傍に次々と設置し始める。
「陽那、これは?」
「カイさんとシンさんから預かって来ました。多分、依頼者は現場に来たがるだろうから、その時はこれを使えと」
「……は?」
「霊体を捕らえるレーダー類です。それと、黎さんからここに結界を張るように指示されました。紗矢子さん、亜妃さん、絶対に私の張った結界から出ないと約束してくれますよね?」
陽那がにっこり笑うと、亜妃はその意図に気付いて大きく頷いた。
陽那が自分たちがこの場に居られるよう、気遣ってくれたのが嬉しかった。
「もちろんです」
これでどうですか、と言わんばかりの陽那たちの視線を受け、采希は天を仰いで大きく息を吐く。
「お前ら、手を組むのが速いな。……仕方ない。那岐、結界はお前が張ってくれ。榛冴、結界の内部を不可視にできるな?」
「不可視に?」
「厄介な人に見つかったら騒がれそうだからな」
軽く頭を掻きながら采希は諦めたような顔で那岐と榛冴に指示をだす。
亜妃と紗矢子が顔を見合わせて笑顔になった。
「陽那、瀧夜叉は連れて行く。だからお前も結界から動くなよ」
「はい」
「ところで、なんで荷物の中にキャンプ用のコンロがあるんだ?」
「采希さんたちが戻って来たら、温かい珈琲をすぐにお出し出来るようにと」
腕組みしたまま横目で見つめる采希に、陽那は
おそらくカイあたりの入れ知恵だろうと思いつつ、采希はトンネルの近くまで行って戻って来た
「那岐、どうだ?」
「間違いないと思う。男の子がバリケードを越えて行った気配が残っている」
唇を噛みしめてトンネルの方を睨む紗矢子に、琉斗が手を差し出し掛けて止めた。
その様子を何とはなしに眺めていた采希は、ふと気付いた。
(あー、そういう……)
含み笑いしそうになる顔を引き締め、采希は凱斗たちに告げた。
「出来れば日暮れ前には戻りたい。――行けるか?」
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