第34話 封印の鍵

 琉斗りゅうとの魂を追うと決めた後、気付くと采希さいきの傍に横たわった琉斗は穏やかな寝息を立てていた。その間の記憶はない。

 安堵する采希に、少女は困惑しながら頭を下げた。


「ごめんなさい。君を巻き込んだせいで、君の力が――」

「え?」

「力が、制御できなくなったんだ。このままだと君自身が危険だから、力を封印させてもらった。――君の意思も確認しないで、ごめんなさい」

「制御、って? それはもう僕には力が使えないってこと?」

「そう。本当にごめ――」

「構わないよ」


 少女の言葉を途中で切り、采希は笑う。


「怖いモノを視るのは、本当は嫌なんだ。でも、何かあった時にみんなを護れないのは――ちょっと困るかも」

「俺が! ――いや、私が助ける。君たちに何かあったら、私が助ける。約束する」


 強い意思の宿った眼で見つめられ、采希は困惑した。

 自分と同じくらいの少女に助けてもらうのはどうかと、幼いながらもそう思った。


《では我が、お前に手を貸すと約束しよう。それならば、どうだ?》


 空を覆う龍が采希に言った。采希は呆けたように龍を見て、少女に視線を戻す。


「……龍の、力?」

「ナーガ、俺が助けたいんだ。余計な手出しは――」

《白虎のあるじ矜持プライドも考えろ、宮守の巫女》


 龍の一言で少女が黙り込む。采希はもう一度龍を見上げた。


「白虎の、何? 何のこと?」

《お前の守護に、四神の白虎がついている。采希、お前は白虎を従える主だ》


 言われた意味が分からず、采希は困って俯いてしまった。


《いずれ、理解もできよう。お前が記憶の一部を取り戻したなら、再びこの地に参るがよい。その時は、我も守護となろう》


 悠然と言い放ち、龍の姿が消えていった。

 采希は顔を引き攣らせたまま、少女に尋ねた。


「龍の力って、人間が使ってもいいものなの?」

「使う……? ああ、そうか、普通はそうなるか。うちではナーガ――あの龍の力を代々お借りしているぞ。『使役するのではなく、助力を願うんだ』とれいさんは言っていた」


 知らない名前が出て来て、采希は首を傾げる。


「あ、黎さんというのは叔父なんだ。凄い人なんだぞ。ナーガはうちの先祖からずっと護って頂いているんだから、今さら君が増えたくらい何でもないと思う」


 笑顔で告げる少女を見ながら、采希はずっと気に掛かっていた疑問を口にする。


「僕の力は変質した。じゃあ、君の力は?」




 采希はゆっくりと記憶を手繰たぐる。


 結界の外で待ち受けていた光の女性から、采希は巫女が失ったものの大きさを教えられた。

 本人が口に出す事を渋ったので、傍にいた彼女に聞いてみたらあっさりと教えてくれた。


 少女は類稀たぐいまれな予知能力を持った家系に産まれ、その力は誰にでも現れる訳ではなく、彼女の前は三代続けて顕現していなかった。

 やっと彼女に力の片鱗を確認でき喜んだのもつかの間、その力が今、失われた。

 項垂れる女性に、少女はいつか自分の子孫に力を持つ者が現れるまで待てと言い放ったが、光の女性が苦しそうに告げた。


 ――血脈は、途切れかけている、と。




 そこまで思い出して采希は巫女の方を見る。

 采希の考えを見透かすように、腰に片手を当てて采希の様子を微笑みながら見ていた。


「血脈が途切れるって、どういう意味だ?」

「そのままだ。先見の力の血筋は私で終わる」

「…………」

「だが、元々うちは先見の力を生業なりわいにしていた訳ではないからな。問題はない」

「元々の、仕事?」

「ああ。うちは普通に除霊などを請け負っている。先見の力はそうそう顕現けんげんしないからな、それではすぐに廃業してしまうだろう?」


 滅多に現れない能力であればそうなんだろう、と采希は納得した。

 除霊に『普通』という言葉が当てはまるのかははなはだ疑問だったが、そこは敢えて聞き流すことにした。

 首を傾げている采希の隣で、琉斗が巫女に向かって一歩を踏み出した。


「巫女、すまない。俺を助けてくれたせいで、大切な力を失わせてしまった」


 これ以上はない程に頭を下げる。そんな琉斗に巫女は、何でもない、と言うように微笑んだ。


「先見の力など無くても、それが普通だ。気にする程のことじゃない。それより、采希、思い出したのなら封印はどうする?」


 巫女が面白そうに采希に尋ねる。どんな答えが返ってくるのかを楽しみにしているような、そんな表情だった。

 そう言えばそんな事も言ったっけな、と思い出しながら、采希もにやりと笑う。


「……まだ死にたくないからな。保留ってことで」


 彼女がちょっと眼を見開いて、意外そうに笑った。

 采希は再び、天を仰ぐ。

 自分の守護を申し出てくれた、空の龍。計り知れないその力に、一縷の望みを掛けてみる。


「ナーガ、俺の守護をしてくれるより、お願いがあるんだ。こいつ――琉斗に俺の力を分けて欲しい。せめて自分の身を護れるように、って――思っていてですね、どうかお願いしたいのですが」

《……今さら言葉遣いを変えずともよいぞ。その程度で不敬とは思わぬ》

「……はい、すみません」


 言われてみれば、巫女の対応は酷かったような気がした。


《魂を掬い上げた影響であろうが、お前の力は常にほんの少しずつ琉斗に流れ込んでいる。眷属を使役するためには足りないが、その時は気を交わして大量に流してやれば良い》

「……だから、その気を練り上げる事が問題なんで。俺、あまり得意じゃないみたいなんですよ」

《――精進しろ》

「…………はい」


 巫女がいきなり吹き出した。

 ここで笑うという事は、今までの采希の逡巡や無駄な努力や経緯は完全にバレている、と言う事だろうと思った。

 まあ、今さらだ、と采希は開き直る。


「ナーガ、人間はお前たちと違って、そう簡単に気を扱えないものなんだ。ただ精進しろと言われても困るだけだぞ」


 彼女が引きつるように笑いながら龍にお願いしてくれた。


《ならば、宮守の巫女、お主が教示すればよかろう》

「うっ――――」


 呻きながら巫女が苦し気に身悶えする。


「あ、いや、嫌なら俺は無理にとは――」

「違う! 違うんだ、そうじゃない、ただ――俺は『教える』という行為がだな、その……苦手なんだ」


 あまりにも予想外なその告白に、采希の頬の片方が上に引き攣れる。


「……マジですか」

「悪かったな。言っておくが、教えるというのは難しいんだぞ。笑っているが、お前だって苦手だろう?」

「仰せの通りです、巫女殿」


 ふと巫女が遠くを見るような眼をした。


「黎さんなら――」

「え?」

「いや、何でもない。――ところでナーガ、一つ提案だ。采希が失った制御の力のような能力を、琉斗に与えることは可能か?」


 巫女の提案とやらがあまりに突飛で、思わず采希は眼を見開いた。


《可能だ。しかしそれでは采希が力を使う場面では、常に琉斗が同行する必要が出てくるが》

「構わない! 龍神殿、俺にその力を与えてくれないだろうか? その力があれば、俺は采希と共に闘うことが出来る」


 勢い込んで言う琉斗に驚き、采希は思わず琉斗の肩を引く。


「おい、待て! そしたらお前は俺の行動に束縛っていうか、翻弄されることになるんだぞ?」

「ああ、承知の上だ」

「『承知の上』じゃなくて! 常にお前とつるむとか、勘弁しろよ。那岐ならいざ知らず、常時お前を庇ったままとか――」

「そうならないように、龍神に力を与えてもらうんだろう?」

「…………あれ? そう、なのか?」


 妙に意思のこもった眼で見つめ返され、采希は言葉に詰まる。


「いつだったか、俺にお前の危機を感じ取れたたことがあったな。あの時は離れた場所でお前を心配しながらじりじりと待つのは嫌だと願った。だからお前の身に迫った危険が分かったのだろうと思っていたが、俺たちの魂は繋がっていたんだな」


 采希の肩に手を乗せ、琉斗が嬉しそうに笑う。


「お前に分けてもらった命だ」


 采希は大きく息を吐いて額を手で押さえる。


「お前の好きそうな設定シチュエーションだよな。でも俺は、嫌いなんだ。――運命とかカルマとか、そういうのは」


 巫女が小さく頷いたのを、采希は視界の隅で捉えていた。




《では、琉斗、用意はいいか?》

「ああ。よろしくお願いする」


 龍に応えるなり、琉斗の身体が光を纏う。采希の身体から引き出される力を、龍が琉斗の身体に纏わせていく。

 淡く虹色に輝くその光を眺めながら采希は呟いた。


「こんなに綺麗な光なのに、俺の力は邪気に好まれるのか……」


 采希の呟きを拾い上げ、巫女が説明してくれた。


「いや、邪気に好まれるのはそれが純粋で無垢な力だからだ。例えば凱斗かいとの力は強烈に【聖】だから魔のモノには取り込むことが出来ない。でもお前の力は純粋で無垢な力だから、取り込みたいと思われてしまう。那岐なぎもそうだが、あいつは自分の身を護るすべを知っているからな」

「はい、すみません。……以前、琉斗に管狐くだぎつねを持たせようとしたら狐に嫌がられたんだけど?」

「それは単純に相性の問題だな。お前は平気だったんだろう?」

「どっちかってーと、懐かれてるな」

「そういう事だ」


 邪霊やら邪念には好かれるのに、神様の遣いに嫌われる琉斗を気の毒に思ってしまった。


「具体的に、どんな風に琉斗が俺の力を制御するのか、聞いていいか?」


 横目で采希を見た巫女が、悪戯っぽく笑う。


「それは、自分で確認するんだな。お前の義務だろう」

「……そうですね。じゃ、ついでにもう一つ。巫女殿はいつもそんな喋り方してんのか?」


 さりげなく聞いたつもりだったが、巫女がぴくりと反応した。


「すまない、不愉快だったか?」

「……いや、あー、うん、女の人には珍しいかなーと」

「人外のモノと接する機会が多いものでな。曾祖母の生前の話し方が身についてしまっている。すまないな」


 慌てて首を横に振る。

 責めたつもりではなく、彼女の雰囲気にあまりに馴染んだ話し方だったからだという事をどうやって伝えようかと采希は迷う。


「采希!」


 不意に琉斗に呼ばれ、我に返った。


「どうだろう、どこか変わっているか?」


 琉斗が嬉しそうに両手を広げてみせるが、見た目は全く変化がない。

 采希が正直にそう告げると、あからさまにがっかりした顔をされた。


「なんだよ、どうなりたかったんだ?」

「そうだな、身体のどこかに紋章が刻まれる、とか?」

「SFの見過ぎ」

「采希のように、眼が別の色になったり」

「あ~、いつも通りだな」

「力が発動したら変わるんだろうか? 髪の毛が長くなったりとか」

「――漫画じゃないんだから」


《まだ采希の力と馴染むように気を整えただけだ。そう変わるはずもない》

「――では、どう使えばいいんだ?」


 采希たちの会話を笑いながら聞いていた巫女が、すっと手を上げた。


「じゃあ、琉斗の準備が出来たところで、采希、今度はお前の番だ。お前は封印をどうしたい? お前の意思にまかせる。このままでいいなら――」

「巫女、待ってくれ。その前に――采希は封印が無くても大丈夫なのか? もう二度と死にかけたりしないんだな?」


 琉斗が巫女の言葉を制して念を押す。


「それは、制御装置がどれだけ采希を抑止できるかに掛かっている」

「それなら心配ない。俺が采希を護るからな」

「随分な自信だが、その力の使い方は知ってるのか?」

「大丈夫だ。これから覚える」

「……道のりは長そうだな」

「そのことなんですが、ちょっといいですか?」


 あまり気の合わなさそうな二人の会話に呆れながら、采希は勇気を出して割り込む。

 今は、采希の封印の話だったはず。なのに何故か、二人に軽く睨まれた。


「俺の力、もう一度封印し直すことはできるか?」

「はぁ?!」


 琉斗に、大きな声で返される。


「どういうことだ、采希?!」

「本当にそれでいいんだな?」


 ――ああ、そうか、と采希は腑に落ちた。巫女の乱暴に聞こえる話し方に違和感のない理由が分かった。

『この二人の話し方って似てるんだ』そう考えて、思わず笑ってしまう。


「俺は正直、琉斗の制御する力がどんな風に発動するか不安だしな。少なくとも暴走したり死にかけたりしない程度に封印できれば、って思ったんだけど」


 巫女が納得したように頷く傍ら、琉斗はいかにもがっかりした顔をする。


「……俺は采希に信頼されていないのか?」

「そうじゃねぇよ。話の流れから推測すると、俺の封印をどうするかで琉斗の仕様スペックを変えるつもりなんだろ?」

「そうなのか?」

「……言ってなかったか?」

《伝えておらんぞ、巫女》

「「「…………」」」


 何とも言えない表情で見つめ合ってしまう三人に、頭上から声が掛かる。


《では、采希の封印を施す方向で、琉斗には早急に力に慣れてもらおう。采希、琉斗を眠らせてくれるか?》

「え? あー、よく分からないけど……はい」


 采希が琉斗の顔の前に右手をかざす。ぱちりと指を鳴らすと、琉斗の身体が崩れ落ちた。

 慌てて支えるが、かなり重い。


「くっそ、重てぇんだよ!」


 巫女が笑って采希たちの方に手を差し出すと、琉斗の身体がふわりと浮き上がった。

 そのままゆっくりと地面から浮いた状態で横たえられた。


「……力に慣れてもらうって、何だ?」

「ああ」


 巫女が琉斗から少し離れた所に座り込む。

 自分の隣を指差すので、采希は実体ではない彼女の隣に膝を抱えて座った。


「采希は力を使う時に『どうやって使うか』とか、あまり意識してないだろ? それは元々自分が持っている力だから、どうすれば使えるのか身体が分かっているんだ。例えば……そうだな、采希は歩くのに特に『右足出して、着地したら体重移動して左足の踵上げて……』とか考えていないだろう。ロボットに二足歩行させるのに、どれだけのコマンドが必要か、知っているか?」

「……納得しました」


 要は、力を使うためのプログラミングをされてるようなものか、と思った。



「紅蓮、来なさい」


 巫女の声に、琉斗のバングルが強い光を放つ。

 光を纏ったままの紅蓮が、巫女の前に神妙な面持ちで現れた。


「使い手の仕様が変わるからな、お前も少し修正する。……おぉ、予想より成長してるな。采希、子育てに向いてるんじゃないか?」


 笑顔のまま巫女が紅蓮に手をかざすのをじっと見ていると、紅蓮が纏う光が一段と強くなり、光の中にいた紅蓮が少し大人びた姿に変わった。



「では、次は采希だ。一度封印を完全に消して、組み直すから――ちょっと苦しいかもしれない。大丈夫か?」


 采希は黙って頷く。

 巫女が一旦立ち上がり、采希の前に膝を付いた。その眼はあの日のように金を帯びたオレンジ色に変わっている。互いの額を合わせるが、巫女は実体ではないので何の感触もない。

 それでも強烈な光が額から伝わるのが、采希には分かった。


 采希の中の何かが開放されていくような気がした。

 同時に周りのありとあらゆる気配が濃厚に采希に襲い掛かって来るように感じた。――一瞬、恐怖を覚えて身体が硬直する。


「大丈夫だ。落ち着け」


 巫女の言葉に、采希は『大丈夫』と何度も自分に言い聞かせる。

 ふっと周囲の濃厚な気配が消え、光が弱まったのを感じて眼を開ける。気のせいか、さっきより巫女の姿が透明になっている。


「封印は二重にしてある。最初の鍵は、琉斗だ。あいつとお前、二人の意思で外すことが出来る。一部の力は封印していないからな、出来ればその力だけで対応して欲しい所だが」


 無理だろうな、という言葉を飲み込んでくれたのが采希にも分かった。


「やっぱり、琉斗か。――那岐なぎじゃダメなのか? 琉斗は制御だけでいいだろ」

「那岐に鍵を預けたら、あいつは絶対に解除しないぞ。お前に無茶をさせまいとするだろう。琉斗ならお前の意思を尊重するはずだ」

「……」


 なるほど、と思いながらも采希の眉はぎゅっと寄ってしまう。


「余計な事を、って顔だな」

「いーえ、そんな事はないですけど」

「顔に出てるぞ」

「……もう一つの鍵は?」

「ここだ」


 巫女が自分の胸の辺りを親指で差す。


「万が一、琉斗が意識を失ったり、どうしても封印を解除したい時は呼べ。シェンを遣いに寄越す」

「シェンを呼ぶのか? それともあんたを――」

「シェンでいい」


 その答えに、采希は少し考え込む。そう言えば、巫女殿の名前が思い出せない。確かに名乗り合ったはずなのに。

 今さら聞いていいものか考えながら、采希は琉斗に視線を移す。

 どんな情報を受け取っているのか不明だが、時折びくんと身体を反らせながら、まだ眼は閉じたままだ。


「――もしかして、かなり消耗してるのか?」

「そうだな、身体は寝ている状態でも脳には膨大な情報が送られているんだろうからな」

「いや、琉斗じゃなくて、あんたの方」


 巫女が驚いたように采希を見返す。どうして分かったのか、という表情だ。

 徐々に透けていく身体を指しながら、采希は口角を上げる。


「何だか、ちょっと透明度が高くなってる気がする」

「――あぁ、そうだな。長時間この状態と言うのは流石に疲れる。琥珀を媒体にしてもこんなにキツいとは予想外だったな」


 そう言われて采希は気付いた。琥珀の気配がない。


「そんな事も出来るんだ……あんた、すげぇな」

「そうか? 那岐にも出来るぞ?」


 思いがけない名前を聞いて眼を見開く。采希の様子に、巫女が本当におかしそうに笑った。


「やっぱり気付いていなかったか。――紅蓮に、那岐の気配がする」

《あっれー、気付かれちゃった》


 ずっと采希の肩に座っていた紅蓮から、那岐の声が聞こえて来た。驚きにまじまじと紅蓮の顔を見つめてしまう。


《多分、琉斗兄さんは采希兄さんについて行くだろうって思ったからさ、紅蓮に標識マーカー設置しといたんだ》

「お前な、そういう事は先に言えって」

《でも、繋がってるのは声だけなんだよね》

「そうなのか?」

《うん、榛冴の力なら映像も見えたのかもしれないけどね。声だけだと、結局あの日、何があったのかよく分からなかったし》

「……そうだ、お前はあの時どうしてたんだ?」

《僕は兄さんたちが居ないのに気付いて、夜中に宿舎の外に出たんだ。そしたら兄さんたちが龍に運ばれて帰ってきて……巫女さま、お久しぶりです》


 最後の台詞は自分に向けられたものだと気付いて、巫女は少し困った顔をしながら軽く頭を下げた。


「あの時は巻き添えで記憶を封じてしまって、悪かった」

《平気です。もう思い出したから。じゃ、采希兄さん、早く帰って来てゆっくり教えてね。――何だかずっと、胸騒ぎがするんだ。理由は分からないけど》


 那岐の気配が紅蓮から消えると、巫女が紅蓮を見ながら呟いた。


「お前たちは、いいな」

「何が?」

「同じように力を持つ弟がいて」

「あんたに兄弟姉妹は?」

「いない。――こんな力があるから、あまり他人と深く関わることも出来ないしな」


 ぽそりと告げて、しまったと言う顔で慌てて立ち上がり、采希に背を向ける。


「そろそろ本体に戻る。何かあれば、シェンを呼んで――」

「あのさ」


 巫女の言葉を遮って立ち上がり、采希は巫女の隣に立った。


「俺、シェンと友達になった」

「うん、シェンが嬉しそうに報告してくれたぞ」

「――でな、シェンのご主人なんだし、あんたも、その……」


 巫女が自分を見ている気配がするが、采希はどうしても巫女の方が見れなかった。


「あー、……俺なんかで、よかったら」

「友達になってくれるのか?」

「……まぁ、……はい」

「悔しいな」

「……あ?」

「実体じゃないから握手が出来ない」


 言葉に釣られて采希が巫女の方を見ると、いつかシェンの記憶で見た満面の笑顔がそこにあった。

 つい見惚れていると、徐々に輪郭がぼやけていく。


「限界だ。またな、采希」

「……おい、ちょっと待て、あんたの名前――」

「それも忘れたのか。じゃあ思い出し――……」


 空中に溶け込むように、巫女の姿が消え、その場に小さな琥珀が現れた。そっと手を伸ばすと、采希の手の平にふわりと降りる。


「……お疲れさん」

《私は大丈夫です。采希さん、とてもすっきりした表情をされていますね》

「うん、記憶も戻ったし。……え? 琥珀は大丈夫って、もしかして巫女殿は?」

《――既に爆睡されています》

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