第75話 夢の幻影
ゆっくりと、
手の平を合わせた二人の身体が徐々に柔らかな光を放っていく。
交霊術で呼び出されたままこの場に繋ぎ止められていた霊たちがざわざわと動き出す。
その真ん中にいる采希や那岐は陽那よりもはっきりと視えているだろうに、怖くはないのかと思った。
(うまく、いくんだろうか? もし失敗したら……)
「怖いか?」
無精ひげを撫でながら
「正直、かなり怖いです。でも……怯えるだけでみすみす邪霊に飲み込まれるのはごめんですから」
陽那にふっと笑ってみせ、黎は采希に声を掛けた。
「采希、ガイアに地中にいる念やらを全て追い出させろ。俺が結界を強化するから遠慮はいらねぇ。――来るぞ」
眼を閉じた采希と那岐の身体が、強い光で包まれる。
「おん あみり たてい ぜい から うん」
「おん さん ざん ざん さく そわか」
二人が同時に真言を唱える。
その瞬間、一斉に霊たちが二人に引き寄せられるように集まった。
「凱斗! 隙間だらけだ! もっと綿密にだな――」
「うっせーよ! わーってる!」
双子の放った気が、采希と那岐を包み込む。
邪気を払うその気に弾かれ、行き場を失った悪意の念を、黎と白狼、そして三郎が迎え撃つ。
邪念や邪霊はどんどん増え、なのに黎は涼しい顔で左手でホールドした右手から気の弾丸を打ち続けていた。
双子の邪を寄せ付けない【気】の網を潜り抜けた霊たちが、采希と那岐によって昇華させられていくのが陽那には視えた。
わずかに虹色を放つその光は、柔らかく、暖かい気で満ちている。
その中に小さな光を見つけ、采希はすかさず手を伸ばした。
采希と那岐の頭上には、那岐の守護となった朱雀が大きく翼を広げていた。
炎駒と黎の大きな結界の中、全体が浄化の光に満たされていく。
「――采希、すげぇな。封印が全部が解除された訳じゃないのに、これだけの霊を昇華させるのか?」
邪念をあらかた片付けた黎が
「采希兄さんと那岐兄さんはお互いの力を増幅させるらしいので、その効果だと思いますよ。それに――」
ふと、榛冴が後ろでにこにこと成り行きを見守っているミシェールに眼を留める。
「――これ、あきらちゃんの力が加わっていますね。……でしょ? えっと、シェリーさん?」
彼女が意味あり気に微笑むのを見て、榛冴は笑みを浮かべた。
天上の音楽が響いてきそうな光の中、采希と那岐が笑っている。昇華していく魂たちを見送っているように見えた。
「そろそろ、行く?」
榛冴が小さなオルゴールの箱に向かって問い掛ける。
《我らも……ゆけるだろうか?》
ぼんやりと浮かび上がったたくさんの影から、隠密衆の大将らしき者が前に進み出る。
腕組みしながら控えていた三郎がふっと鼻で笑った。
《試してみるがよかろう。今の貴様らであれば、あの光も受け入れようぞ》
《お館さま……お許し頂けるのであれば、今一度――》
《不要じゃ。さっさと輪廻に戻るがよかろう》
冷たい物言いに聞こえるが、三郎の眼は優しい光を湛えているのを榛冴は知っていた。
(身内には優しそうだよねぇ)
「行けるよ。采希兄さんと那岐兄さんなら、あなたたちを昇華してくれる。そのためにずっと僕の傍に置いていたんだから」
榛冴が笑顔で後押しする。隠密衆の収納された小箱を、榛冴は采希の指示で肌身離さず持ち歩いていた。
無言で頭を下げた隠密の頭が、徐々に消えていく。光の粒子になって天に昇り、榛冴が開けた小箱から次々と同じように光が飛び出して行った。
「……三郎さん、よかったんですか? あの人、三郎さんを慕って傍に仕えたかったようですけど」
《この世では無用であろう。天下を取るでもなし。采希がその気になって、お前たちが天下を取るのを見届けるのも悪くはないがな》
榛冴は思わず吹き出す。
「それは諦めてもらうしかないですねぇ。采希兄さんはそんな事に全く興味がないので」
《――巫女と同様にな》
さも可笑しそうに笑うこの武将に、榛冴は何となく好意を抱いた。それでもまだ、彼が怖い事には変わりはなかった。
「――終わったようだな」
黎のほっとしたような声に、榛冴も思わず安堵の息を漏らした。
徐々に光が収まっていく采希と那岐に、双子が飛び付くように駆け寄った。榛冴と陽那も、みんなの元に走り出した。
* * * * * *
一階の東棟で、采希は隣り合った二つの部屋の扉を開け放つ。
どこかに隠された部屋があるはずと、黎と目星を付けていた。
これまでの騒動の根本的な原因がその部屋にあると推察した采希たちは翌日、再び屋敷を訪れていた。
「外と中からそれぞれ確認したら、どの辺りに隠し部屋があるかすぐに分かるんじゃないか?」
シュウの言葉に黎が呆れたように天を仰ぐ。
「んなこた分かってる。とうに位置は確認済だ。問題は、どうやってその隠し部屋に入るかだって――お前、人の話を少しは聞いていろ」
しゅんとしょげるシュウを、琉斗が気の毒そうに眺めている。人ごとのように見ている琉斗に、采希は苦笑した。
(お前も人の話は聞けよ、琉斗。人に同情している場合じゃないからな)
外で確認していた凱斗と那岐が合流するのを待って、部屋が隠されていると思われる場所の左右の部屋の捜索が始まった。
手前の部室には采希と琉斗、そして黎とシュウ。反対側には凱斗、那岐、榛冴、陽那が捜索に当たった。
「どこかに仕掛けがある、ってのが定番なんだろうが……こっちにはいかにもな感じの作り付けの本棚があるしな」
「黎さん、どれか本を押すとスイッチが入ると俺は睨んでいるんだが、どうだろう?」
琉斗が勝ち誇ったような笑顔で黎に手を差し出す。
「……琉斗……お前、ベタすぎだろ」
采希は無表情で『頭、悪すぎだ』と言いたいところを耐えた。
(――さて、どうやったら開いてくれるんだ?)
琉斗は相手にしない事にして、采希は天井まできっちりと作られた本棚を見上げる。
中が部屋になっているなら、換気は必要なはず。
采希はそっと眼を閉じて、微かな風の動きを感じ取る。
手を翳しながらゆっくりと本棚に沿って移動すると、風が出ている僅かな隙間を見つけた。
眼を開けてみるが、いくつかある本棚の継ぎ目と同様、ぴったりと木が組み合わさっていて、見た目には全く分からない。
「――采希? 見つけたか?」
「黎さん、多分、ここです。でも隙間があるようにも見えないし、床も天井も――継ぎ目一つないように見えますね」
「本棚の部分だけが動くようにしてあるのかもな。采希は鍵開けも出来るんだろう? 鍵の仕掛けが視えたりしないしないのか?」
期待に満ちた黎に、采希は小さく溜息をつく。
「どうやら、普通の鍵のように開く感じではないみたいですね」
「だったら、どうやって動くんだ?」
シュウがさも不思議そうに首を傾げる。琉斗も同じような表情で同じ動きをしていた。
「もしかしたら、ですけど。パズルみたいに動かす仕掛けがあって、正解だと動くようになっているんじゃないかって」
黎の表情が固まる。ゆっくりと眼を瞬いて、采希の眼を覗き込んだ。
「……采希、お前には何が視える?」
「よくは視えないですけど……多分、小さな歯車や滑車のような物がたくさん……ちょうどこの本棚の後ろ一面くらいの仕掛けのような物がありますね」
「歯車と滑車……?」
黎が口元に拳を当てて考え込む。ふと顔を上げると、本棚の方に向かって叫んだ。
「陽那! そっちの壁の模様を確認しながら、榛冴に壁の中を視てもらってくれ!」
微かな音を立てて、本棚が壁の奥に移動してそのまま横にズレて行く。
人ひとりがやっと通れるような隙間が出現し、本棚はその動きを止めた。
感心したように眺めていた采希が呟く。
「隣の部屋の壁自体が寄せ木細工みたいなカラクリになっていたんですか?」
「ああ。陽那が得意で助かったな」
まさか入り口はこちら側で、スイッチが反対側の部屋にあるとは思いもしなかった。
隣の部屋の壁の模様が妙な感じに途切れているのを思い出した黎の功績だった。
「ま、秘密の部屋だろうし、入口の仕組みは隠しておきたいって意図だろうな」
「あー……なるほど」
部屋の中に入って見ると、真ん中には洋風の丸いテーブルがあり、その周りと壁際にいくつもの椅子が並んでいる。
テーブルの上にはいかにもアンティークな燭台が置かれていた。琉斗が采希の腕をきゅっと掴む。
「随分とシンプルな部屋だな。電気もないようだが」
「交霊術のための部屋だからな。ろうそくの灯りだけの方が雰囲気が出るからじゃないか?」
「ろうそく……それだと、かなり怖いんじゃないかと思うんだが……」
「それが演出効果ってもんだろ」
懐中電灯を顔の下から照らして近付く凱斗を心底嫌そうに睨みつけた琉斗に笑いながら、那岐がビスクドールをテーブルの上に置いた。
采希が魂喰いの中から拾い上げた欠片と浄化の途中で采希と那岐が見つけた欠片たちを人形の中に移した。
「――リズ?」
那岐の声に、人形が小さく身震いする。
那岐が手をかざすと、ぼんやりと金の巻き毛の女の子の姿が浮かび上がった。淡い色の眼が那岐を、そして采希を見つめる。
《ドルイド?》
「いや、君のドルイドは今は眠っている。俺はドルイドの友達だ。君をここから助けるために来たんだ」
「リズ、君は、この部屋で亡くなったんだね?」
少女が哀しそうに微笑む。
まだ幼いのに、大人たちによって降霊の器にされた少女。繰り返される降霊の負担に耐えられず、幼い身体は衰弱した。
ある日、降霊された衝撃で少女の呼吸は止まる。その身に降りた霊は周囲に邪気を振りまき、やがて屋敷からは全ての人が引き上げた。
略式で供養されることになった少女は、天に還る事ができなかった。
その魂は、未熟な術師のせいでこの場に留まるしかなかった霊たちに、やがて取り込まれてしまった。
最初はあの魂喰いに、そしてそのほかの降霊された霊たちに。
少女の類稀な力のせいで全て取り込まれることなく、その度に魂の一部を切り離して逃げまどい、最後は潜んでいた人形の中で隠密衆に飲み込まれた。
人形を手にした那岐がそれに気付き、魂の欠片たちが那岐の手から今、少女に戻された。
このままではこの少女は再び意図せず霊を呼び寄せてしまう。
この隠し部屋は、おそらく生前の少女が最後に居た場所なのだろうと采希は思っていた。なのでここを浄化の場に選んだ。
少女の表情が明るい笑顔になる。
《ドルイドの友達、私を集めてくれてありがとう。あなたも……私を戻してくれてありがとう》
那岐と采希は人形ではなく少女――リズに両手を翳す。
きらきらと細かい光になって彼女が消えて行った。
「…………終わった、のか?」
怯えたような声に振り返ると、黎の後ろからシュウが顔を半分覗かせている。その隣に立つ榛冴の後ろには、シュウと同じ様子の琉斗がいた。
「……お前ら……」
「だって、黎! 俺にまで視えて……あんな半分透けてるとか、まるで幽――」
自分で言っておいて、シュウが大きく身震いする。
「――で? 琉斗兄さんは何なの?」
黎と同様に呆れ顔の榛冴が琉斗を見降ろす。
「……いや、俺は……その……」
「琉斗ぉ! なになに? お前、怖かったのか?」
「凱斗兄さん……凱斗兄さんも硬直してたくせに。ほら、冷や汗の痕が――」
「いやいやいや、榛冴、見間違いじゃね? 俺は別に――」
『うるさいな』と采希は呟く。
凱斗一人でもうるさくて仕方ないのに、今日はさらに増えている。
騒ぎながら屋敷の入口に向かう背中を眺めながら、自然と笑いがこみ上げてきた。
「采希兄さん、楽しそう」
「……そうだな、那岐。みんながいて、いいな」
いつもの笑顔でにっこりと笑う那岐が采希の肩に手を乗せる。
「楽しいねぇ。ずっと、このまま居られたらいいね」
――その夜。
陽那を送り届けた後は全員で黎の家に戻り、当然のように宴会が始まった。みんな疲れているだろうに、誰一人休もうとしなかった。
采希はほろ酔いの顔を冷まそうと、そっと外にでて屋敷裏の
《采希さん、お疲れではないのですか?》
「お前もな、琥珀。お前が俺の中に入ってくれたおかげで浄化の力が大きくなった。――感謝してる」
《では、凱斗さんのおかげですね》
「それ、絶対凱斗には言うなよ。調子に乗るから」
頭上から、くすくすと笑う気配がした。
采希が何気なく顔を上げると――
「……あきら」
采希が初めて出会った頃の巫女がいた。
隣には、子供の頃の采希の姿があった。
二人で顔を見合わせて笑い合い、駆け出す。
楽しそうに、はしゃぎながら。
走りながら、巫女が手を伸ばす。
そのまま背中に体当たりして、驚いたように振り返ったその顔は、巫女を認めて破顔する。
(――俺? ……いや、黎さんか。びっくりした。――なるほど、似てる……かも。今の俺と同じ位の年齢かな)
ちょっと困ったように笑いながら、飛び付く巫女を受け止める。その後ろから子供の姿の采希もぎゅっと抱き着いた。
「――これは……何だ?」
琉斗の声に黎が応える。
「あきらの見ている、夢……だろうな」
「夢……?」
「まだ、微睡んだままだと琥珀が言っていたからな。――おそらくは」
いつの間にか采希の後ろに琉斗と黎、シュウが立っていた。
「采希は、こんな小さな頃から黎に出会っていたのか?」
「いえ、会っていないですね」
「だから、あきらの夢だって言ってるだろ」
「……とても幸せそうだ」
琉斗が小さく呟く。
(――そうだな、本当に幸せそうだ。この頃のあきらの笑顔を俺は見ていなかったから)
なのに、とても切ない気持ちになるのはどうしてだろう、と采希は思った。
「采希と出会った事があきらにとって、とても幸せな出来事だったんだろうな。――この頃のあきらは、もうかなりの数の依頼をこなしていて、ろくに友達も作れなかったから」
たった一度出会っただけの、采希とのあんな些細な出会いがそんなに印象深かったのか、と考え、思わず喉が詰まりそうになる。
(どんな子供時代を過ごしたんだ?)
もっと、色んな事を話せばよかった。もっと早く、友達に……ああ、自分はこの後すぐに記憶を封じられたんだ、と思い返す。
「時々、俺の八咫烏の千里眼を借りてお前の記憶が戻っていないか、危険な目に遭っていないかを確認していたぞ」
黎の声を聞きながら、采希はそっと眼を閉じる。
普通の子供として過ごす事も叶わず、今は理不尽な呪いにその身を囚われている。
無意識に鼻を啜り上げた。
肩に僅かな重みと温もりを感じて眼を開ける。
「采希……あきらを、早く助けてやろう。俺に人の念が効かないのなら、俺の力が役に立つんじゃないかと思うんだが」
自分も眼を赤くしながら采希の肩に手を乗せていた琉斗が、反対の手で鼻の辺りを拭う。
「……そうだな」
「だったら、まずは自分の意思で覚醒できるようにしないとな」
黎の笑い含みの声に琉斗が小さく溜息をつく。
いつものように『大丈夫だ、任せてくれ!』と豪語しなかった事に気付いた采希は、ちょっと眉を上げる。
「黎さん、俺、一旦家に帰ろうと思います。家からここに通おうと思うんですけど……」
「いいぞ。かなりコントロールできるようになったみたいだしな。何よりお前らが全員揃っていると力のバランスが絶妙だ。――ま、たまには顔を見せに来い」
巫女の幻影を眺めながら、黎は采希の方を見ずに言った。
巫女を見つめる寂しそうな横顔を見て、采希はきゅっと拳に力を込めた。
目の前の幻が薄らいで、やがて消えた。
(――あきら……待ってろ)
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